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2013年10月01日

● 続々・世界の中心で、愛をさけぶ 2013再見


今回は第9話から最終話まで語ってみる。




実を言うと、ここしばらくTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」に関する記事をこのクソブログに意識的に掲示しないできたのを 気づいている人は少なくなかった事と思う。


まぁ、その理由については語るつもりは無いが、久しぶりに掲示してみると このクソブログをコンスタントに覗きに来て下さる方々におかれては まだまだ同好の士が多いんだなと実感させられる。




さて…


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


第9話は


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


亜紀のウェディング姿が拝める回


で、この回を見ていて個人的に目を惹かれるのは


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」



TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


どちらも亜紀パパの背中が 何とも言えず、感情移入してしまうシーンなのだが、それとは別視点で言うと ほぼ同じ防波堤での撮影なんだけど、海の色が夕日に染まったオレンジと 陽が無くなってしまった後の紫混じりのブルー


これって多少ながらカメラを弄り飛行機撮影に興じている身としては この色具合に惹かれてしまうんだよね


もちろん、プロのカメラマンによるテクニックが…とか、フィルターを駆使したり、撮影データにCG的な処理を加えれば…とか言い出す人もいるかもしれないけど、何のフィルターも用いず、画像処理も用いず、せいぜいがホワイトバランスの調整ぐらいでF-15の夕景撮影に挑戦している身としては唸る色具合なんだ。


であるがゆえに、それぞれのシーンにおける亜紀父の心情と海の色のマッチングが秀逸に感じられてならないのだ。




TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


そして第10話。


この回の空港シーン


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


いろんな意味で名シーンでもあり、ともすればロケ地となった福島空港は聖地として崇められる場所となっても不思議では無い。


ゆえに、『2008年春の旅(福島空港編)』という記事でも記したように 私は実際に福島空港に行き


2008年春の旅


ロケ地を目の当たりにした。


ま、結論から言えば 当たり前と言ってしまえばそれまでなんだけど、夢島や百瀬駅のロケ地と違って 元々が空港という施設の中の為、「そのまま」と言うわけでは無く、行ったタイミングが悪かった事もあって写真では判り難いだろうけど 亜紀と朔が座っていたベンチの場所は「ウルトラマン展」の展示物があり(右の窓に その関連とも言えるシールが貼ってあるのが判ると思う) 「助けて下さい」の場所は手荷物検査の場所と化しているのを見て その違いに今ひとつ馴染めなかった…という心情により、聖地と崇めるより、二度と行きたくない場所… そういう思いの方が強かった場所なんだな。




TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


で、最終話


このクソブログの他の記事をそれなりに読まれておられる方なら判って下さると思うけど、私の映画やドラマを見た感想記事は そのほとんどが批判的な内容である事が圧倒的に多い。


にも関わらず、このTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」に関しては批判らしい批判を 私はこれまでに記した覚えが無い。


それって、全く否の無いドラマだったのか?というわけでは無い。


例えば、第6話冒頭 夢島で倒れた亜紀を港に迎えに来た救急車がスピンターンしてる場面とか 第10話、病院から空港 そして、空港から病院へと戻った時系列に矛盾を感じる…等 オンタイム放送後にいろんな人達から指摘批判されたシーンがいくつかあるが、それらについては 私はどうでもいい… そう今でも感じている。


ただ、良い機会かもしれないと思うので 唯一、私が疑問に感じていた点を記しておこうと思う


それは最終話の


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」

TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」

TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」

TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」

TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


…という一連のシーン


亜紀が亡くなり、その死に対して朔なりに区切りを付けて医者になると恩師に話した後の回想シーンの一部に上の画のシーンがある。


何故、こんな部分に私が疑問を感じていたか?と言うと 第一話からずっと挿入されている緒形直人が演じる17年後の朔のシーンに17年後のスケちゃんやボウズや智世が登場しない点との整合性だ。


17年後の朔は故郷に帰って亜紀の骨を捲けずにいた間 何故、17年後のスケちゃんやボウズや智世と何故、会わなかったのか? いや、会おうとしなかったのか?


それにはいろんな理由付けや解釈が出来ると思うし それについてを私は誰かと論じ合うつもりも無い


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」


単に、「たまたま会わなかっただけ」でも構わないとすら思いたいのだが、上に貼ったキャプの様に 亜紀の死後、スケちゃんやボウズと笑顔で自転車に3ケツしていたのだとすれば 17年後に普通に会話していても不思議じゃないし、敢えて言えば 第5話で17年後の朔が夢島のタイムカプセルを探しに島に渡る漁船はスケちゃんの船であるべき…なんて余計な事さえ考えてしまうからだ。


例えば、映画版の「世界の中心で、愛をさけぶ」では17年後の朔は墓場で17年後のボウズと再会するシーンがあるようにね


でもね、矛盾するかもしれないが 私は17年後に亜紀の骨を捲き終えるまではスケちゃんやボウズとは再開しない方が説得力を感じるので 上の自転車のシーンはむしろカットして欲しかったな…と思うんだ


