« 抱きしめたい | TOPページへ | A子の話(その37) »

2014年08月23日

● A子の話(その36)


結論から先に述べるとA子は 高校2年の時にこの世を去った。




僕、B子、後年に親の跡を継いで開業医になった友、180cm男等々… 同じ中学から同じ高校に進学した者達の中で 最も高校生活に夢を見ていたA子だったが、入学早々に倒れて入院し、それから2年間弱の後に還らぬ人となったわけで、真の意味で彼女が高校生活を過ごせたのが1ヶ月も満たなかったのは実に皮肉な話である。


僕や後年に親の跡を継いで開業医になった友、180cm男等々…は A子が入院した当初は


「さすが絵に描いた様な社長ご令嬢だけあって 多少は身体が弱いぐらいでお似合いだべ」


…なんて しばらくの間、事の重大さなんか全く考えもしていなかったから、入院が思いの外長引き、やがて真相を知らされるに至った時、それまでの自分達の軽薄さに激しく自己嫌悪した。


実際に、僕たちがA子の病気が「白血病」だと正式に聞かされたのは A子が倒れてから数ヶ月後の事だったが、今思えばB子だけは 我々よりもかなり早い段階で知っていたのかもしれない。


けれども、A子が入院した直後からこの世を去る日まで ほぼ毎日見舞いに足を運び、いつかA子が退院して復学する時に困らない様にと 殆どの授業の黒板や教師の言葉をノートに書き写し、それをA子に渡していたのを私は一部始終知っているので A子は最後の直前まで望みを捨てていなかったのも私だけは知っている。


A子が入院してから半月ぐらい経った頃、クラスでは


「みんなでA子ちゃんを見舞いに行こう」


「早く元気になる様に千羽鶴を折ろう」


…なんて話が盛り上がり A子の病室を見舞いに訪れる子も僅かながらいたが、如何せん入学して間もなくの事だから ちゃんとA子の事を知っているのは同じ中学出身の子ぐらいのもので殆どが何も知らないに等しい。


にも関わらず、「同じクラスメイトなんだから」「仲間なんだから」と 当時の学園ドラマから悪い影響を受けた様な数名のお調子者達が扇動していたが、入院が長期になっていくにしたがい 飽きた様にそんな話題は消え失せ、その代わりに 何処からかA子の病が「白血病」という噂が伝わり始めると その当時、「白血病」という病気は 今と違って治療方が確立しておらず、ただ「不治の病」というイメージと発症のメカニズムも判っていなかった事から「伝染るから近くに行っちゃダメ」みたいな話ばかりが一般に伝搬されていて その結果、クラスメイト達はA子の話を話題にしただけで伝染しちゃうんじゃないか…みたいに 安易に、そして悪い意味での好奇心混じりに気味悪がり、毎日の様に見舞いに行くB子に


「アンタ、そんな真似して アタシ達にまでA子の病気を伝染さないでよね」


…なんて言ったアホを B子が学生鞄で乱打した上に倒れ込んだところを蹴りまくる事件が起き、止めに入ったアホの彼氏がB子に暴言を吐いたのを見過ごせず その彼氏を僕がボコ殴りにした結果 何故か僕だけが三日間の自宅謹慎の刑に処されたのは 今では良い思い出だ。




さて…


B子は毎日の様に見舞いに行ってはいたが、僕や後年に親の跡を継いで開業医になった友、180cm男等々…は 女性であるA子の病室に行くのは正直言って気が引ける、というか、色々と気が回りすぎて行き難いものがあったのは事実だ。


でも、入院して間もない頃は A子の見た目も病状もさほど軽かったのであろう 病室の外の談話室などでお喋りに興じる事は何度かあったが、入院から数ヶ月が経過したある日 A子の親父さんから正式に「白血病」という病名を知らされ 安易な見舞いなら来るなとも言われて僕たちは見舞いに生きずらくなったのだが、それもしばらくもしなうちにA子の親父さんが 僕たちに多額の小遣いを差し出し、「学校が終わったらタクシ-で来てね」とか「出来ることは何でもするから 娘を頼む」と頭を下げ 最後には「アルバイトだと思って 嫌でも話し相手になってくれ…」と懇願すらしてみせたのは 娘が病で塞ぎ込む事を ひどく怖れ、「娘が喜ぶためなら…」そればかりを考えたせいだろう


