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2014年08月27日

● A子の話(エピローグ)


その後の事を 少しだけ記して「A子の話」はひとまず今回で完結という事にしたいと思う。




B子と私は結婚し今に至る。


変な言い方だが、彼女との生活は予想以上に楽しく 奇縁とは言え、私には幸運だったと感謝している。


ただ、ひとつだけ困った事は 娘達が小学校の高学年に育ち、そろそろ思春期かって年頃になった時、お決まりというかお約束みたいな話なんだけど


「ねぇ、父上とママは どうして結婚したの?」


と聞かれた時に 私は応えに詰まり、即座に答える事が出来なかった事。


正確に言えば 実はもう一つ


「ねぇ、父上の職業って どう言えばいいの?」


という質問も 私にはとてつもなく応える事が難しい難問だったのだが、それについてはどうでもいい。


「ねぇ、父上とママは どうして結婚したの?

 どっちから、どういうプロポーズの言葉を言ったの?」」


そう問われて応えに詰まる私を嫁は笑って見ているだけで なんの援護射撃もしてくれない。


「あ、そうだ 仕事の電話をしなきゃならないのを忘れていた」


そんな風に誤魔化して その場から私は逃げ出してばかりだった。


で、いつしか娘達が中学・高校へと成長していくウチに その質問が私にされる事も無くなった。


そんなある日、嫁の親父さん(B子の親父さん)が亡くなり その葬式を終えた数日後の事。


長女と次女と嫁が仲良く三人で 何気に嫁の親父さんの思い出話をしているのを盗み聞きしていると…


「そう言えば、おじいちゃん(B子の親父さん)が ずっと前に言ってたんだけど…

 父上とママって おじいちゃんのせいで結婚したって言ってたんだけど ホント?」


そう聞かれて嫁は「え?」って感じで固まっている。


「おじいちゃんがね言ってたんだ…

 おじいちゃんは 父上が実の息子同然に可愛くて仕方が無くて本当の息子にしたかったんだって

 で、父上の方のおじいちゃん(私の父)に

 ”俺の娘(B子)をオマエにやるから オマエの息子を俺にくれ”

 って頼んだんだって。

 そしたら、父上の方のおじいちゃんが

 ”二人を結婚させたら 両方、俺たちの子供って事にならねぇか?”

 って応えて お爺ちゃん同士が

 ”そうだそうだ、そうしよう”ってなった…って。」


それを聞いて、思わず私は


「そんな話は聞いてない!」


と、思わず口を挟んだのだが その瞬間、いや待てよ、充分にあり得る話だなぁ…とも感じ考え込んだ。


B子の親父さんは あの頃、


「キサンはオイの倅も同然ったい!」


と、よく言ってた。


しかしながら、B子の親父さんは私にはとても厳しくおっかない人だった。


でも、私はそんなB子の親父さんが大好きだった。


時々だけど


「そいで良か、キサンもなかなかええ奴になったっちゃねぇ」


と、褒めてくれた時は私も心の底から嬉しかったんだ。


そんな事を思い出しながら考えていたら結果オーライで良しとしよう…と、笑えて仕方がなかった。


同時に、


「(B子の)親父さん 本当に楽しかったよ、ありがとう」


と、感謝の念が心の底からこみあげた。




私はA子の事を A子が亡くなって以降、今日に至るまで片時も忘れた事は無い…と言ったら 正直嘘になる。


でもね、A子が私に何気なく言った言葉は 不思議な事にその後の私にとって節目になる様な場面で必ず頭の中に蘇り、今思えば それに救われた感が強い。


例えば、


「ブタネコ君 諦めちゃダメだよ

 諦めたら入れる学校だって入れるはず無いんだよ?

 諦めちゃったら、ブタネコ君のお父さん達が可哀相だよ

 やるだけやって、もしダメだったらその時にまた考えればいいじゃない?

