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2012年07月16日

● リーガル・ハイ 第11話(最終話) 再考


今回は第11話(最終話)の録画を再見し再考してみた。




リーガル・ハイ


第11話の本筋は不当解雇だが、ドラマ「リーガル・ハイ」全体を集約した構成になっているので 私もそれに則って総論的な感想を記そうと思う。




まず、注目すべき点は


リーガル・ハイ

「今回に関しては佳奈さんに正義があります、正しいことをした人が不幸になっていいはずがない。」

「手足が生えるどころか卵に戻ったな、オタマジャクシ、正義は立場で変わる、勝った者こそが正義なのだ。」

「法は正しい人が幸せになるためにあるものです!」

「0点だ、正しければみんな幸せになれるんだったら苦労はない!

 誰かの幸せは誰かの不幸せの上に成り立ってる、踏みつけるか踏みつけられるかそれが現実であり、

 踏みつけられるのは君たちのようなマヌケどもだ。」


冒頭、第10話で裁判に勝てた内部告発をしてくれた恩人とも言うべき人物の弁護では無く、解雇した側の弁護を引き受けた古美門と、恩人の弁護を引き受けた黛との間で交わされた台詞の中で あらためて黛の「正義」と古美門の「正義」の違いが明白になっている。


基本的に


「誰かの幸せは誰かの不幸せの上に成り立ってる」


という台詞は 一般的にTVドラマや映画の中で悪役が吐く台詞であり、古美門は毒舌だからより一層ダーティーなイメージが増す。


でもね、私は数多く民事訴訟に関わり(ついでに言えば数少ないが刑事裁判も^^;)経験した持論で言えば 古美門の言ってる事の方が正論だと思っている。


おそらくは、世間の多くも


「誰かの幸せは誰かの不幸せの上に成り立ってる」


というのが現実だと思っており、たぶん私の認識とは似て非なる人の方が圧倒的に多く その反動が以前の回にあった


「金持ち」=「悪い奴」


という認識に繋がってるんじゃなかろうか?


もちろん、悪い事をして金を儲けている連中も少なくないから そういう認識を完全には否定出来ないし、例えば、巷ではワイドショーなんかでFXがどうとか、財テクがどうとか…なんて話題で平凡な主婦が投資で儲けている…なんて話題をよく放送するけど 株なんかは明らかに明確に 一万円儲けた人がどこかに一人いるとすれば、間違いなくどこかに一万円損した人が居るわけで… これって


「損した人の不幸せぶん、得して幸せになった人がいる」


という解釈の裏付けみたいなものだと私は言いたいわけだが、不思議なもので 聞いて回ると自分の周囲でFXなんかに手を出した人は結構居るが、実際にそれで儲けた人は少ないし、ワイドショーなんかじゃ大損した人の話は なにかの事件に関連が無ければ殆ど報じられないので これもまた、古美門の論法に従えば 損をした人に対しては同情する風で見下してたりするんだな「ザマァミロ」と。


が、そんな事はどうでもいい




リーガル・ハイ

「ありがとうございます。

 私はこの裁判で、多くのことを学びました。

 正義とは何でしょうか? 法とは何でしょうか?

 この世界に正義などない、勝ったものが正義だと言う人がいます。

 私も、そうかもしれないと思った時期もありました。

 でも今は、確信を持って言えます。

 我々人間には、正義を愛し求める心があると…

 裁判は、勝ち負けのゲームでも、金儲けのギャンブルでもありません。

 また、傷つけあう場でもないはずです。

 きっと、どこかにある正義と真実を見つけ、みんなが幸せになれる道を探す場なのではないでしょうか?

 正しい人が報われ、幸せになれる社会、そんなのは夢物語、現実は非情だ…

 確かにそうかもしれません。

 だけど、人は夢を見るから生きられるんです。

 理想を叶えようとするから、私たちはこの諦めに満ちた現実を生きていけるんです。

 私は、理想が現実を覆せると信じています。 必ず!」


第3話のストーカー裁判の際に被害者尋問を繰り広げる中で黛は最後には涙ながらに問う


そして、今回の黛の発言も理想的な正論として聞いている者の胸に染みる。


それに対して


リーガル・ハイ

「我々は神ではありません

 この私も含め、愚かで、感情的で、間違えてばかりのちっぽけな生き物です。

 そんな人間に、人間を裁くことは出来るのでしょうか? いいえできません。

 だから人間に成り代わり、法が裁くのです。

 どんなに怪しかろうと、どんなに憎かろうと、一切の感情を排除し、法と証拠によってのみ、人を裁く…

 それこそが、我々人類が長い歴史の中で手に入れた、法治国家という大切な大切な財産なのです。

 むろん公明正大な裁判所におかれましては情緒的な弁論に惑わされることなど

 微塵もなく徹頭徹尾、法と証拠のみに基づいて判断なさることでしょう。

 そしてその場合、結論は明白であります。」


リーガル・ハイ

リーガル・ハイ


そうなんだよ、この国の裁判では判決に情が盛り込まれるのは刑事事件の情状酌量だけで 民事裁判を情だけで訴えても通じないのだ。


どんなに原告が可哀相な状況や環境でも 被告の非をきちんと証明出来なければ裁判では勝つ事が出来ない… 古美門が言ってる事はまさにそういう事であり、そのしわ寄せが「金持ちは悪人」とか「小ずるい奴だから勝つ」なんて感情が定着してしまうんだな