しかしながら、A子の病状が悪化するにつれて A子の母親は僕たち男子生徒が見舞いに来る事を拒絶し始め そんなA子の親父さんと母親の対応のギャップの激しさに僕たちは戸惑うばかりだった。


後になって、いや今だからこそ その時のA子の母親の感情は私には理解出来る。


それは、今の様な「白血病」に対する治療法は確立されておらず、治療方法といっても、表現は悪いけど いろんな薬を実験的に試すばかりの手探り状態…みたいな感じで 試す薬の副作用すらもよく判っていなかったんじゃないか?と愚考する。


というのは、入院から半年ぐらい以降 A子の腕や首には紫色の内出血と、それの治りかけの部分なのか濃く日焼けしたような褐色、それと元々の色白の健康的な肌とで まるで兵隊の迷彩柄の様に皮膚の色が入り混じっていて それが経過する日が嵩み病状の悪化に伴い どんどん健康的な肌の部分が少なくなって 紫色や土気色の とても人間とは思えないような色の部分が増えていく


それと同時に、身体は少しづつ痩せ細り 一番印象的だったのは、晩期には目の黒目の部分が白く濁り、後で聞いた話では殆ど失明状態だったという事。


それらの何が何処まで病気のせいで どこからが薬の副作用かは判らないが、要は娘のそんな冒されていく姿を他人に母親は見せたくなかったんだろう… そして、そんな姿を目の当たりにし続けていくうちに母親は気を病んでしまった…って事だ。


でもね、そんな姿でもA子は僕たちが見舞いに行くと嬉しそうに


「ねぇ、学校ではどんななの?」


と、高校で僕たちがどんな事をして 何をしているのか、些細な事でも楽しそうに聞きたがった。


で、先述したように 僕たちは というか、特に僕は入学早々に高校生活に失望していたので


「~って感じで楽しいよ」


と高校生活に人一倍夢を抱いたままのA子に話してやりたかったんだけど それが出来ず、もの凄く辛く葛藤したんだよなぁ…。


A子の母親は たぶん繊細な人だったんだと思う。


この「だった」と過去形で記さざるを得ないのは その後、A子の母親は精神的に壊れてしまって A子の死後、49日の法要の時を最後に僕たち男子は二度と会う事が無いまま今日に至ったからだ。


「なんで、A子だけがこんな目に遭わなきゃならないのよ!」


49日の法要が終わった後の会食の席で 突然、そう叫んで僕たちA子の同級生達にお膳や飲み物、手近にあった栓抜きやコップなどを手当たり次第に投げつけ始めたのを 周囲の大人達が押さえつけたのだが、その時のA子の母親の表情、特に目つきは尋常では無くなっており、僕たちは それを気の毒と思うほか無かった。


それに反して、A子の親父さんは その後も僕たちには好意的に接してくれて、特にB子は我が子同然に親父さんが亡くなるまで可愛がってもらった。




さてさて…


A子がこの世を去るのとほぼ同時に B子は無口になり、笑う事が無くなった。


そんなB子を最も心配したのは 当然の如くB子の親父さん。


僕を風呂屋に誘っては


「よぅ、アレ(B子)は学校じゃどげん暮らしとるん?

 学校でもムスッとしてから、笑わんごたるんか?」


等と湯船につかりながら事情聴取を繰り広げ 時に、


「せやけど、さすが我が娘っちゃ 友の為に最後まで尽くしたんやけんね

 キサン、”バディ”って判るかいや?

