2015年10月25日

「大きな古時計」に秘められた謎の謎


数日前に掲示した『「大きな古時計」に秘められた謎』という記事に関して補記しておこうと思う。





まず、冒頭において 数日前に掲示した『「大きな古時計」に秘められた謎』という記事に関して 私の文章表現の拙さと、本来意図していた考えを記事にするにあたって書き足りないまま掲示してしまった安易さに関して深くお詫び申し上げる。


で、公開・非公開を併せていろんな方々から御意見・お問い合わせを頂いた件に関して この記事でまとめて返信の意を含ませる事を勝手ながら御了解願う次第です。


で、寄せられたコメントの中で最も多かった主旨は


「昔は個人商店が多く その個人商店の場合、店主が朝起きて店を開ければ開店だった事を考えれば 7時や8時に開いている店は珍しくなかったんじゃないの?」


という点。


そう、これってまさに仰る通りだと私も思う。


私自身、そう言う時代を過ごして来た身として 女の子から話を聞いた最初の時点では不思議にも思わなかったし、であるがゆえに 今までそれを謎とも思ってこなかったんだもの


でもね、女の子から話を聞き ふと思ったわけですよ。


「小学校5年生の女の子が産まれた頃より今に至るまでの

 今からほぼ10年前後だけに絞って考えると どうなのか?」


と。


つまり、先に掲示した記事に関して


「昔は個人商店が多く その個人商店の場合、店主が朝起きて店を開ければ開店だった事を考えれば 7時や8時に開いている店は珍しくなかったんじゃないの?」


という御意見を下さった方々は 少なからず私と同様にそういう時代を過ごした方々かもしれないし、違って若い方であっても「少なくとも昔はそういう事もあった」と何かしらの知識を持っておられたが故に「おい、ブタネコそりゃ違う」とお考えになられたのであろう と、勝手に推測し決めつけてみる。


でもね、「そういう事もあった」と知らない人が あくまでもここ最近の10年だけを根拠に考えると「この曲の歌詞って変じゃない?」って この小学5年生の女の子の様に違和感を覚える人がいても不思議じゃ無いんだな... そう感じたわけですよ私は。


それと同時に、小学校5年の女の子が ともすればどうでも良いような事とは言え、自分の感じた違和感をある種の論理的にひとつの推論に組み上げて説明してみせた姿に感動と言ってもいい驚きを感じたわけです。


ただ、小学校5年生の女の子の場合 少なくとも「100年以上前の人々の暮らしや街の姿」とか、「この曲が実は日本で作られた曲では無い」という事などが推論に組み込まれていなかったという事情はあるけれど それは小学校5年生という事を考えれば充分に情状酌量の余地は大きく むしろ、考えた事こそを認めるべきだろうと思ったんですけどね。


まぁ、ここまで述べた事は「ブタネコの言い訳」と御笑納頂いて構わない。


で、良い機会かもしれないのでついでながら記しておくと...


「歴史」とか「史実」ってものを考える時 多くの人は「今の自分」を基本においてモノを考える。


物事を考える時、似た何かと比較してしまうのは それはある意味、仕方の無い事だと思う。


でもね、過去を遡って考える時に「現代」を基準にするのって 私は経験上、出来るだけしてはいけない事だと思っており、その最たるものが太平洋戦争の前から戦争中にかけての事例を考える時なんかが良い例だ。


例えば、戦後に生まれ 戦後の教育を受けて育った者は 


「如何なる理由があれど、戦争は絶対にしてはいけない」


と考える。


であるがゆえに、当時の太平洋戦争(もしくは満州事変)を始めよう、起こそう、突入しよう...という発言をした人達は ともすればそれだけで「悪」と決めつけてしまうきらいがあったり、特攻で亡くなった方々を語る時に「犬死に」とか「洗脳」なんて言葉を賢しげに使ったりする人も少なく無い。


でもね、「今の世相とか思考」ではなく「当時の世相とか思考」で考えたらどうなの? と。


で、話を本線を戻す。


ここまで記した事から言えば 先述した小学校5年生の女の子が


「つまりね、この"おじいさん"が産まれた時に おじいさんのパパやおじいちゃんがその記念に買いに行ったとしたら 絶対に"おじいちゃんが産まれた日の昼前"とか"おじいちゃんが生まれた日の午後"じゃなきゃ買って来れないよね?
 だからね、私思うの この曲の歌詞って"おじいさんの産まれた朝"じゃなくて せめて"おじいさんが産まれた時"とか"おじいさんが産まれた日"にすべきなのよ そう思わないオジサン?
 なんで今まで誰もこの事に気づかなかったんだろ?」


と私に話してみせた時、私はこの子に対してどう応えるべきだったのだろう?


「いや、その時代だったら...」


とか


「それは日本じゃ無い国の曲だから...」


と、やんわり否定してあげれば良かったのか?


それとも


「凄いなぁ、小学校の5年生でそんな推論を組み上げちゃうんだ...」


と、褒めあげれば良かったのだろうか?


ちなみに、私の対応は どちらも「否」で


「たしかに、オマエさんの発見は大発見かもしれない。

 でも、たかが10年ぐらいの人生のオマエさんが100年前を語っても説得力が薄い

 出来れば、あと10年 オマエさんが20歳過ぎる頃まで オマエさんが今から100年前までの100年間の歴史とか人々の生活とか暮らしとかを学んでから もう一回考えてみな。」


と、応えたのだが...


よくよく後になって考えてみると この小学校5年生の女の子って うちの孫娘達より少し歳上ではあるが、たとえばこの子の両親って おそらくウチの娘達夫婦と同世代、爺さん婆さんに至っては私と同世代なんだろうな...


だとすると、彼女が両親に話を聞こうにも若すぎるし 彼女の爺さん婆さん達も100年の半分が関の山なんだな


本当はそういう事を中学や高校の日本史で正しく学びたかったのだが、今はどうか知らないが、私の頃の日本史の授業は


「入試に出るのは明治時代ぐらいまでだから 大正から後は各自、時間のある時に家で呼んでおけよ~」


だったんだよね。




...ってな事を本当は先の記事で述べたかったはずなんだけど 全然、そういう文章になってなかったね 本当に申しわけありませんでした。


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