2008年4月 6日

2008年春の旅(鹿児島編 その4 知覧)


鹿屋が海軍特攻隊のメッカならば、それに対する陸軍のメッカが この知覧だ。




かなり以前の事だが、私は「知覧(鹿児島県)」という記事を掲示した。


最近では 映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のお陰もあって ゆとり教育と日教組のクソ教師のおかげで日本の近代史をロクに知ろうとしない若者達にも「知覧」という名が少しは浸透したらしい。


【参考記事】


     ● 「俺は、君のためにこそ死ににいく


     ● 「俺は、君のためにこそ死ににいく 再見


以前、私の上記記事を読まれたという ある方から頂戴したメールに


つい先日、知覧に行ってきました。

展示の内容には言葉もありませんでした。

でも、記念館の周囲は便乗商売が立ち並び なんか、ブタネコさんの言われる「慰霊」とは ちょっと違う様な気がしました。


という一文があり、それが少し気になっていた。


なので、昨年 本州方面に旅行に出かけた際に 私は鹿児島に足を伸ばしたかったのだが 事情により、松山で行き先を変更したのが ずっと、悔しくてならず だからこそ、今回の旅は「鹿児島に行って 知覧と鹿屋に参拝するぞ」という気持ちが強かった。


2008年春の旅

知覧特攻平和会館は 相変わらず、荘厳な雰囲気に包まれていた。


2008年春の旅

西伊豆の松崎では そろそろ散り始めたか...と見えた桜だったが この知覧では上の画の様に3分咲きといったところか


2008年春の旅

それでも 上の画の様に映る桜並木は満開だと さぞ凄いんだろうな...と思うばかりだ。


以前、私がこの地を訪ねた時と違い


2008年春の旅

施設周辺には 来館者目当てのお土産屋や食べ物屋が目立って増え、この施設にも慰霊者というより、観光スポットとして団体コースに乗っかってきた観光客の姿が多いに目立った。


ゆえに、慰霊というより 観光地になった...という感想を抱くのは無理も無いと私も思う。


でもね、私は この「知覧」に関しては それで良いと思う。


と言うのは...


2008年春の旅

2008年春の旅

2008年春の旅

上の3枚の画は 知覧町の中心部や、平和記念館のある場所へと続く道の景観である。


贔屓目と思われるかもしれないが ブタネコの私見を申し上げると、私は 日本国内のいろんな観光地を見て回ってきたけど この知覧ほど町並みの景観を整えている所は 他には数える程しか無い。


街路樹の松や桜の凝り方も見事だが、何よりも 立ち並ぶ石灯籠が 全て、誰かからの寄贈で 特攻隊員の姿を側面に浮き彫りにした慰霊灯でもあるのだ。


例えば...なんだけどね。


知覧町に住む人々にだって生活がある。


ゆえに、その賄いを稼がなくてはならない必要がある。


街じたいが 町民総ぐるみで、自分達の街をより良く、誇れる街にしようと思う時 下世話な話だが どうしても費用がいる。


ゆえに、知覧特攻平和会館が慰霊の施設であっても それを観光資源と利用して商いをしたとしても 街の人々が「慰霊」という気持ちを大事にしているからこそ その稼ぎや税収の中から街の景観や慰霊灯の維持・整備に費やしているのだとすれば それを散華した隊員達が不満に思うのかな? いや、むしろ感謝するんじゃないのかな?と思うのだが、如何であろう?


けっして、知覧と鹿屋を比較しようとは思っていないのだが それぞれの施設を同じ日に参拝すると 知覧が観光地化している事よりも、もっと鹿屋の存在も世に知らしめるべきだと私は感じたのだ。


今の近代史教育の杜撰さを考えれば、キッカケは たまたま観光コースのひとつだった...でも良い そのキッカケで特攻隊の方々が如何なる若者達だったのか、それを一人でも多くの人に知って貰えれば それが「慰霊」につながれば まずは、それでも良いじゃないか... そう思った。


2008年春の旅

富屋食堂が復元されているのを見て そう思ったのだ。




で、最後に余計な事をひとつ


知覧特攻平和会館の傍に 石原慎太郎の言葉が彫られた碑があった。


映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」も含めて 石原慎太郎に対しては個人的に「よくやった」とエールを贈りたい。


けどね、どうせなら「石原慎太郎」よ せっかく東京都知事の座にあるんだから、「東京大空襲」の慰霊施設を作る考えは無いのかね?


ふざけた銀行に400億からを捨てるぐらいなら その何分の いや、何十分の一で賄えるんじゃないのか?


その碑を見ていて そう思った。


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