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2014年11月29日

● リーガルハイ スペシャル 追記


先日、このクソブログに掲示した『リーガルハイ スペシャル』という記事に頂戴したいくつかの非公開コメントへの返信を兼ねて ちょっと違う視点での私見をまとめて追記する。




まず、最初に記しておきたい事は 今回の「リーガルハイ スペシャル」に関して


「なんか、スッキリしない」


という感想を抱いた方が少なく無いのに対して


「面白かった」


と満足する人との感想のギャップが予想以上に大きい事。


このクソブログに対して頂戴したメールや非公開コメントの中にも「満足した」という感想の方がいる反面、「モヤモヤ感」を記しておられる方も少なくない。


で、私が思うに今回の「リーガルハイ スペシャル」における「医療過誤訴訟」に関して冷静に客観的に見た場合、そもそも原告に理があるのか?という点


つまり、「医療過誤」だと認めるべきもの 例えば、、投与する薬品を間違えた、薬品の量を間違えた、投与する設定時間を間違えた、投与する際に点滴や注射の針を刺し間違えた…など 一般的によく耳目にする「過誤」らしきものは映像内に見受けられず、原告側弁護人の発言を突き詰めて考えた時

「投与した薬が本当に正しかったのか?」

という一点に絞られる。


で、その事に関してはドラマ終盤の古美門の弁論で初めて 投与された薬の

468人のうち、めざましい効果があがった患者が164人、やや効果があったが47人、効果が無かった、不明が213人、状態が悪化した患者が38人、死亡した患者が6人です。

さらに、ごく簡単に言い換えるとこうです 新薬は治るケースが35%、死亡するケースは1.3% 同意書に記されていた通り心筋梗塞が起こる可能性はあるのでしょう しかし、その発生率は僅か1.3%、これは他の治療薬「ザフトスマブ」や「グライフスマブ」に比べても小さな数字です。 逆に35%の治癒率は極めて大きい数字と言えます。

つまり、この薬は他の薬に比べて特別危険という事は無い これまでにない素晴らしい薬なんです。 

赤目前院長はけっして偽ったわけでも騙したわけでもありません データに基づく事実を言っただけです。

結果は残念ながら痛ましいものでした しかし、赤目前院長に何一つ落ち度はありません。 以上です。


データが明らかにされる事で「投与された薬がけっして間違いとは言えない」と多くの視聴者は判断し「訴えを棄却する」という判決に至る。


要するに、ドラマ内の設定に準拠した形で要約すると、私の知る現実で言えば 治癒率が一桁台の数%の薬でも他の薬よりマシだと考えれば 特に難病患者達は縋る思いで同意するし、死亡するケースが30%近くても他に手段が見つからなければ そこに賭けようとする患者も少なく無い。


そんな現実下にあって『治るケースが35%、死亡するケースは1.3%』というデータは その薬を原告側弁護人の言う『危険な治療』にあたるか否か?といえば多くの人は「患者が亡くなってしまったのは不幸な出来事だけど それをもって病院や医師を責めるのは酷だろう」と判断する…って事。 


つまり、「医療過誤裁判」という名目に「難解な裁判」と思い込みがちではあるが、単純に裁判事例として眺めた時 裁判を起こす以前の簡単な話なんだよね、同意書にもサインしているわけだから


ゆえに、これまでのリーガルハイの場合をいくつかの例外を除いて考えると、古御門は赤目医師の弁護人では無く、勝てそうに無い原告の弁護の方をこそ担当し、時にはタブーとされる様な論旨でありながら「そりゃそうだよね」と多くの人が敢えて口にしないだけで心の片隅に大なり小なり思っているところを暴論の様に映りながらも、とても重く説得力のある陳述でひっくり返す姿を期待した視聴者には違和感をおぼえても不思議では無いと私も思う。


また、違った側面で言えば 今回の原告側には「難病患者の死」というテーマがあるから、それに対して古美門流の発言は弱者にさらに鞭打つ言葉と感じられた視聴者も少なく無かったのではなかろうか?


人間一人一人の死に大きいも小さいも無い、たとえデータ上は1.3%であっても本人にとっては掛け替えの無い命だ。

その事を赤目医師は全く判っていない。

膨大なデータを調べたから何なんだ、そこに一人一人の人生が書かれているのか? 

どんな悲しみを抱え、誰を愛し、何を夢見て生きてきたのか、これを読めば判るのか?

