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2015年01月02日

● 見えないほどの遠くの空を


2011年公開の映画「見えないほどの遠くの空を」がDVD化されないので語らずにここまできたが、先日BS系で放送されたので録画して見たので ようやく語る。




見えないほどの遠くの空を


この映画は 我が友「虎馬」さんが劇場公開時に見て高い評価を与え 私に「見た感想を聞かせろ」と熱望されていたもの


実のところ、裏技を使って劇場で一度この映画を見たし その直後に原作本(ノベライズ?)も購入して読んだので、個人的な感想を虎馬さんには直接伝えておいたのだが このクソブログに記事を掲示するのはDVD化された時に 映像を吟味してからにしようと思っていたので 2012年だったと思うのだが、一度 BS系で放送された時には そのチャンネルを私は視聴契約していなかったので今日に至る、




【※注意】以下の記述にはこの映画のネタバレがたっぷり含まれてます。




ざっくりとしたあらすじを記しておくと…


見えないほどの遠くの空を


大学の映画研究会において一本の自主制作映画が撮影されていて その映画の最後に残されたカットの撮影の際に 元々そのシーンの台詞や演出に不満を示していたヒロインは監督の指示とは違った台詞と表情を見せ、指示に従わなかった事に不満な監督は撮り直そうとするが 急に雨が降り出してその日の撮影は中止となる


見えないほどの遠くの空を


その後、ヒロインは交通事故に遭って亡くなり 映画は未完のまま


見えないほどの遠くの空を

見えないほどの遠くの空を


一年後、商店街を歩いていた監督は 中古レコード店の前で物色しているヒロインそっくりの女の子と出会う…

                               


思うに、この映画を青春物と見るか、ファンタジー的に受け止めるか、怖くは無いホラー物と見るか、それぞれのスタンスによって見終えた感想は異なると思う。


単純に、突然の事故で亡くなった女の子が どうしても伝えたかった思いを伝えたくて現れた…とか、最後に中断されたままだった意見交換に決着をつけたかった…なんてものと考えれば せつないファンタジーがらみの青春物として ともすれば感動すら覚えるのかもしれないし、きっとこの映画の制作者の意図はそうであったんじゃないか?と希望的観測を私は抱く


例えば、この映画のタイトル「見えないほどの遠くの空を」とは ヒロインが監督に対して最後に伝えたかった思いを集約した言葉なのであろう と。


だから、未完に終わった劇中映画のタイトル「ここにいるだけ」において ヒロインが最後のカットの演出を不満に思い監督の指示に素直に従わなかったのは 「夢や希望を追いかけず、ここにいて幸せを見つけようとする」なんて停滞感みたいなものを結論づける演出への反発を暗示していたんだな とも。


ただね、見終えて 私は思ったんだ「惜しいなぁ、とても惜しくて残念だなぁ…」と。


だって、全体的な構成を考えた時に いくつかの疑問が私の頭の中に浮かび、それを私が自分なりに解釈するには どれもこれもかなり好意的にならなければならないからなんだ。


例えば、亡くなったヒロインが再びこの世に現れたのが 何故、監督に対してで 付き合っていた彼氏の前じゃなかったのか? という疑問


それに対して、ヒロインは事故で死ななければ劇中映画「ここにいるだけ」の撮影が終わったら別れようと思っていた…と 映画内ので台詞で説明しているようだけど、それだけでは「何故、監督?」という疑問への応えとしては説得力が無い。


また、亡くなったヒロインが再び現れたのが 何故、一年後で商店街の中古ショップだったのか? という疑問


これに関しては明確な回答は映画内には無い。


そして、何気に見て気にもしていない人が多い様なんだけど


一年後、


見えないほどの遠くの空を


監督はヒロインの彼氏だった男と街で偶然に出会い、ヒロインの彼氏には新たな恋人が居る事を知る


見えないほどの遠くの空を

見えないほどの遠くの空を


(おそらく、その日の夜)監督が部屋で電話をしている最中に 監督の部屋だけ僅かな時間停電になる


見えないほどの遠くの空を


(おそらく、その次の日)商店街を歩いていた監督は 中古レコード店の前で物色しているヒロインそっくりの女の子と出会う。


この流れの中、特に意味ありげな「停電」のシーンのその意味って何なんだろう?


結局、「中古レコード店の前で物色しているヒロインそっくりの女の子」=「ヒロインの幽霊」という風に後に解釈してしまうと ホラー映画における幽霊の存在を臭わす意味ありげな停電と気にもしなくなっているんじゃなかろうか?


でもねぇ、私みたいなへそ曲がりは 妙に気になっちゃうんだな この「停電シーン」が


ゆえに、


「ヒロインは本当は監督の事が好きだったんだけど、ボタンの掛け違いみたいな流れで 

 監督の親友と既に付き合ってしまっていたから、彼と別れて監督に好きだと告白したら

 彼と監督、しいては映研内部全体の人間関係を壊してしまうので別れられなかった


 でも、自分が死に 彼がヒロインを忘れ新しい彼女が出来た今ならば 本当の気持ちを言えると思い

 自分の気持ちをちゃんと伝えたくて幽霊として現れた」


…みたいな流れだったら 無理に好意的解釈をせずとも受け入れらるのになぁ と。


要するに、


見えないほどの遠くの空を

見えないほどの遠くの空を


一年後、中古レコード店の前で物色しているヒロインそっくりの女の子は どうしてヒロインの妹だと偽ったのか?


