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2012年11月14日

● A子の話(その28)


今回の話を始めるにあたって、ちょっと長い前置きをお許し願う。




自衛隊に入隊する方法というか、制度はいくつかある。


多くの人が知っているのは 高校卒業者を対象として陸上自衛隊であれば「二等陸士」という階級から始まる任期制隊員としての入隊と、防衛大学という自衛官としてのエリート養成大学を卒業して幹部(三等陸尉)で任官される入隊するパターン


あまり一般には知られていないが、上述の他にも一般幹部候補生とか航空学生とか 色々とあるのだが、その中のひとつに 中学卒業生を対象とした「自衛隊生徒」という制度があり、陸上自衛隊の場合、4年制の「少年工科学校」に入校し卒業時には三等陸曹に任官されるので それに足る技能や知識を身につける為の教育と訓練を受けつつ、当時は神奈川県立湘南高等学校通信制の生徒として勉強する事も義務づけられ「少年工科学校」卒業の際、高校卒業の資格も得る事が出来る…というものがあった。


ちなみに、ここで「あった」と過去形で述べるのは数年前に自衛隊への入隊制度がいろいろと改変され 例えば、当時「少年工科学校」と呼ばれた制度は 現在「高等工科学校」という呼称に変更されると同時に提携校が神奈川県立横浜修悠館高等学校に変更となるなど いくつかの内部制度が変わっている為である。


これから記す事は おそらく、防衛機密には該当しないであろうし、仮に抵触する部分があったならば、今から40年近く昔の話という事で寛大なお許しを請うか、さもなければTVドラマや邦画がよく使う「文中の個人・及び団体等は一切実在するものとは無関係のフィクションです」って事で誤魔化す他無い。




中学三年の時、当然「進路相談」という問題が誰にも生じる。


今だから正直に言うと その頃の僕は「自衛隊生徒」に進むのがいろんな意味で一番と考えていた


と言うのは、何度も述べている様に 僕の家は軍人家系で太平洋戦争で戦没した親戚が何人もおり、その人達の殆どが徴兵では無く志願兵だった事からも想像出来ると思う。


僕の父親も出征経験こそ無いし、憲法9条の下の自衛隊員と言っても 本人は軍人の気構えでいた自衛隊幹部の一人だった。


そんな父親から 僕は一度も「オマエは将来自衛官になれ」と言われた事は無いけれど、中学三年に至るまでの人生の中で日教組系教師達のお陰で左翼思想のデタラメぶりを存分に味わったし もし、我が家に家業というモノがあり、その跡を継ぐとするならば それは「自衛官」になる事だと僕は考えていた。


でもね、ただ漠然と「自衛官」になるというのものではなく その頃の僕が密かに夢見ていたのは「ヘリのパイロットになりたい」というもの


普通、自衛隊でパイロットと言えば戦闘機のパイロットを夢見るものだが 猛スピードで空を駆け抜ける戦闘機より 時には空中で静止したり、時には飛行場以外の場所に降りたり出来るヘリの方が僕には自由に感じられたのだ。


もちろん、適性試験とかいろんな難関はあるけれど 自衛隊に入ってヘリのパイロットになるためには一般的な「任期制隊員としての入隊」では可能性は低く その可能性を考えた時、「防衛大学」「一般幹部候補生」そして「航空学生」という入隊方法の他に その当時の陸上自衛隊の場合は「自衛隊生徒」から「操縦学生」へ進むコースが 当時の若手のパイロット達の比率が多かったから 僕は高校進学よりも「自衛隊生徒」の受験が志望だったのだ。


それに、やはり今だから正直に言うが もうひとつ実は僕には高校進学に関して大きな問題があったんだ。


それは、自分で言うのもなんだけど 僕は中間や期末はおろか、全道模試でも試験の成績はそんなに悪くは無く、A子やB子、それに「気の弱い男」や「生徒会長」が志望していた進学校に充分合格できる点数をとっていたのだが、日教組教師達とずっと反目してせいで「授業態度が悪い」という理由で通信簿の評価 つまり、内申点が平均よりちょいと上程度でしか無かったので あたりまえに内申点で足切りされる事を考えるとA子やB子達の志望する高校よりも2乃至3ランク下の高校を担任教師から薦められていた


しかしながら、鼻っ柱の強かった当時の僕に言わせれば この担任教師こそが僕が通っていた当時のその中学の日教組活動家の有力者の一人で


「テメェが感情丸出しの左寄り評価した結果が この内申点なんだろが!」


というのがその当時の僕の心情で その上で、正確な事は知らないが 当時の三年生の担任教師達は卒業生の「高校合格率」という数字にとてつもなく拘っていて


「ダメだ オマエなんかが受けたって 試験の点数見る前に内申点で蹴られて終わりだ」


僕が試しにA子達が志望している高校を受験したいと言った瞬間、そう怒鳴り返される始末


その点、「自衛隊生徒」の受験は けっして簡単なものでは無いけれど、「内申点」は参考程度で まず「試験の点数」、そして「身体能力」、次が「ヤル気」であって 現職自衛隊幹部だった僕の父に言わせると