そういうものと向き合おうとも思っていないんだ、だから危険な治療でも軽い気持ちで勧めてしまう

死んだとしても何ら責任を感じずふんぞり返っている

冷たい言葉で家族の心を踏みにじっても平気でいる

所詮、人の命を金儲けに使っているからだ

落ち度が無い? 笑わせるな 彼の場合はそれ以前の問題だ。

医師として、人間としての資質そのものが欠落している

病人の悪口は言いたくは無いが、あえて言う 最低の医者だ


という原告側弁護人の台詞は大森南朋の熱演もあってヒューマニズム溢れるかの如き正論のように聞こえる人もいただろう と。


でもね、この発言を聞いていて


「死亡率が1.3%なんて薬って 危険薬じゃなくてむしろ特効薬なんじゃねぇの?」


と、私は反感に等しい疑問を抱いたものだ。


つまり、原告側弁護人の本当の意図した事は「医療過誤」そのものを問うのでは無く、公的な場で被告人である赤目医師個人が製薬会社から多額の金品を受け取っていた…とか、若い愛人が沢山いた…とか、性格や態度に問題が多々あった…とか、いわゆる赤目医師本人の人間性を追求する事で感情面を揺さぶり、示談金を支払わせる事なんだな…とストーリーの途中で認識していた視聴者にとって 上記引用した原告側弁護人の主張は ともすれば「最低の医者が治療にあたったから医療過誤」と、子供の屁理屈みたいな言でしかない様に感じ、被告側弁護人が古美門じゃなくても言い返せるレベルでしか無いわけで、それに対する古美門の暴論の様に映る陳述 特に


教えてやるよ、訴えたいなら科学を訴えろ

貴方の御主人を救えなかったのは現代の科学だ


という台詞は 原告側弁護人の台詞を大森南朋の熱演もあってヒューマニズム溢れるかの如き正論のように聞こえた人達には ともすれば反感を抱くぐらいに厳しい言葉に聞こえたのかもしれないね。


それとね、あくまでも私の個人感を言えば 難病に対して 例えば、このドラマの様な新薬を用いるか否かの選択において 医師も患者も患者の家族も最も気にし、考慮するのはデータなんだよね


治癒率、死亡率、副作用の内容と程度… 


原告側弁護人が問う 患者一人一人の人生や、抱えている悲しみや、誰を愛し、何を夢見ているか?…って事が新薬投与の是非を含めて患者の治療方針の判断材料に必要なファクターであるとすれば それは医師側では無く、患者側(家族も含む)のファクターであって医師に求めるのは無理なファクターじゃないかな?と 私には思えてならない。


たしかに、冷たい言葉や態度で患者の心を踏みにじったのであれば それについては謝罪や反省は必要かもしれない。


でもね、私自身 親戚の一人が危篤の際に 縁者で最も身近にいたのが私だった事もあって多忙の中を遣り繰りして病室に駆けつけ


「俺に出来る事があったら何でも…」という意味で


「何かあったら直ぐに言いなよ」


と、患者の家族に言ったところ それを聞いた家族の一人が


「何かあった(=死んだ)ら直ぐに言いなよ」


と、私が言ったと受け取り それ以来、今日に至るまで絶縁されている(これホント)


まぁ、それはそれまでの私の人間性に問題が多々あってそう受け止められたんだと言われればそれまでなんだけど、そんな経験を持つ私としては 自分ばかりが一方的に踏みにじられたという主張には素直に頷けず、だからこそ その後の古美門の台詞には痛快すら覚えたんだろうね