 やる前から諦めちゃうなんてブタネコ君らしくないよ」


高校受験の時の上の言葉は その後、私が何かに挫けそうになったり、途中で諦めようかなと思い始めた時 決まって、頭の中に蘇り そのお陰で私は周囲から良く言えば「粘り強い」 悪く言えば「しつこい奴」と思われ、大概の事は私にとって良い結果へと繋がった。


また、A子は


「ブタネコ君 人生ってさ、何が起きるか判らないから面白いんだよ

 まぁ、私の場合は こんな病気になっちゃったからあんまり笑えないんだけどね

 それでも、もしかしたら奇跡を味わえるかもしれないし、悪い結果に終わっちゃうかもしれないけど

 この先がどうなるか先に判っちゃうのって 読みかけの推理小説の犯人や動機をバラされちゃうのと一緒で

 酷くつまんないもんね」


高校三年の時、私は中学の時の自衛隊生徒進学辞退という 私にとってとても残念な思い出を払拭すべく防衛大学進学を目指していたのだが、ペーパー試験は合格したけど身体検査で心臓の欠陥が指摘され不合格となった。


その時に判明した私の心臓欠陥とは 実は私が産まれた時に既に抱えていたもので 実際にはとても発見しにくい症例ではあったのだが、その時点までに発見されなかった事はおろか、何らかの障害や発作が起きていても不思議じゃ無いものだという事も判った。


つまり、中学の時点で既に心臓にそんな欠陥があったのに トラブルが無ければ気づかずに自衛隊という肉体的にハードな世界に入っていた筈の私は 遅からず発作を起こしてくたばっていたに違いない…って事でもある、


憧れのヘリパイロットという夢は根本的に見ちゃいけない夢だったのだと思い知らされた瞬間でもある。


で、印象的なA子の言葉をもう一つ挙げておくと


「ブタネコ君、物事ってさ 悲観的に考えたらその時点で負けなんだってさ

 だから、私はとことん前向きに笑っていようと思うんだ。

 悲しいとか、悔しいって思ったら そこで負けなんだもん」


だからなのだろうけど、心臓の欠陥が判った時、私は悲観的な事を考えるよりも先に A子の言葉を思い出し


「A子ぉ、ホントに人生って 何が起きるか判らねぇな…

 知らないうちに、あの時(自衛隊生徒進学辞退)、親父のお陰で俺の寿命が伸びてたんだわ」


って感じで なんか笑えて仕方が無かったんだな。




B子はもちろん、今に至るまで忘れた事なんか無いだろう。


私はB子と婚約して以降、私の方からB子にA子の話をしたり、聞いたりした事は必要最低限でしかなく、B子も年に一回か二回 何か気が向いた時に


「そう言えば、A子が…」


と、話す時があるぐらいでしか無いのだが、10年経ち、20年が経ち、30年が過ぎても 彼女はA子が死ななければならなかった事への怒りが未だに治まっていない事と、A子に対する友情が未だに何一つ変わっていない事は B子の旦那をやってりゃ嫌でも判る。


で、A子の言葉をもう一つ挙げておくと…


「ねぇ、ブタネコ君、”タラ(鱈)”とか”レバ(レバー:肝臓)”って 口に入れて飲み込むものであって

 口から言葉にして出しちゃいけないんだってさ


 ”~だったら”とか”~してれば”って 結局は後悔してる意味になっちゃうでしょ?

 後悔になっちゃう事を考える暇があったら、この先何をしようか?…って事を考えた方が楽しいよね?

 誰が言ったのか知らないけれど巧い事言うよね?」


だから、私は「もしA子が生きて”たら”」とか「あの時、A子に~してい”れば”」なんて事を考えた事が無いと言えば嘘になるけど、間違っても口にした事は無い。


”たら”とか”れば”は腹(心)の中に飲み込んでおくものなんだからね。




ちょっと言い訳めいた話だが…


このブログに「A子の話」として綴り始めたのには別段深い意味は無い。


A子の事を思い出し、書き記してやる事で それが彼女のへの供養…なんて考える人がいるかもしれないが、私にはそんな気持ちや考えは欠片も無い。


しいてカッコつけた事を言えば、娘達に


「オマエ達の父と母が若い頃にな…」


って感じで昔語りをしてやろうにも 私達夫婦においてA子抜きの昔語りは意味が無いし、かと言って 嫁の前でA子の話は出来ない… そのジレンマをこの「A子の話」を書き残す事で埋め合わさせてもらった様なもので、仮に、私がくたばってこの世からおさらばした後に 娘達が遺品整理の最中にこのブログの存在を知り、この「A子の話」を読めば… そう、娘達へのサプライズのひとつなんだな


