2007年10月 6日

2007年秋の旅(夢島編)


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」を語る場合 メインの舞台である「松崎」が聖地である事は言うまでもないが、大きな意味で2カ所 松崎とは別に聖地と崇めるべき場所があり、今回は その二つのうちのひとつである「夢島」について語る。



夢島

夢島

夢島

TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」のDVDを何度も繰り返して見て過ごした この2年弱 どれだけ、この島を自分の目で見たいと私が思っていたか御想像頂けるだろうか?


夢の中では 何度も私はこの島に渡り、そこで焼いた魚をかっ喰らい、生姜湯をグビグビと喉を鳴らして 何杯もおかわりしながら飲み干した事か…


「夢島」という名前の通り、まさに「夢」だった…


夢島

到着した時間が夕暮れ時だった事と 見る位置と太陽の位置関係でシルエットの様な姿だが…


このシルエットだけでも 私にとってはまさに「夢島」だった。


夢島

それでも カメラの望遠レンズにはくっきりとドラマでは廃墟とされた建物や岸壁が確認でき、それだけで飲んだ生姜湯と同量の涙がこぼれた。


心臓を壊して以来、「生きてて良かった…」と心の底から実感した事は 実はそんなに多くない。


でも、私は10月4日という日をおそらくは終生忘れないであろうと思える程、この日は本当に「生きてて良かった…」と 一日の中で数回、強く実感する事に出会った日だった。


同行した二代目開業医と二人で その日は館山に宿泊し、夜 ホテルの部屋で昼間撮った写真の画像をチェックしながら その一枚を「気の弱い弁護士」の携帯に画像添付で送りつけてやった所、数分もせぬうちに折り返し彼から電話がかかり


「オマエら二人で 何やってんだ!!!」


と、地球の裏側まで響きそうな怒鳴り声。^^


ザマァミロである。


翌日、ホテルを朝早くチェックアウトして 次の目的地へと向かう道すがら


「あれ? ここからも夢島が見れるじゃん」


と、レンタカーを運転していた二代目が車を停めると…


夢島

夢島が 上の画の様に見えた。


なので、通り道だった事もあって 再度、夢島をもっとも近く陸地から見える位置に行って撮った写真が


夢島

これ。


もうね、気が狂った…と言われる事を覚悟で言うけど この時の私と二代目開業医は まさに


夢島

この亜紀の状態の様に 対岸の防波堤の上でオッサン二人が 呆然と目から涙を溢れさせ続け 只々、島を眺めていた。


そんな姿を奇異に思ったのか 傍の漁船の上で作業をしていた人が


「あんたらも 世界のなんとか…ってドラマのファンか?」


と、声をかけてきた。


壊れた二人は 流れる涙を拭いもせずに


「そうだよ」


と、応えると


「ナンボかくれるなら あの島をグルッとこの船で一周してやろうか?」


と、その人が言う。


金で済む話なら…と 二代目はその気になって交渉を始めたが、私はそれを止めた。


だって、島に近づけば 建物が実は廃墟では無い…とか、いわゆるドラマでの世界と現実の世界の対比がクッキリと明確化してしまう。


夢島は「夢」のままで良いのだ。


海越しに島を眺めていると 島の防波堤に亜紀の幻が浮かび上がり、「おいでおいで」と招いているのか、「あっち行け、シッ、シッ」と追い払っているのかすら判別がつかない様で手を振っているのが見える。(妄想です)


少なくても、あの「夢島」に渡るまでは 亜紀は元気だったのだ… だから、亜紀にはそのままでいて欲しい… それで良いのだ。


島に近づけば そのぶん、亜紀が倒れる事も受け入れなくちゃならなくなる… それが私はとても嫌だったから、敢えて船に乗ろうとしなかった。


海越しとは言え、島を眺めていたら 


「未来の松本朔太郎へ…」


という、脳裏に焼き付いているテープの声が幻聴で聞こえ始める。


名残は惜しかったけど、その幻聴をそこで聞くと とっとと札幌に帰って嫁や娘に孝行しようと思った私だった。


夢島

ちなみに、上の画は 浜金谷-久里浜間を航行する東京湾フェリーの船上で写したもの


船が進む毎に 次第に遠離って朧気になっていく「夢島」を眺めながら 馬鹿なオッサン二人は 島影が見えなくなるまで ここでも、ずっと泣きっぱなしだった。

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