よく「感じ方や解釈って人それぞれだからね」と訳知り顔で言う人がいる。


たしかに、その言には一理あると思う。


しかしながら、その言に従えば「正義」も「理想」も「夢」も「人それぞれ」なわけで 誰かが言う「正義」が別の人にとっても「正義」となるか? 「人それぞれ」なんだもん必ずしもイコールとは限らないんだよね


ゆえに、法律からは「人それぞれ」というアバウトな解釈を排除し「~の場合は~とする」とか「~でなければならない」と基本的には定められているはずなんだけど この国の法律の場合 「法解釈の違い」なる見解の相違が往々にして起きるんだから、ドラマなら笑って済むけど現実では笑えない事の方が多いのも事実なんだけどね。


でもね、そんな風に考えつつも この回の裁判が始まって以降、なんとなくなんだけど、この裁判で古美門は黛に「負けてやってもいい」と隙を作ってたんじゃないかな?と想像したりもしていたんだ私は。


しかし、

リーガル・ハイ

リーガル・ハイ

「旅人のコートを脱がせたぐらいで勝てると思うな、太陽をやるなら灼熱地獄でパンツ一枚残さず剥ぎ取れ

 それぐらいでなければ理想で現実を変えることなど出来やしない、もっともっと強く賢くなれ!朝ドラ!」


このシーンを見た時に さほど重要とも思ってなかった第1話のとあるシーンとその時の古美門の台詞を思い出し、「あれ?」ってひとつの疑問が浮かんだ


それは、


リーガル・ハイ

リーガル・ハイ

「大盛況ですね」

「私の2年ぶりの復帰戦にしてはいささか物足りないぐらいだがねぇ…」


3年前に「とある事件」で三木の事務所を追い出され、法曹界から干されながらも企業顧問の収益で遊んで暮らしていた…


この3年と、2年の間の1年のズレって何だろう? …というのは さておき、2年ぶりに復帰を決意したのは黛が3千万を建て替えて提示したからだけが理由なのかな? と。


つまり、このドラマにおける黛と古美門の関係って「理想的な正義」と「現実的な正義」とか「一般的な正論」と「現実的な詭弁」とかを対照的にぶつけ合う関係をコミカルに描く…というだけの趣旨ではなく 古美門が自分の連勝記録を阻む相手に黛を育て上げようとしていたのか…なんて思ったら 第1話のラスト「怖くなったか? 自分が殺人犯を野に放ってしまったのではないかと。」や第8話の「12歳の子が母親と断絶しようとしている… 内心どれほどの苦悩を抱え、血を吐く思いをしているか君に判るか? 二度と薄っぺらい言葉を吐くな!」という古美門の台詞の重みが別な角度で増してくる。


で、あらためて思う事は


漫画や小説を原作に その人気にあやかった様な制作のドラマでは、殆どの場合、全編を通じて仕掛けた伏線とかテーマも原作任せで 既に原作を読了している視聴者には何の新鮮味も そこから得られる感動や感慨も薄い


逆に秀逸なオリジナルドラマは ヒットする漫画や小説を初めて読んだのと同等かそれ以上の感動や感慨を与えてくれる


とかく、安定志向か安全策を意識しすぎてか前者のような とてもクリエイティブな制作とはほど遠い、人気原作を御都合で弄りまくった出来のクソドラマが多い中、ここまでオリジナルに楽しませてくれたドラマを褒めずにいてはドラマ好きの沽券に関わるというものだ。


願わくば、続編でも映画化でもして欲しいものだが 今まで何度か述べたように、無能で安易なTVドラマ制作スタッフが


「堺雅人のあのキャラがウケたからねぇ…」


なんて理由で 今後制作される別の新ドラマや映画に「古美門のようなキャラを演じる堺雅人」ばかりを求めやしないかと危惧するばかりだ。




さて… 最後に本当にどうでも良い話なんだが


リーガル・ハイ

「裁判は夢を探す場所?

 そんなものが見つけたいならインドのガンジス川か下北沢の三流劇団に入りたまえ。」


何故、この台詞の中に「ガンジス川」がいきなり登場するんだろう?


…と、ふと疑問に思った時 あくまでも個人的こじつけだが「あっ!」と感じた事がある。


それは 第10話における


リーガル・ハイ

リーガル・ハイ

「だが所詮ガニ股だからな、あ~あぁ、長澤まさみだったらな~」


というシーン。


何故、比較の対象としていきなり「長澤まさみ」が台詞に登場するんだろう?


そんな疑問を感じていた私に この回の「ガンジス川」という単語はあるドラマを思い起こさせる。


それは、2007年10月に放送された『ガンジス河でバタフライ』だ。


まぁ、本来はここに記すべき内容では思いつつ 良い機会だからこの場を借りておくと


私の中の「長澤まさみ」ヒャッホイ度のピークが『プロポーズ大作戦」だったとすると、ヒャッホイ度が横滑り、もしくは緩やかな右肩下がりになり始めたのは 落ち着いて考えてみると その次作にあたる『ガンジス河でバタフライ』が契機なんだな


まぁ、制作の意図の中にそんな含みがあるとは思えないが 私にとってはこんな些細な事にも う~んと唸る面白さがあったのは事実なんだな。


リーガル・ハイ

リーガル・ハイ


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コメント

ガンジス川。なるほどです!


ということは、下北沢の三流劇団て あのドラマのあの女優のことなんですね!

★ 虎馬 さん

そっちの女優は 私にはどうでもいいです。^^


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