ただ、あくまでも私の個人的状況をもう一つ挙げておくと 私と一緒にこのドラマをローソンの黄金チキンを食べながら見ていた私の主治医であり、院長でもある人物が


「医者の人間性なんて問い質しはじめたら 治る病気も治らなくなっちゃうわな」


と、ブツブツ言ってるのを聞いた時、


「あぁ、こういう医者は確かに糾弾されるべきだよな」


と、原告側弁護人の言い分にも多少の理があると感じたのも事実ではある。




さて…


あくまでもブタネコの個人感として、私は今回のスペシャル版の描き方に制作者達の意図を好き勝手に汲み取り楽しめたので その理由を以下に記してみる




まず、申し上げておきたい事は 今回の「リーガルハイ スペシャル」は


リーガルハイ スペシャル

リーガルハイ スペシャル



知らない人には理解出来ないだろうけど、知ってる人ならば 誰が見てもドラマ唐沢版「白い巨塔」のオマージュというか、捩りというか、パロディというか



エンディングに「アメイジンググレイス」だしね。^^


私は山崎豊子は大嫌いだけど、彼女が書いた「白い巨塔」の原作は傑作だと思っている。


そして、田宮二郎が財前五郎役で映像化されたTVドラマシリーズも名作だと今でも思っている。


でもね、唐沢版のTVドラマシリーズは放映当時、世間的には傑作扱いされたようだが、私は部分的には評価するが、総論的には失敗作だと思っている。


山崎豊子の原作、そして田宮五郎版のTVドラマシリーズにおいて描かれた「医療過誤裁判」とは 要約すれば 財前五郎は胃癌患者のレントゲン写真に写っていた肺の陰影を古い病巣だと決めつけ、海外出張の忙しさにかまけて再検査を認めずに手術を行った為、胃癌の手術は成功だったが、実は転移癌だった肺の病巣が暴れだし患者は死亡した… つまり、転移癌を疑いもしなかった事が誤診として有罪だ と。


同時に、財前五郎は出世の野心が強く 愛人を侍らせ、部下の医師達には不遜で傲慢な人間性で 死亡した癌患者の術前検査を要望した若手医師や里見に対してプライドを傷つけられた怒りを優先させ検査を拒絶した事も 後に、その人間性を強く責められる…


でもね、原作を何回も読み直していて 私はふと思ったんだ。


・他の医師には見抜けなかったその患者の癌を発見した里見医師が 何故、ぎりぎりまで肺の病巣に気づけなかったのか?

・そんな里見ですら気づけなかった肺の病巣の癌化を余人が見落とした事って責められる事なのか?

・その上で 財前の手術後に患者死亡した事で裁判にまで至った時、里見は財前では無く患者の証人となって財前を糾弾する資格があるのか?


突き詰めればその三点の理由で 読者の誰もが「里見は誠実で真摯な医師」というイメージを持つのに対して 私はそれに賛同出来ず、財前の事を責めたり嫌う感情を持てず、むしろ実母を想う気持ちなどには感動すら覚えたんだな


でね、そんな唐沢版に関して私が失敗だと感じている主な部分はいくつかあるが、


 ●参考記事『白い巨塔・カテゴリー


特に大きな点は江口洋介が演じた里見の人物像の描き方である。


つまり、原作や田宮版の里見と唐沢版の里見の描き方の大きな違いは どちらも診察・研究に対して真摯で熱心 患者に対しての対応も誠実で実直、ではあるが、財前に対する接し方が 原作や田宮版の里見は学生の頃からライバルでありながら互いの事を認め合う友、であるのに対して 唐沢版では「友」という部分が薄い。


それが、医療裁判になり 里見が遺族側の証人として行った証言の様子や中身にも その差が出てしまい なんか唐沢版の里見は、綺麗事ばかりを並べ立てて実際には邪魔ばかりで何もしない共産党員と重なって映る様で好きになれなかったんだ 私は。


だから、唐沢版「白い巨塔」の里見を見ていて つい、私は思ったんだ。


「もし、裁判沙汰にまで至ってしまった患者の癌を里見が発見出来ていなかったなら その患者はどうなっていたのかな?」


と。


つまり、ブタネコ的強引な別解釈で言えば…


もし、里見がその患者の癌を発見出来ていなければ 遅かれ早かれその患者の容態は悪化してから癌の存在に気づけたとしても既に手遅れの状態で 結果的に患者は死亡していたであろうし、その患者を財前が手術する事にはならず、医療過誤裁判は起き得ない。


…と言ってしまえば身も蓋もないんだけどね。


里見があまりにも優秀な医師だったから癌を発見出来、財前の卓抜した手術技能であれば切除し、治癒へと至る可能性が大…と、思われたからこそ転移癌によるその後の裁判沙汰へと発展するんだけど その患者を診察したのが里見では無く、並の医者であれば癌を発見する事は出来ず、結果的に手遅れとなった可能性が大だった…


と、同時に江口洋介が演じていた唐沢版の里見は 真摯な医者像を視聴者に強く植え付けようとするあまり、命の重さや検査の重要性を力説しすぎていて

「だったら、なんで転移癌を疑い 自分で検査しなかったのか?」

という反感ばかりが強く感じて鼻持ちならなかった それが最大の失敗点だと私は感じている。


要するに、「白い巨塔」における医療裁判の経過は 財前がほんの少しでも患者家族の要望に従い 患者を再診するなり、せめて再検査に同意していれば… 要は、財前五郎の人間性を問う事ばかりに読者や視聴者の目は向く