 戦場で互いに背中ば預け合って 寝食を共にしてから助け合うのがバディったい

 B子はそいがよう判っちゅう、さすが我が娘っちゃ キサン、そいが判るかぃや?」


と言っては 自分の言葉に感動して泣いたのを誤魔化すように両手で湯を掬って顔を洗う


そして、必ず最後に


「おぅ、キサンはアレ(B子)とオイよか一緒に居る時間が長いやけん ホントに頼むど

 アレ(B子)ば しっかと見とってくれな? 頼むど、な?」


と、念を押した。


A子が亡くなった直後は満足に食事を取ろうともせず、学校もサボり 一日中、豊平川の河川敷で川を眺めていたり、ただ黙々とあてもなく歩き、疲れたら手近な公園のベンチやブランコに小一時間座り、また黙々とあてもなく歩き… そんな日々を半月以上続けていたのを僕はB子の親父さんに言われたからだけの理由ではなく 気になって一緒にいるようにしていたから知っていた。


それらについては何も報告していなかったが、さすがにB子の親父さんは何かを察した様で


「まさかとは思うっちゃけど、アレ(B子)をこのままにしちょったら自殺すっとやなかやろね?

 キサン、そんな時は キサンが身を挺してアレ(B子)を守らんとつまらんど」


と、言い出す始末。


なので、ある日 僕は豊平川を眺め続けるB子に


「オマエ、まさか自殺したいとか思ってんじゃねぇだろうな?」


と、ストレートに聞いたのだが それに対してB子は


「そんな事したら 死にたくも無いのに死ななきゃならなかったA子に失礼でしょ? 絶対にそんな真似しないわよ

 それにA子と約束したんよ、私はずっと長生きして いろんなお土産話を沢山もってA子とあの世で再会した時に

 いっぱい、話して過ごすのよ。

 今死んだら 手ぶらだって怒られるわよ」


そう言ったのを聞いて「あ、こりゃ絶対自殺しねぇな」と確信した。


「(オマエの)親父さん すんげぇ心配してんのオマエも判ってんだろう?

 そろそろニコッと笑って”パパ大好き”とか言って 嘘でも抱きついてやってみな たぶん、号泣するぞ親父さん」


と僕が言うと


「泣けないんだよね…

 なんでか判らないんだけど A子が逝っちゃって ボロボロに泣かなきゃいけないのに 泣けないのよ

 ねぇ、なんでだろ?」


実は 僕もそうだった。


ただ、僕はB子がその時にそう言うまで漠然とでしか気づいていなかったから 自分が泣いていない事に気づかされたその時、それが何故かは自分なりに気づいた。


僕は腹がたって怒っていたんだ。


その頃の僕には 極めて友達と呼び合える相手が僅かしかいなかった。


そんな中でもA子とB子は たった二人の女友達であり、A子には恩義に感じた事をいくつも受けていながら何も返せていない本当に大事な友達


仮に、僕とA子 そのどちらかが死ななければならない状況だったとしたら 間違い無く生き残るべきなのはA子の方なのだ。


A子の葬儀の数日後に ある自称:敬虔なクリスチャンなクラスメイトが 心の底から本当に悲しんでいるのか? いや、クラスメイトの死に悲しんでいる自分に酔ってるだけなんじゃ無いのか? そう感じさせるクラスメイトの女の子を慰めようと 彼が覚えている聖書の一節なんかを語って聞かせ その上で「神の御意志なんだよ」と結論づけているのを目の当たりにした時、気づいたら その自称:敬虔なクリスチャンなクラスメイトを僕は殴り倒していた。


A子を死なせてしまったその理由が「神の御意志」とか言うのなら宗教なんてクソ食らえだ… それぐらい僕は腹が立って瞬間的に、そして無意識にそいつを殴っていたんだ。


僕は 実は僕も泣けていない事、その理由が「腹が立って仕方ない事」、そして上述した自称:敬虔なクリスチャンなクラスメイトを殴り倒した顛末をB子に話した。


すると、B子は


「そっか…、それだね アタシも怒ってるから泣けないんだ…、そっか…」


B子は 間違い無く、A子が死ななければならなかった事について誰よりも、僕なんかよりも何倍も怒っていたのだ。


と、同時に 毎日の様に見舞いに行き、A子と接していて 少しづつA子が死へと近づいているのを間近に見ながら何かと戦い続けてきたはずで にも関わらず、B子も そしてA子も力尽き果てたのだ。


例えばA子の葬式で 入学早々の付き合いで、ろくにA子と話した事も無い様なクラスメイトが


「A子ちゃんって本当に良い子だったよね 亡くなったの残念よね…」


なんて台詞を吐いたり、そう言った自分に酔うように涙ぐんだりするのを見ると


「アイツ、殺したい」


と、呟きながら拳を握りしめるのを何度も僕は目にし その殺意は明らかに本物だと感じて いざとなれば、直ぐにB子を押さえようと思った程にだ。


B子はしばらく遠くを見つめ、やがて


「そうだよねぇ…

 うん、たしかにそうだわ 怒りが鎮まらないから泣けないんだね。

 でもさぁ、どうしたら怒りを静められるんだろう?」


僕を見つめてB子は そう聞いてきた。


「判んねぇよ、っていうか 無理だろ?