その理由が理解出来ず、以後のシーンの解釈にも少なからずえいきょうを与えているんだな


ヒロインは死ぬ直前、劇中映画「ここにいるだけ」のラストシーンで監督と意見が合わず、監督の真意を「電話でも、メールでもいいから」と話し合いたがっていた それが彼女の心残りで化けて出たのだとしたら 上述した一年後に木の根っこで話し合った内容はヒロインの心残りの解消に繋がる重要なシーンだとは思えるんだけど、わざわざ化けて出てきたのに身分を偽る意味が私には判らない


見えないほどの遠くの空を


(間にCMが挟まったTV放送の録画時間において)全体的に1時間49分における開始から1時間12分後の上のシーンで 一年後、中古レコード店の前で物色しているヒロインそっくりの女の子は監督だけにしかその存在が見えず、話せない存在だと判明し 多くの視聴者は=ヒロインの幽霊と解釈し、その瞬間に細かい疑問や矛盾はおざなりに


「成る程ね、そうだったのか」


と、判った様に解釈してしまうのであろうけど へそ曲がりな私は


「ん? なんか、実はもう一捻りしてんじゃね?」


なんて思ってしまい ともすればドツボに嵌まったんだな。


例えば、


実は幽霊ではなく、監督の妄想って事は無いか? …なんてね。


まぁ、それはともかく…


この映画において最も私が理解出来ないのは


見えないほどの遠くの空を


ラストの「三年後」のシーン全部の存在である。


本当のヒロインの妹と 「一年前」のヒロインと同じ様に中古レコード店の前で監督と出会わせて その後、映画の撮り損なっているワンシーンの出演を依頼する…という流れを盛り込む構成の意図が私の理解の範疇を超えている。


見えないほどの遠くの空を


「今度はついてこないでね」


…ってところでエンドじゃ 何故、ダメだと制作者は考えたのであろう?


やはり、「一年後」のシーンは監督の妄想 というか、壮大なデジャブで ヒロインの妹と監督が不思議な出会いで惹かれ合っていく未来の布石だったのか? …なんてね。




…というわけで、総論的な感想を記すと この「見えないほどの遠くの空を」という映画は 私はクソ映画とは感じていない。


むしろ、磨けば珠玉の傑作になる可能性を秘めていたのに 磨き方を間違えて傷だらけにしてしまった残念な作品だと。


つまり、映画の冒頭や 私としては全体のエンドシーンで良かったんじゃないの?と愚考する「一年後」のエンドシーンなど 部分的には惹き込まれる映像や構成は多々あるけれども、練り上げられているというよりも 練り上げすぎた構成がともすれば小細工とか半端な傷として目立っていて残念という意味だ。


ただし、この感想はTV放送の録画を見て記したものであって DVDでは無いという事を明記しておこうと思うのは、もしかしたらTVの悪癖である「放送時間の尺の関係で 何カ所かカットしてます」かもしれないという可能性を考えての事である。


なので、DVD化されたら必ず買って再見するつもりであり その価値はあると考えている。




見えないほどの遠くの空を


「森岡龍」


見えないほどの遠くの空を


この映画の後、目立った出演作の無いのが残念な「岡本奈月」


見えないほどの遠くの空を


「桐島、部活やめるってよ」「大人ドロップ」など 最近、いろんな映画やドラマで「山椒は小粒で…」的にスパイスの効いた演技が目立つ「前野朋哉」


お駄賃

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コメント

この映画の記事、ありがとうございます。


映画を観てからもう3年半も経ってしまいました。

とにかく冒頭の大学の映研の撮影シーンが近代的な機材で本格的なところや

学生たちの映画に対する青臭い討論や自己主張などが新鮮で

特に森岡龍が主人公そのものにしか見えないほど好演で

この映画をうまく表現できない自分にヤキモキしました。


俺は主人公の高橋の前に現れたヒロインの莉沙は高橋の妄想の産物だと思ってました。

『妹』に逃げたのは両思いではなかった遠慮からなのではないでしょうか。

そして3年後、本当の妹に会って映画を完成させることで莉沙との恋愛を終わらせたかったのかなあと。


高橋の妄想は他人から見れば常軌を逸してますが

常軌を逸した妄想行動こそが青春そのものに俺は思えたんですよね。


ブタネコさんの見解をどうにかこの映画の監督に伝えたいです。


★ 虎馬 さん

遅くなりましたが、義理は果たした…って事で ^^


ブタネコさんがこの記事の冒頭でおっしゃろうとしたものだと思うのですが、僕は2012年の放送でこの作品を視聴しました。

停電のシーンは明確に記憶にあるのですが、その意味は考えませんでした。録画をまだ消さずに残してあるので、気力、体力があるときに見直してみようと思います。

それと、僕は新しいブログを作りました。

「新編 膝枕」
http://hagiwaray.hatenablog.com/

これからもよろしくお願いします。

★ はぎわらさん さん

リンク修正させて頂きました ご確認を。^^


【※注意!!】

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