まぁ、誤解の無いように言い添えると 今回、今更ながら初めて疑問点を記したのは 私は基本的に自分自身で「神ドラマ」と思っている作品でも 丸ごと褒めちぎるのでは無く、違和感は違和感として素直に受け止めているという事も明記しておきたかったからなんだけどね。


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コメント


>「神ドラマ」と思っている作品でも 丸ごと褒めちぎるのでは無く、違和感は違和感として素直に受け止めている

この部分を私は否定するんではありません、という事をお断りしたうえで、ちょっと考えてみたんですが・・


サクは亜紀の死後、すぐにこの町と決別した訳ではありません。もしかしたらすぐにでも決別したかったかもしれないのに。

高校を卒業してからです。

何故かと言えば、医者になると決めたから。

医学部に入るには、まあ絶対という訳ではないでしょうが、現実的に考えれば高校を中卒って訳にはいかないでしょう。

ただ、医学部に入るために卒業まではこの町に残る、というのも筋は通ってるとは思うんですけど、このドラマ的にはしっくりこない。

なのでその卒業までは残る、という理由の一つに谷田部先生の存在を付け加えておきます。

谷田部先生には医者になる、という事も告げていますし、宮浦に帰ってきた時も彼女には会って話しています。

そもそも帰るきっかけも谷田部先生のハガキです。

なので帰ってから先生に最初に会ったのは偶然でしたけど、サクの中では先生には会うつもりだったんじゃないでしょうか。校門までですけど学校にも寄ってますしね。

それほどの存在の先生が11話でサクに医者になる決心を告げられた後「とりあえず授業にでなさいよ」と言い、それに対してサクもとりあえずの笑顔で「はい」と答えている。

まあ、これがですね、先生は「あんた、この町をでていくつもりかもしれないけど、とりあえず卒業だけはしなさいよ」と言っているようにも聞こえ、サクも「わかりました。卒業までは普通に過ごします」と言っているように聞こえる・・・は深読みしすぎですかね~?

亜紀の両親とウルルへ行った事によって、結局骨は撒けなかったけど、亜紀が死んだという事を忘れないために骨を持つことになります。

ウルルへ行っててっきり骨を撒いて亜紀とお別れが出来たのかと思った谷田部先生は、サクが結局骨を撒けずに「死んだ事を忘れないように」と持っていると聞き、暗い顔をします。

でもこうでもしないとサクは、ありもしない現実に期待する=夢、から、またぎこさなくてはならない亀裂を涙を流しながらでも現実には戻ってこれない。

これって亜紀の死後、家からも出ようとしなかったサクからしてみれば、実はちょっと前進してますよね。

なので今まではボウズがむりやり家からひっぱりだしてスケちゃんが殴っても現実に戻ってこなかったサクが、ふらふらではありながらも現実には戻ってくるようになった、という描写の一つにあの自転車の3ケツがあるのかな?とは考えられる気もしますが、どうでしょう?

卒業したらこの町から決別しようとは決めていたであろうと思うので、それまでの最後のスケちゃん達との想い出づくり・・・って考えもあり・・・かな?

★ うごるあ さん


朔が卒業まで高校にも町にも居た…というのは違和感を憶えません。

そして、その理由の一つに谷田部先生の存在…というのも否定しません。

自転車に3ケツで乗るのもアリとも思っています。


ただ、それだけに私の違和感は17年後のシーンにスケやボウズが何故登場しなかったのか?という部分にのみ生じるんです。(エンディングのシーンに関しては別として)

つまり、突き詰めて言えば 自転車の3ケツシーンが無ければ、そんな違和感も生じなかった…という言い方になるのかな?と。


まぁ、高3の良い思い出…みたいな受け取り方も出来るんですけどね。^^


ブタネコさん、おはようございます。

ご存知かもしれませんが、6月1日に、TBS CSにて「世界の中心で、愛をさけぶ」が
全話放映されます。うち、ナビ番組と1-4話は無料で視聴出来るようです。情報まで。

ttp://www.tbs.co.jp/tbs-ch/osusume/ayaseharuka/

追記:来月、双獅祭/聖地探訪してきます。

★ たまごろう さん

あぁ、もうそんな時期でしたね…(遠い目)


本日、TBS CSで一挙放送を再見しました。
とはいえ、第3話でチャンネル権を奪われ、心を締め付けられる切ない思いで貴ブログを見直していました。mixiが放置状態で貴ブログもなかなか行くことが減っており、いい機会だと思いコメントいたします。

祖父の死で泣けなかった朔太郎が、亜紀の広げた両手に抱かれ泣くシーン。
亜紀のポーズが、自転車に乗る練習をしていた幼少の朔太郎を招き寄せるポーズとの類似性に今回思い至りました。

貴ブログ、また楽しみに寄らせて頂きます。 

★ ぴの さん

お久しぶりです。^^

また一人、10年目の再発患者が現れましたか…


【※注意!!】

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