でもね、暴論と批判されるのを覚悟で言えば 医師の性格や人間性にどんなに問題があろうとも、治療に成功すれば神扱いで 治療出来なかった時に人間性を問題視して犯罪者同然に罵倒し責任を背負わそうとするという姿勢には 私は時に歪みを感じるわけだ


で、話を この「リーガルハイ スペシャル」に戻すと…


よく注意してドラマ全体を眺めた時に ブタネコ的こじつけ解釈ではあるが、人間性が最低で訴えられた「赤目医師」って 「白い巨塔」における「財前五郎」と強引に置き換えた時、このドラマって


「もし、”白い巨塔”において”財前五郎”の弁護を古美門がしていたら こんな感じだったんじゃないか?」


と、夢想出来る様な面白さが隠されているように私は感じ、「あれ? これって唐沢版白い巨塔に対するアンチテーゼか?」なんて匂いを強く感じ そんな意識を持ってドラマを見ていたら これが実に面白かったんだな




それとね、ついでながらちょっと違う話を失礼すると…


自分の家族や友人の誰かが亡くなった時に、その人がかかっていた病院・医師になんらかの不信感を抱いた… そんな経験のある人がこのドラマを見た時「何か違う!」と違和感を覚えたのだとしたら それに対して私はどうこう言うつもりは無いし言える立場にももちろん無い。


ただ、一応こんな私でも とある医療法人の理事という肩書きを持つ病院側の人間として これまた暴論と批判されるのを覚悟で言えば、例えばよくある事例として


「交通事故で内臓破裂、脳梗塞、くも膜下出血など 脳障害で救急搬送された患者が死亡したり、重度の後遺症を負った」


…なんてケースの際に たまたま後から判った事実として


「その患者が搬送された時に名医と評判の医師とか、経験豊富なベテラン医師が不在で対応したのが若い当直医だけだった…」


と、知った患者や家族が


「ちゃんとした医師が診てくれていれば 死なずに(重度の後遺症を負わずに)済んだんじゃないか?」


と、考え 中には


「もしかしたら、若い当直医の経験不足によるミスが…」


という風に思考が流れていく人が 実は少なく無い。


「じゃぁ、犠牲者はどうなる?」

「気の毒だ」

「それで済ますのか?」

「済ますしか無い」

「残された人間の悲しみはどうなる? 彼女がどんな思いで生きてきたと思ってる? この先どんな思いで…」

「死んだからこそ意味があるんだよ」

「なんだと?」

「死は希望だ」

「ふざけるな」

「その死の一つ一つが医療を進歩させてきた 現代の医療はその死屍累々の屍の上に成り立っている

 誰しも医学の進歩の為なら犠牲があっても仕方が無いと思っているはずだ その恩恵を受けたいからね

 しかし、その犠牲が自分や家族であると判った途端にこう言うんだ

 ”話が違う”と

 何で自分がこんな目に遭わなきゃならないんだ 誰のせいだ? 誰が悪いんだ? 誰を吊し上げればいいんだ?


原告側の弁護人(大森南朋)と古美門のやりとりの中に上の引用の部分がある。


実際に、どんなに名医だゴッドハンドだと評判の医師であっても 彼らには若く経験不足な時代があり、彼らが救いきれなかった患者は数え切れないほど存在する。


そういった経験を踏まえたからこそ 昨今、彼らによって救われた患者にとっては名医であり、ゴッドハンドなのであろうけど、そんな彼らにとって彼らが救いきれなかった患者は 彼らが現在の卓抜した技量を磨き上げる上での練習台だったのか?


もちろん、私はそんな卑下した見方をするつもりは無いけれども 彼らが救いきれなかった患者の家族や友人からは 今でも「あのクソ医者」と ともすれば彼らを恨んでいる人も少なからず存在する