「人生は何が起こるか判らないから楽しいんだよ( by A子 )」




さて、最後に… 届く事を期待して「A子への私信」


俺はA子に 言葉では言い尽くせぬぐらい深く、大きく、心の底から感謝している。


A子がこの世からいなくってから約40年の俺の人生において いろいろと節目になった時、ピンチの時もチャンスの時もA子の言葉を想えば楽しく過ごせてこれたからだ。


そんな想いはB子も間違い無く 今でも変わっていない。


B子はね、A子が亡くなって以降、A子の月命日や それがどんな内容なのかは俺には判らないんだけど、A子とB子との間で何かの記念日みたいになっている日とかに 家のどこかに小皿に唐揚げを一つ陰膳の様に供えているのを俺は知ってるんだ。


そう、中学生の時に俺とA子が知り合うキッカケになった弁当のおかずの唐揚げだよ


A子、オマエどれだけ俺のオフクロの唐揚げの味がお気に入りだったんだよ?


入院中に俺のオフクロの味付けの唐揚げが食べたいって何度もB子に頼んだんだろ? 


あの頃、B子がウチの台所でオフクロと唐揚げの作り方を習っていたのか… 俺、それ見た時に「あ、A子だな」って気づいてはいたんだけど 今でもずっと知らんぷりしてるんだ。


お陰で、B子はオフクロの唐揚げの味付けを完全に引き継いだよ。


ついでに言えば、喫茶「職安」のカレースパゲテイの味付けもB子は喫茶店のママから教わって身につけたんだよ、今度A子にあったら作って食べさせるんだとさ


お陰で、俺のオフクロや喫茶「職安」はもうこの世には無いけれど、今でもB子に時々作って貰って昔を懐かしませて貰ってるんだけど、まぁ、そんな事はどうでもいいね。


A子が逝っちゃった後、高校生の時はB子の机の上に唐揚げの小皿は載っていた。


大学、そして社会人になって以降 A子が俺と一緒に暮らし始めてからは 彼女の化粧台の片隅。


化粧品や香水と並んで ニンニク臭たっぷりの唐揚げだよ 笑っちゃうよな?


どんなに間抜けな俺だって そんなの見れば「え?」って気づくよ


そして、今でも それは続いてるんだよ。


俺は気づいているし、知ってるんだけど あえて意地を張って知らんぷりをしてるんだ。


それで彼女の気持ちが少しでも和らぐのなら、触れずにおくのが粋ってもんだろ?


なぁ、A子 さすがにA子の唯一無二の親友だけあって B子は良い奴だよな。


縁結びにとどめを差してくれた事、本当にありがとう。




                                                --- 完 ---


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コメント

お久しぶりです。
長いお話の完結おつかれさまでした!!
そして、書きあげて下さってありがとうございます!!

最初、A子さんのお話での一人称が「僕」であることに違和感があったりしたのですが、お話の時代に使っていた一人称だったのですかね?
過去のお話は前からブログを読ませていただいていれば、なんとなく分かっている結末ではあったのですが、きちんとその時の状況を読むことが出来て感謝しています。

お話を読んでいて、いっぱい泣いてしまいましたし、いろいろな感想をもちましたが、文章にうまく立ち上げられません。

ただ、一つだけA子さんのお話が娘さん達へのサプライズというのがとても素敵だなと思いました。
このブログがいつか、ご家族の目にとまることは間違いないでしょうし、ご両親の過去にいろいろなことがあったことを知ることが出来るのは娘さん達にも幸せなことだと思います。

A子さんは、今でも近いところにいる存在なんですね。唐揚げのこと、よろこんでいるのではないでしょうか。
A子さんのご冥福をお祈りもうしあげます。

中々、うまく言葉が出て来ませんが、これからも末永くブログを続けて行って下さい。
お話があがるのを楽しみに待っていますね!!


