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2012年07月04日

● リーガル・ハイ 第4話 再考


今回は第4話の録画を再見し再考してみた。




リーガル・ハイ


第4話の本筋はマンション建設反対騒動


オンタイム時の感想記事とは別の部分に視点をあてて私見を記してみたいと思う。


で、私が注目したシーンは


リーガル・ハイ

「反対住民の会を脱退して示談金を受け取らなければ、個人としてあらためて業者を訴えることが出来ます。

 裁判で争えば、設定変更を勝ち取れるかもしれません。」


リーガル・ハイ

黛「クライアントに不利になるアドバイスを相手方にしました

  利益相反になることはわかっています。」


古美門「何故、そんな事をした?」


黛「正義のためです。」


古美門「正義?」


黛「私は、正義を守るために弁護士になったんです。」


古美門「0点だ。」


黛「あなたがやってることは何なんですか? 他人の傷口開いて、見たくないもの見せつけて…

  それでいったい誰が救われるんですか!」


一般的に、TVドラマや映画で描かれる弁護士像って 主人公が正義感に溢れた人物で、この「リーガル・ハイ」の第4話におけるシチュエーションであれば 住民の弁護を担当し、悪徳業者を責める


もちろん、その場合には悪徳業者側にも弁護士役が登場するが それは御約束とも言える悪徳弁護士なんだな


で、ついでに記しておくと そういう勧善懲悪形式の正義感弁護士物のストーリーは 殆どの場合クソな出来ってのも私に言わせれば「御約束」みたいなものだ。


その最大の理由は「正義って何?」という部分にある。


古来より、日本では「勝てば官軍」という言い方を用いるが この言い方は実に日本人らしい婉曲で判りづらいなりに言いたい事の雰囲気だけは醸し出している表現で 簡単に判りやすく言い換えれば「勝った側が正義」なのである。


例えば、太平洋戦争で日本は連合国と戦い敗れた。


が、もし、ミッドウェー海戦に勝利し 一時的とは言えアメリカの機動部隊を壊滅させ、山本五十六が思い描いていた早期講和に漕ぎ着けていたとしたら 現在では一般的とか常識として認識されている事柄の中の多くが違っていたんじゃなかろうか?


少なくとも言える事は、国旗や国歌を平気で蔑ろにする事を「個人の見解の自由な権利」とか言うアホを殴っても 誰も文句は言わないだろう…けど、そんな事はともかく


裁判って「正義が勝つ」のではなく「勝ったから正義」というのが実情なんだよね


にも関わらず、タテマエ以外の何物でも無い「正義が勝つ」を全面に押し出し 悪徳な企業や弁護士を相手に苦しみながらも最後に勝訴を勝ち取る…なんてストーリーばかりのドラマや映画をお為ごかしの様に制作されても「嘘臭ぇ」と鼻白む事の方が強いんだ。




それにね、


リーガル・ハイ

古美門「ついてこい。」


リーガル・ハイ

「見たまえ、この街に古くからある鳶職の老舗 寺田工務店の寺田トモ子さんだ。

 ご主人は仕事中の事故で亡くなった。

 中学生の子供を抱え、女手一つで店と従業員を必死に守っているが、折からの不況で倒産寸前だ。

 だが、首の皮一枚つながっているのは、島津エステートの下請け仕事があるからだ。

 かつて夫と同じ釜の飯を食った島津社長が手を差し伸べたんだ…

 こういう町場の工務店がこの国の発展を支えたんだってね。

 島津エステートが苦境に陥れば、彼女は首をくくることになるかもしれない、君がしたのはその手伝いだ。」


このシーンは直後に


リーガル・ハイ

「あんた、おかえり!」

「あ、ただいま。」

「順調だったんだってね?」


リーガル・ハイ

黛「えっ!? アンタ? え? あれ誰ですか?」

古美門「ご主人だろ。」

黛「じゃ、亡くなったのは?」

古美門「創作だ。」

黛「創作!?」

古美門「全部、今創った。こんな店知らん!」


という部分があまりにもコミカルに出来過ぎていて看過されがちなんだけど 私に言わせれば 古美門が即興で創作した寺田工務店の創作話って 見方を置き換えれば、民放のTV局が日々垂れ流すワイドショーや報道番組のキャスターの語りにそのまま当て嵌まる事が多いとは思いませんか?


「~さんはこれまでの人生で~なほど苦労を重ねてきたけれど 

 ようやく芽が出て順調になりかけた途端に挫折を味わいました…」


今までロクに知りもしなかった人物や企業が何かの災難に遭った時、こんな感じの言葉を紹介文に紛れ込ますのって それが事実か否かとか、良いか悪いかに関わらず、ロクに知りもしない者が語るのは適切ではないでしょ?


古美門が言う様に 実際にそんな状況の人がいても不思議では無いし、可能性が否定出来ない以上 いるという前提で物事を考え、言動も考えるべきなんだな


で、弁護士ってのは裁判官じゃ無いのだから どっちが良いか悪いかを裁く立場じゃ無い


「依頼人の弁護」を司るのが職務なわけだから 職業倫理的にどうかも重要ではあるが、どっちが正義とか、何が正義とかそこに持ち出してはならないわけで、正義なんか持ち出されたら殺人犯の弁護なんか根本的に出来ないでしょうよ?


であるがゆえに、


黛「いったい何なんですか!?」

古美門「今の話を聞いてどう思った?」

黛「どうって?」

古美門「島津エステート助けたいと思ったんじゃないのか?」

黛「それは思いましたよ。でも嘘なんでしょ?」

古美門「だが、我々の知らない何処かに本物の寺田工務店があるのかもしれない、違うか?
    君が正義とか抜かしてるものは上から目線の同情にすぎない。

    その都度、目の前の可哀想な人間を哀れんでいるだけだ。」

黛「でも、だったら、それを否定したら、正義はどこにあるんですか?」

古美門「神でもない我々に、そんな事判るはずもない

    正義は特撮ヒーロー物と”少年ジャンプ”の中にしか無いものと思え!

    自らの依頼人の利益の為だけに全力を尽くして戦う…

    我々弁護士に出来るのはそれだけであり、それ以上の事をするべきでもない。

    判ったか?、朝ドラ!」


という古美門の台詞は それまでの古美門のキャラクターから身勝手な意見の様に受け止められがちだけど 私に言わせればこれこそ正論だと思うのね。


で、このドラマの脚本の秀逸な点は 古美門の滅茶苦茶な普段の言動に惑わされ、言ってる事も乱暴の様に映るけど、実は正論だったり いかにも現実的な指摘で全体的にコミカルタッチなんだけど説得力も兼ね備えている点に尽きる


少なくとも、私が現実で何度も経験した民事訴訟においては 原告も被告も双方、自分に都合の良い証言や証拠しか示さず、時には裁判に負けない為に平気で嘘もつくし、ハッキリ記憶している事でも「覚えてません」とか「知りません」と惚けるのが普通で そこから正義なんか導き出せるわけが無い


けれども、そんなんでも裁判はちゃんと結審し、判決なり和解案が出され その結果、勝ったと思えば「正義が示された」といい、負ければ「この国の法廷には正義が無いのか?」と負け惜しみを言うのが ある種の儀式みたいなものに映る時の方が多いんだな


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