 けどさ、お互い ずっと怒ったままじゃ何も先に進まないよな?

 とりあえずはさ、気ままに過ごして あのロクでもない高校をとっとと卒業しようよ」


自分でもよく判らないんだけど、僕はその時B子にその様な事を言い、


「そうだね」


と、B子は A子が亡くなった後初めて フッって感じに薄く笑った。


で、その日の夜。


いつもながらの様に その日は自衛隊官舎の僕の家で僕の家族とB子の家族、それとC男の家族が集まり それぞれの父親達は和気藹々と晩酌し、別のテーブルで子供達は晩御飯を食べ、それぞれの母親達は台所や父達のところ、そして僕たちのテーブルを巡る光景があった。


そして、その晩はB子は真っ先に食事を終え 自分の食器を台所に下げた足でB子の親父さんのところに行き、「なんだ?」とアタフタするB子の親父さんの横に座ると 私にはどう見ても作り笑顔にしか見えなかったが、ニコッと自分の父親に笑顔を見せると 金縛りにあった様に固まっている自分の父親に「パパ、大好き」と言いながらカパッと抱きついて


「お父さん お願いがあるんだけど聞いてくれる?」


と、元の姿勢に戻りながら言った。


B子の親父さんは 一声で多くの部下が戦場を走り回る陸上自衛隊の指揮官とは思えないほどアタフタしながら


「な・な・なんでも聞いちゃるけん 言うてみぃや」


するとB子は


「アタシ、今すぐじゃないけど ブタネコ君のお嫁さんになるから いいよね?」


家の中が一瞬、シーンと静まり時が止まった。


そして、数秒後、ドッと


「おう、そりゃ良い うん、うん、そりゃいい、そうしろ!」


僕の父親やC男の親父さんが大喜びし、僕の妹やB子の母親も笑顔でワッとはしゃぎだした。


しかし、背中をこちらに向けていて表情は確認出来なかったが B子の親父さんは固まったままピクリともしない。


そして、突然 しかも身に覚えの無い話に僕もB子の親父さんの背中を見つめたまま固まって動けなかった。


そんな僕を見て B子は今度は作り笑いでは無く、本心からの笑顔で


「嘘つき、アンタの言う通りにやったけど お父さん号泣せんよ?」


その時、ゆっくり振り返りながら僕を睨み付けるB子の親父さんの目は「巨人の星」の星飛雄馬や花形満よりも大きな炎がメラメラと燃え上がっていた。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

 この記事への御駄賃がわりに下のバナ-のいずれかを クリックして頂けると嬉しいです。^^
 (全部、クリックしてくれると もの凄く嬉しいのは事実です。^^)

ブログランキング・にほんブログ村へ Blog Ranking 人気映画・TVBLOG blogram投票ボタン BlogPeople「自分のこと」部門にクリック BlogPeople「テレビ」部門にクリック BlogPeople「映画」部門にクリック

『A子の話』関連の記事

コメント

待ってました!久しぶりの『A子の話』。

大切な人の死に面して泣けない気持ち、その後の日々の来し方。
映像が目に浮かんできました。
それにしてもいつもながら、B子の親父さんに心を持って行かれます。

ありがとうございました。

いつも拝読しています。
A子とB子が予想していた通りの人で、予想道理の結果ではありましたが、悲しさや切なさがひしひしと伝わり、泣けてしまいました。文章がお上手なので読みふけってしまいます。
毎度、関西人のようなオチがあるところも魅力的です。

★ 高橋信之 さん

お楽しみ頂けましたようで幸いです。^^


★ 寺西康年 さん

恐縮です。^^


【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。