2013年4月27日

ツナグ DVD再見


映画「ツナグ」のDVDを入手したので見た。



【※注意!!】 この記事文中にはネタバレが含まれています。



ツナグ

昨年見た映画の中でDVD化されるのを最も楽しみにしていたのが この映画「ツナグ」


DVDが出たら 色々と確認・検証したい事があったのだ。


で、検証(その1)


・この映画が公開された以後に個人的に注目した「岡野真也」が この「ツナグ」のどこに出演しているのか?


ツナグ

ツナグ

ツナグ

ツナグ


演劇部の一員だった。



検証(その2)


・大野いとの演技は棒か?


ツナグ


紛れもない「棒」だった。



検証(その3)


・橋本愛の演技は棒か?


ツナグ


棒か否かはともかく、「泣き」の演技はまだまだ甘い



検証(その4)


・嵐と御園のエピソードに感じた矛盾


漠然と「矛盾」と言っても それがどういう矛盾かはこれまで上手く言い表せずにいたが、たとえば


 ○御園は嵐の殺意(蛇口を開いて水を流した)を知っていたのか?


 ○御園は坂道が凍っていたから滑って事故に遭ったのか?


 ○御園がツナグに残した伝言の真意は?


...といった部分の解釈に 原作を読んだ時、そして映画を見た時、さらにあらためて原作を読み直した時とステップを踏む毎に なんか矛盾があるようなモヤモヤ感が増していたのだ。


で、結論から先に言えば やっぱ、矛盾がある。


まず、伏線として


ツナグ

ツナグ


通学路の坂道に蛇口が有り、水が出しっ放しになっていると道が凍って危険になる...


それを指摘したのは嵐ではなく、御園だと言う事


しかも、上のシーンでは二人揃って遅刻しそうだと大慌てで走って行く途中なのにも関わらず、御園は冷静に自転車を停め... (ココ重要)


その後のシーンが続いていくウチに いろんな点が曖昧になっちゃうから気づき難いんだけど、落ち着いてよく考えてみると この伏線の張り方では以後のシーンがどうであっても


『御園がこの坂道で滑って事故に遭う』


という流れには必然性というか説得力が無い... という事にならないか?


DVDで再見する事によって それまでの私にとっての大きなモヤモヤ感がハッキリと姿を現した。


それは、御園のツナグに託した嵐への伝言


ツナグ


『道は凍ってなかったよ』


何故、御園は伝言にこの一言を残したのだろう?


「私、見てたのよ」とか「本当の事、私知ってるんだ」なんて言い方でも良かったのに、なんで「道は凍ってなかったよ」という言い方をしたんだろう?


この一言は


「前の日、嵐が蛇口を開けていたのを私(御園)は知っていた」


という事を暗に示し、嵐の解釈としては「御園は私の殺意に気づいていた」という事実の証に受け止め 原作でも、そして映画でも


ツナグ

ツナグ

ツナグ

ツナグ


と、なっていくんだけど...


落ち着いて冷静に考えてみると この伝言って御園が嵐の殺意に気づいていたか否か?なんて事とは関係無いんじゃなかろうか?


たしかに、「道は凍ってなかったよ」とわざわざ御園が伝言に残すという事は 間違いなく前日の夕方に嵐が蛇口を捻って水を坂道に流したのを見ていた事の証であり、嵐がそう受け止めるのは当然であり、


ツナグ

ツナグ


という、うわ言の流れもすんなり受け止められる様な気もする。


でもね、だとすれば


「前日の夕方 嵐が蛇口を開けているのを見ていながら、翌朝、御園はその坂道で事故に遭遇した」


という事になるんだ。


つまり、判りやすく言えば


「嵐が殺そうと罠を張ったのを御園は気づいていながら まんまとそこで死んだ」


という事でしょ?


これってとても不自然というか、矛盾というか...


余程のバカか、殺意を逆手に取った自殺か? ...って解釈もアリだと思うんだ。


そう、ひねくれたブタネコ的解釈では 判ってて死んだマヌケの事を


「私が殺してしまった」


と、嵐が思い悩む必要は無いんだ。


ただ、そう帰結するとこの映画「ツナグ」ってサスペンスでもファンタジーでもなく 実は笑えないコメディだった...なんて解釈さえも成立しかねず、それでは話は元も子もない。


なので、話を戻すと...


