2007年11月13日

青森県竜飛岬(後編)


今回、「竜飛」に行って良かった… 心からそう思っている。



竜飛

上の画は 竜飛にある「青函トンネル記念館」の入り口に貼ってあるポスターを撮ったもの


竜飛の全景を知るには丁度良いと思うのだが、問題は このポスターに写っている竜飛は おそらく、今から数年以上前と思われるが 私の知る40年程前とは全然違う。


竜飛

上の画は 灯台の横から 岬の高台の中腹を写した画である。


中央左の斜面が 段々畑状になっているのがお判りであろうか?


ここは畑では無い。^^;


かつて、青函トンネルの建設工事が行われていた時期 この段々の平地にはトンネル工事関係者と家族が住む集合住宅が整然と並んで建てられていた場所で 工事終了後、全てが撤去された跡なのだ。




岬の突端の高台にそびえているのは…


竜飛

竜飛

今も灯台と海上自衛隊の警備所で 建物も昔のまま、殆ど変わっていない。


竜飛

高台の周囲は火曜サスペンス劇場にはお似合いの断崖絶壁で かつては自殺の名所でもあり、40年前にこの地で勤務していた海上自衛隊員達が


「”国家防衛”よりも”自殺防御”に忙しい」


と、嘆いていたのを思い出す。


ここは太平洋戦争時、津軽海峡の防衛・監視として軍事的に重要視され、


竜飛

「津軽要塞」として砲台が設置されていた事もある。


ちなみに 上の写真で海の向こう側に見える陸地は北海道


竜飛

200mmの望遠レンズに1.4倍のエクステンダーを装着した状態(280mm相当)で上の画の様に晴れた日なら見える。


この重要な任務を帯びた警備所の本隊は


竜飛

高台の中腹にあるのだが、ここで注目して頂きたいのは 上の写真のほぼ中央部にある茶色い屋根の建物とその左に並ぶ2つの建物


これ、現在もそうか否かは確認しなかったが 雰囲気的に家族持ちの隊員の官舎である。


で、少なくとも私の知る40年前には 間違い無く”家族持ちの隊員の官舎”として 写真に写っている建物がそのまま存在していた。


つまり、何を言いたいかというと…


「自衛隊員の官舎」も 実は防衛予算のひとつである。


「防衛予算が高過ぎる」と ずっと、野党や左巻きメディアは叫び続けてきたが そのワリを食ったのが こうした官舎等の維持管理費用 もっと判りやすく言えば「建て替え費用」だったりする。


見て判る通り、40年前の水準でも、この官舎は立派な建物では無い。^^;


にも関わらず、その建物を 少しづつ改修しながら大事に使い続けているのが海上自衛隊なのだ…という事を理解してみては如何であろう?


普段は「憲法9条に違反した自衛隊なんか無くせ」と叫んでいるくせに、選挙になると「自衛隊の皆さん 私達に清き一票を」と恥ずかし気もなく声をかける共産党や旧・社会党のクソ共 こういう官舎を建て替える費用も防衛予算だって事を知ってて言ってるのか? 

ま、正座させて問い詰めたら

「そういう予算にまで 私達は文句を言ってません」

と、シラをきるのは見え見えだけどね。^^;


「パタパタ」とローター音が聞こえたので空を見上げたら


竜飛

おそらくは下北半島の大湊から飛来したのであろう海上自衛隊のSH-60が哨戒飛行をしており…


ヘリが飛び去ると同時に 眼下の自衛隊から何やらスピーカーで放送が流れ…


竜飛

隊員達が隊舎の前に集合している。


竜飛

竜飛

8時丁度、ラッパを合図に課業開始に行う国旗掲揚が岬の上に鳴り響く


まさに、北の防人達の気合いの入った本物の敬礼がそこにあった。


厳粛なその光景を眺める事が出来て 背筋が伸びる思いがした。


本当に 良い物を見る事が来て嬉しかった。


竜飛

上の画は 竜飛岬から日本海沿いに小泊方面を眺めた画である。




ま、青函トンネル絡みの事は別として 久しぶりに竜飛を訪ねて 私の記憶にある竜飛との最大の相違点は道路が素晴らしく良くなった事。


竜飛

例えば、上の場所


竜飛

右側の このトンネルが現在のもの


竜飛

そして、左側の このトンネルが信じられないかもしれないが 私が知っている時代の道なのだ。


例えば、竜飛でロケされた画を含む1974年に公開された映画「砂の器」において…


砂の器

こういう場面がある。


目印になる建物が現在は無くなっているので 100%の自信は無いのだが、


竜飛

このトンネルじゃないかと私は思っている。


また、上の画の左端の場所が


砂の器

このシーンの場所だ。


そう、私の記憶の中の竜飛は映画「砂の器」の中に残っている風景なのだ。


そういう意味では様変わりしてしまった竜飛だが、私にとって心の故郷である事に変わりは無い。


というか、トンネル工事の喧噪が無くなった 今の静かな竜飛の方が私にとっては故郷らしくて好ましいとさえ思える。


40年前、ここには普通の町であればあるべきいろんなものが無かった。


オモチャ屋も、文房具屋も、病院も、子供が遊ぶ公園も無かった。


厳密に言えば トンネルの建設公団の施設内には小規模ながら売店や病院、そして滑り台やジャングルジムや砂場のある公園があったけど、そこには自衛隊の関係者や漁村の人々は利用させて貰えなかったから 数ヶ月に一度、青森のデパートに連れて行ってもらう事が 普通で言うところの「遊園地」や「動物園」に行く事であり、ノートやクレヨンは無駄遣いしてはいけない貴重品で、「歯が痛い」と言っても まともな歯医者にかかる為には バスと汽車の乗り継ぎで片道3時間かけて青森に行かないとダメで その間、痛みに苦しみながらの地獄だった。^^;


なので、その時の私の「子供の遊び」と言えば 夏は漁師の倅共と海に潜ってウニやサザエやアワビを獲り、冬は殆どの日が雪を横殴りにする突風が吹き荒れるので 家の中でテレビを見るか、何度も同じ本を読み返す事。^^;


同年代の都会の子供にとっては「普通」だった遊びは 何ひとつ知らず、唯一の楽しみは週に一度、青森に買い出しに行く自衛隊のお兄さんが買ってくるサンデーやマガジンといった漫画の本の読み古しを貸してもらって「おそ松くん」や「天才バカボン」を読む事だった。^^


だから、後に函館に引っ越した時 同級生の当たり前の「遊び」や習慣についていけず、銀玉鉄砲を使った撃ち合いや チョークで地面に落書きなんて 私には興味が無かった。^^;


今、思えば そういうのがトラウマとなり、大勢で群れたり「みんなが遊ぶなら僕も」なんて意識よりも「俺は俺」みたいな孤立主義みたいな今の性格が構築されたのかもしれないなぁ…なんて思うけど、そういう今の自分の性格は気に入っているので やっぱり、私にとって竜飛は故郷なんだな。^^


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