恨んでいる人達は総じて


「あの時、あいつじゃなくて別の医者が対応してくれていたら…」


という思いが強い。


亡くなったのが最愛の家族、最も自分にとって大事な人であれば その思いはさらに強くなるのも理解出来るが、同時に私は


「では、何故その病院で治療を受けたんだ?」


「その病院に搬送した救急隊が悪いのか?」


「なんで、そんなタイミングで患者は発症してしまったんだ?」


つまり、それらは全て「運命」って言葉で片付けるしか無いだろ? と、私は思っており、


「納得出来なかろうが、我慢出来なかろうが、助けようとした人達を恨むのは止めようよ」と。


でも、表現は悪いかもしれないけど 亡くなった患者達の死の数それぞれが名医を作り上げる肥やしになったお陰で 後にそれ以上の数の患者が救われた…


古美門の台詞は私にはそういう風にも聞こえたからこそ、説得力に重みが増して感じたんだな




で、最後に…


私事で恐縮だが、私と嫁 それにいまでも家族同然の親交のある悪友達にとって掛け替えの無かった友人を高校生の時に失っている。


そんな”亡き友”の話は このクソブログの中にこれまでいくつも記してきたので御存じの方も多かろうが、彼女が亡くなった原因は”白血病”で 今から40年ほど前の事。


今でも白血病は恐ろしい病気で残念ながら亡くなってしまう患者も少なく無いが それでもいろいろと治療法が研究され、寛解する患者も大勢いるが、今から40年前のその当時は治療法自体が手探り状態で 患者の殆どが、研究段階の新薬の僅かな希望に縋る思いで まさに治験と称する人体実験の如く投与を受け副作用に苦しみながら亡くなっていったんだ。


我々の”亡き友”も 親父さんがアメリカやドイツから研究中の新薬を取り寄せ、その結果… 実際にそういう過程を耳目にしている身としては


教えてやるよ、訴えたいなら科学を訴えろ

貴方の御主人を救えなかったのは現代の科学だ


という古美門の台詞は「ご尤も」と まさに実感を伴う心の底からの同意出来る言葉だったから、この台詞に共感出来なかった方々の御心中をお察し申し上げる事は出来ないんだな。


…というわけで、以上が非公開コメントを下さった方々へのレスも含めた追記です。

お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

ブタネコさん
はじめまして。いつも興味深くブログを拝見させていただいております。
リーガルハイのふざけてるのか真摯なのか
つかみ所のない魅力に、いつもまんまと踊らされています。
今回のお話でも、様々な価値観の余地を残すような
懐の深い包容力のある世界観に
すごい物語が紡げるなあと感心させられました。
また、ブタネコさんの私見に、観る人が作品をより豊かにするのだなと、感じました。

いつも楽しく拝見しております。

今回のリーガルハイでの私がポイントと思うのは、
「医は科学」という弁論ではないでしょうか?

私自身は昔より、そうであると思いますし、「医は仁術」と考える医師でも
そう自負もしくは認識されている方が多いのではと、勝手に思っております。
 
上記の言葉は「医学は大きな目でみると化学や生物学(だけでなく物理や数学)と同じカテゴリ」という視点で捉えれる方もおらるかもしれませんし、私もそういう面あると思うところもありますが、
本当のところは
「医師というものは研究者という側面もある。
また研究者として医学の発展に寄することを是とする医師もいる」
という面のウエイトの方がこの言葉の意味としては大きいと気がしております。
(ここで赤目医師が臨床医だが研究医としての側面が大きい医師であったかという問題もありますが)
その次に続く言葉として
「せめて狂気の世界で戦い続ける者達の邪魔はするな」
となるのではないでしょうか?

技術者の端くれとして、エールをもらったようで、目頭を熱くする言葉でしたが
この辺りが、
いかなる場合も命を絶対的正義として一番に考えるべきとされる方には
絶対的に受け入れられないのではないでしょうか?
戦争の是非、原発問題など、
命、そして当事者の思いをまず考えるべきでありますが、
多角的に議論すべき点があるのも事実であると思っております。

★ みかん さん

コメントありがとうございます。^^

私の記事は 好き勝手に思った事を記しているだけの事ですから そんなたいそうなモノではありませんので気恥ずかしいです。^^


★ hig さん

そうかもしれませんね。^^

ブタネコさん、こんにちは^^

追記、拝見いたしました。

なんだか損した気分です。
してやられた感じがします。

だってですねえ、見てないんです。
『白い巨塔』^^;

・・・・・・つまり。

“お楽しみの要素”が私の中になかったがために、途中でドキュメンタリーかなんかを見ているような気分になって、「ここまでテレビドラマでやっちゃうのか」と、マジになってしまったということなんですね。

と、ブタネコさんの追記を読んで、腑に落ちてしまいました。

恐るべし古沢良太!!

ただ。
その要素がなく楽しめた方もきっといるのでしょう。

だとすると、楽しめなかった私の中には、医療を扱ったテレビドラマに対してレッドラインが設定されている事は確かなんだろうなあ....ということが、実は一番ショックです^^;

★ slan さん

あら、「白い巨塔」を見てませんでしたか… そりゃもったいない。

>医療を扱ったテレビドラマに対してレッドラインが設定されている

私は御承知の通りありますよ しかも、かなり歪で高いハードルが^^

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。