 ○御園は嵐の前日の行為を見ていた。


 ○にも関わらず、その坂道で事故に遭ってしまった。


これを好意的に解釈すると


「嵐が蛇口をひねって水を出し、翌朝、私(御園)が怪我をすれば もしくは死ねばいいと

 考えていた事に気づいていたけど、私は嵐が去った直ぐ後に蛇口を閉め、道も凍らなかった

 にも関わらず、私は翌朝その坂道で事故に遭って死んでしまった」


と、まず御園は考え 自分の死と嵐の行為には直接の因果関係は無い... つまり、「嵐のせいじゃない」と伝えたかったのか?


つまり、この先を生き続けていく親友に罪の意識など持って欲しくなかった御園の優しい気遣いが


「道は凍ってなかったよ」


という伝言になった...なんて解釈している人も 実は少なからずいるそうで、そういう人達によると


ツナグ

ツナグ


「そのコート、ジュンヤ・ワタナベでしょ...」


と、本来は御園が言っていた台詞を 嵐が自分の言葉でツナグに言った事を知って これからも生き続けていく親友も実はツナグの事を好きだったと知って 尚更、親友に罪の意識など持って欲しくなかったから伝言を残した...と解釈しているのだそうだ。


が、私はその説は完全に同意出来ない、それならば「嵐のせいじゃ無い」と伝言すれば良い事で 何故、回りくどい伝言にするのか理解出来ないからだ。


...というわけで、DVDを見ながらあらためて自分なりに検証してみると 一番最初に原作を読んだ時は ストレートにこういう帰結にはならず、むしろ逆に 御園と嵐の奥の深い駆け引きみたいに感じられて面白かったのだが、いざ映画を見ると「あれ?」と引っ掛かり、原作を読み直してみると「う~ん」と悩み、今回のDVD再見で「あ、やっぱ、ダメだ矛盾だ」と至ったわけだ。


でね、そういう現時点ではあるけれども 私は「ツナグ」そのものに対して罵声を浴びせる気は無い。


例えば、


ツナグ


「八千草薫」と「遠藤憲一」の掛け合いはとても良いシーンで


ツナグ


「遠藤憲一」が去り際に見せる複雑な表情は 彼が実に深い演技を見せる役者かを再確認出来た素晴らしい演技だし、


ツナグ


「桐谷美玲」も 往々にして役柄に恵まれていないけど、ハマればなかなかポテンシャルを発揮する女優なんだと実感出来たからね




で、結論的感想を最後に記すと...


DVDで再見して上述した検証をまとめたけれども、この映画「ツナグ」の最大の欠点は 見直せば見直す程、この映画の制作者(特に監督)は昔は良い映像を手がけたかもしれないが、今はアホに成り下がったな...と。


一番強く感じたのはBGMを濫用しすぎて五月蠅い...って事だが、もう一つどうでも良い事を指摘しておくと...


ツナグ

ツナグ

ツナグ


御園の通夜における嵐と御園の母親のやりとりだが、「会わせて欲しいと」と願う嵐に御園の母親は

「事故に遭っちゃったから会わせられないの」

と応える。


それって車に撥ねられた際に顔に大きな損傷を受けたから...と私は解釈したわけで、だからなのか映像内で


ツナグ

ツナグ

ツナグ


御園が撥ねられたシーンを上の画の様に描いた事を当初はそのまま受け止めていたんだけど でも、これだと顔面からまともに車にぶつかってるわけで そんな損傷では死ぬ間際に明確なうわ言は難しいんじゃないの? ...なんてね。

コメント(2)

>「そのコート、ジュンヤ・ワタナベでしょ…」
>と、本来は御園が言っていた台詞を 嵐が自分の言葉でツナグに言った事を知って これからも生き続けていく親友も実はツナグの事を好きだったと知って 尚更、親友に罪の意識など持って欲しくなかったから伝言を残した…と解釈しているのだそうだ。

私もこれは全く同意できないですね。

嵐がコートの話をしなければ御園は普通に仲直りをしようとしていたのは明白だと思います。


前も言ったような気がしますけど、ホント、惜しいですよね。このエピソードが一番の肝なのに、これが良ければかなりの良作に成り得たと思うんですけどね。

演出は置いといて、演技だけで言ったら、4、5年ぐらい前の成海璃子だったら嵐でも御園でもどっちでも、もっと魅力的に演じていただろうな、とは思うんですが、今現在は誰かいますかね・・・私は福田麻由子しか思い浮かばないです。

★ うごるあ さん

>今現在は誰かいますかね

個人的なお気に入り度で言えば このところ意地悪な女の子役ばかり与えられている「小島藤子」や
「吉田里琴」にこそ 嵐でも御園でもどっちも可で化けてくれそうな気がするし、他を挙げれば「清水くるみ」や
「刈谷友衣子」や「川口春奈」かなぁ… なんて愚考しますね

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