「性格や素行が多少悪くても そんなもんは入校したら卒業までに骨の髄まで叩き直すから気にして無いんだ自衛隊は」


嘘か真かは別にして 普段は僕に厳しい現職自衛隊幹部でもあるB子の親父ですら


「キサンなら風邪引いて受験したって楽に受かるっちゃろ」


と、受験前から太鼓判を押してくれてもいた。


だから、これまた正直に言うと A子やB子や180cm男の様な受験勉強に対する真剣味が 僕にはすこぶる欠けていた。


そして、僕の身近にはもう一人 僕と似て非なるアホがいた。


後年に親の跡を継いで開業医になった友は 率直に言って僕よりは試験の成績がいつも少しだけ低かったけど 彼だってA子達が志望している高校の合格ラインよりはるかに上の点数をコンスタントにとっていたが、僕同様 教師達から睨まれていたので内申点で危険な状態


ただ、彼と僕との大きな違いは 彼のパパは札幌市内でも有数の規模の開業医の院長であり名士、だからこそママが中学のPTAの副会長だったりしたもので 何故か、日教組系の教師達って組合活動に熱心なくせに 町の名士にはさりげなく媚びるアホが多く、たぶんそのせいで(勝手に決めつけるが)内申点のランクは後年に親の跡を継いで開業医になった友の場合 僕よりもランクが上で 進路相談的にはA子達が志望している高校の一つ下のランクの高校を受けろ…と。


ところが、それに対して後年に親の跡を継いで開業医になった友よりも 彼の両親が


「1ランク下の高校に通うぐらいなら 東京の有名私立に行きなさい」


と、さすがお金持ちの見栄丸出しの方針を打ち出した為 嘘か真か


「試験の点数よりも寄付金の額で合格判定も変わるのよ」


とママが豪語したおかげで 後年に親の跡を継いで開業医になった友も受験勉強に関しては すっかり、まったりモードになっちゃってたんだ。


まぁ、それだけの理由ばかりではないのだが とにかく僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友は受験に対して真剣味が欠けていた。




さて… 「自衛隊生徒」への入校試験は高校の受験とは違って秋に実施される。


と言っても、確か10月の末か11月頃だったと記憶するが その時は一次試験として学科試験が行われ、それに合格すると年末に2次試験として身体検査及び体力測定と面接が実施され、それに合格すると入校資格を得る。


当時の通例から考えた時、僕の場合であれば1次試験にさえ合格すれば 部活で一応レギュラーだった体力や健康状態から2次試験に落ちる事は殆ど無い…と 父親やB子の親父さんから言われていたのだが、同時に父親達から僕は別の相談を持ちかけられてもいた。


それは、僕の友人達から5人 頼み込んで受験者を募れ…というもの。


当時、自衛隊への入隊希望者は 陸海空合わせて27万人の定員を100%の充足率として各部隊が構成される事になっていたが、実際には23~4万人しかおらず、いろんな部隊が隊員不足に悩んでいた。


時代背景とか、好景気による人手不足も相俟って自衛隊への入隊希望者も多く無く そのため、国内各地に設置されていた自衛隊の募集窓口である地方連絡部(略して”地連”)に配置された隊員達には応募者確保のノルマが設定されており、僕の住んでいた地域を管轄する札幌地連では自衛隊生徒の受験者数においても「@@人、受験生を確保しよう」と設定されていたノルマを確保出来ずにいて たまたま、当時の地連の幹部が僕の父親のよく知った後輩だった事から


「先輩(僕の父親)、息子さんが自衛隊生徒を希望受験するのなら 同級生を5人

 合格しても辞退してくれていいですから、せめて受験だけでもしてくれるように

 息子さんに頼んで頂けませんか?」


と、泣きついた事から


「なぁ、なんとかならんか?」


と、僕の父親は僕に相談を持ちかけたのだ。


そこで僕は、後年に親の跡を継いで開業医になった友、「気の弱い男」、生徒会長、180cm男、文化祭で虎刈りの丸坊主にされた奴の5人に


「全国模試受けるような感覚で 試験だけ受験してくれない?」


と、頼んだのだが 他の4人は「いいよ」と一つ返事だったのに180cm男だけ


「元々入る気が無いのに試験だけ受けるってのはさぁ…」と渋る


友達と呼べる存在が他にいない僕としては5人確保の為に懇願する…


そんなのを見てA子が


「別に、受けるだけならいいじゃん ブタネコ君だって困ってるんだし」


と、横から口を挟むと 途端に180cm男はコロッと180度違って


「え? そ・そっか… うん、良いよ 受けるよ」


そんな様子を眺めていた後年に親の跡を継いで開業医になった友は「ケケケ」と意味深に笑う


そんなこんなで 自衛隊生徒の受験を終えた僕は 念の為にと6人で試験後に行った答え合わせの点数から もう一次試験は受かったものと確信し、受験生としての真剣味がほぼ無くなっていたから、放課後に図書館に行っても勉強するのでは無く ただ本を読んで過ごす様になったんだ。


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