ブタネコさんへ
すばらしいお話ありがとうございました、と同時にご苦労様でした。この話、娘さんたちも最も聞きたい楽しい思い出だと思います、それ以上にお孫さんたちにはすばらしいお話だと思います。僕も含めて普通の人は祖父母の思い出と言うものはほとんど有りません、それをこういう文章と言う形でしかも内容も波乱万丈、お孫さんたちが嬉々として読むことが想像されます、何時までも語り継がれていくと思いますよ。

ブタネコさま
こんにちは.NFieldです.A子の話,ありがとうございました.
辛い内容も書かれているので,楽しく読ませていただいたというと語弊があるかもしれません.でも,私にとってA子のシリーズは,その1から最後まで,ほぼリアルタイムで読ませていただいた最初のブタネコさんのシリーズでもあり,各回がアップされるのを本当に楽しみにしていました.実は私のスタッフや飲み友達にもブタネコさんのブログは紹介してあって,A子の連載中はもちろん,休刊中も「最後になって筆が止まっているのでは」とか,「いやいや,書き上がってはいるが,大事なところなので,推敲に推敲を重ねているのでは」とか,「当局にブログの存在が発覚して,発禁になっているのでは」とか,「やっぱり木村多江はいい」とか,時々話題に上っておりました(最後のはA子とはあんまり関係のない私の趣味ですが…).月曜に「その36」以降の再開を報告をしたところ,また1から読み直しだなと言っている方もいました.(当然,私もそのひとりですが…)
 感想も意見もない単なるファンレターになってしまい恐縮です.お礼の気持ちでけお伝えしたく,コメントいたしました.本当にありがとうございました.

2011年の『その1』から約3年余り、職安シリーズに続き、
ブタネコさんのブログで大好きな話しでした。

毎回、読む度に自分の中高生の頃を思い出したり、
大切な人との生き死に別れに思いを重ねたりして涙しておりました。

でも、変わらないのは拝読後、いつも自分の心が寂しくも、
優しく穏やかな気持ちになっていたことです。
沢山の暖まるエピソードをありがとうございました。

次の『B子の話』シリーズが始まることを期待しております。

お話を読ませていただき、ありがとうございました。

本当にいい話ありがとうございました。

でも、なんだよぉ〜夏の終わりに・・・・・
両目から溢れる水が止まりません。

ブタネコさん こんばんは。

まさかと思ったら、終わってしまったんですね。
何か喪失感というか寂寥感のような、満足感というか、
今は何とも言えない気持ちが正直なところ。

読者(?)も、息をひそめているかのように、時間が
ストップした感じ。(それともレスの小休憩?^^)

改めてその1から読み始め、その後にコメントをと
思いましたが、あっちこっち寄り道をしてしまい、
再読完了まで日にちを要すと思い直しての
まとまらない感想です。

最後に、とどめの唐揚げのエピソード。また、
泣かされましたよ。それと、あと「サプライズ」の
目論見。私は、B子さんはブタネコさんのブログを
すでに知っているのではないか、と。なぜなら、
いつも奥さんのほうが上を行ってるもんね^^。

ほんとに、いい話をありがとうございました。

長かったA子の話も終わりを告げてしまいました。
もしかしたら予想を裏切って誰某の奥さんとして・・・というのも期待してはいましたが、果たして悲しい結末でした。ただ、ブタネコさんの文章や、周りの方々(特に親父さん達)の微笑ましいエピソードに救われたような気がします。ありがとうございました。

★ sei さん

こちらこそお久しぶりです。

>僕

過去の話なんで意図的にそうしてみました。^^


★ ボース さん

まぁ、こんなジジィが一人ぐらいいてもいいかと^^


★ NField さん

こちらこそコメントありがとうございました。

掲示して良かったと嬉しいです。

木村多江は 本当に良いですね。^^


★ 高橋信之 さん

こちらこそ御一読頂ありがとうございました。^^


★ ぴの さん

こちらこそ御一読頂ありがとうございました。^^


★ Wen さん

お? 元気だったかい?


★ おじさん さん

>私は、B子さんはブタネコさんのブログをすでに知っているのではないか、と。

かもしれません、が、もしそうだとしたら彼女はこれまで巧みに「読んで無いふり」をしており… うん、彼女ならやりかねません。

でも、これまで文句を言ってこないところを見ると黙認というお墨付きかもしれませんね。

今後もよろしくお願いします。


★ 寺西康年 さん

御一読頂きありがとうございました。^^


☆☆ その他、非公開希望でコメントを頂戴した皆様


 ありがとうございました。^^


【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。