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2014年11月18日

● 高倉健さん 永遠に


名優「高倉健」が逝ってしまっていたそうな




昼間、突然飛び込んできた訃報に言葉を失った。


亡くなってから一週間 喪を表さなかったのは故人の遺志の様に感じられてならず、健さん最後までそれかよ…と


「スター」という呼び名は時に乱発されている感が強いけど、訃報に接するまで私にとって現存する「スター」とは「長嶋茂雄」と「吉永小百合」と「高倉健」の三人こそが 真のスターだと私は感じていた。


それだけに、まさに「巨星墜つ」という感でいっぱいなんだな。


2012年9月10日に『高倉健スペシャル(9月8日放送)』という記事を掲示したが その中で私は


この番組を見ていて 率直に言って「健さん老けたなぁ…」と思った。

が、「老けた」と一言で言っても「老いた」と言うのとは少し意味が違う。

見た目は年相応の老化なんだけど、目の輝き、気迫は へたな若者なんか到底敵わない。

そんな健さんの格好良さとか渋さは無理でも 気迫だけは身につけたいと私は願う。


と、感じたままに記したが まさかこの時の映画「あなたへ」が遺作になってしまうとは こんなクソ映画が健さんの遺作なんて私は認めたくない。


出来れば、もう一本 真の意味で健さんの遺作と記憶に焼き付く様な映画が見たかった… それが残念でならないんだ。


東映時代の任侠物は熱かった。


八甲田山 (1977年)、幸福の黄色いハンカチ (1977年)は渋かった。


野性の証明 (1978年)の終盤は東映時代の任侠物を彷彿とさせる「健さんやっちゃいな」とスクリーンに叫びたくなった


動乱 (1980年)、駅 STATION (1981年) は 健さんならではの深みのある演技だった。


刑事物語 (1982年)のラストに一瞬だけ登場したのを見た時には泣きそうになった。


海峡 (1982年)、南極物語 (1983年)、居酒屋兆治 (1983年)、夜叉 (1985年)は「男」ではなく「漢」に酔わされた。


ブラック・レイン (1989年)では松田優作と並び対極的な人物像が見事だった。


あ・うん (1989年)、ミスター・ベースボール (1993年)は それまでの健さんの殻を破った演技だった。


四十七人の刺客 (1994年)、鉄道員(ぽっぽや) (1999年) 、ホタル (2001年)では健さん以外に考えられない渋さで堪らなかった。


高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健

高倉健


心から哀悼の意を表します。


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