« 雑感(2月12日) | TOPページへ | 妄想捜査 第2・3・4回 »

2012年02月13日

● A子の話(その19)


A子の猫の通夜から帰った後、帰宅して親父や妹に話すと…




「猫の葬式かぁ… 余所では聞いた事無いけど、でも、なんか気持ちは判るなぁ…」


と、僕の父が言えば 一緒に晩酌していたB子の親父さんが


「よか家に貰われて幸せだったんじゃなかね? そん猫は」と。


しかしながら、世間一般で言えば


「あそこはホラ、社長さんでお金持ちだから 庶民とは感覚が違うのよ」


…なんて一言で片付けられてしまうのであろう


中小企業の枠内とはいえ、札幌市内ではそれなりの規模の会社の社長の家とか、札幌市内では有数の規模の病院を経営している家は いわゆる裕福なお金持ちと言われて不思議ではないから 誰もがいろんな意味で「庶民とは違う」と色分けするのも否定出来ない。


でもね、多くの人は「お金持ちの暮らしや感覚」というものを小説やドラマの世界で描かれた「お金持ち」を基準に考えているわけで たしかに、中小企業の枠内とはいえ、札幌市内ではそれなりの規模の会社の社長の令嬢とか やはり、札幌市内では有数の規模の病院を経営している家の跡取り息子には たまに僕とは感覚の違いを感じる事はあったけど、小説やドラマの世界で描かれた「金持ち」と呼ばれる人達の感覚や考え方ほどでは無かった。


例えば、葬儀屋にささやかな祭壇を作らせ、坊主を呼んでお経を貰うのにはいくばくかの費用がかかり、それを「払うか否かの違い」と「払えるか否かの違い」を混同して色分けし、語っている事に多くの人は気づけていない


わざわざペットにそんなにお金はかけられない… という気持ちは理解できる。


間違いなくその当時、僕の家であれば猫の葬式なんて考えすら思い浮かばなかったのは事実だし、その当時の札幌にペット霊園とか専門の葬祭業者なんて聞いた事も無かった。


でも、飼っている猫が自分と兄弟同然で その猫が亡くなった時、その死を悼み生前にその猫から貰った有形無形の思い出に感謝をし成仏を願う時、弔いの費用が払える範疇の金額であればそれを「勿体ないから」とは考えない人って少なくないわけで であるがゆえに現在の「ペット霊園」とか動物の葬儀を大々的に司る業者が普通の時代の感覚ならば「A子ちゃんのお家、猫の葬式までするぐらいお金持ちなんだよ」なんて どちらかというと嫌みなイメージで話しが伝わる事も無い。


しかしながら、業者がいるかいないか?なんて事は実はどうでもよく、重要な点はその費用の金額を知った上で「払えるか否か」であるにも関わらず その金額を知りもしないで「そんな事にお金を払えるなんて さすがお金持ち」と決めつけて語っていた事に ちょっと違うんだと僕は気付かせて貰ったのだ。


つまり、お金を持っているぶん出来る事と出来ない事の境界線が他の人と違う… これを一般的には「金さえあれば何でも出来る」という解釈に帰結しやすいが、何かをしようとした時にたしかに金で解決出来れば簡単で手っ取り早いのでそんな受け止め方しかできないのであろうけど 重要な事は「何かをしよう」と考える事であり「何かをしよう」と行動する事。


金があるか無いかはあくまでも二の次で 何もしないくせに「金さえあれば何でも出来る」と安易に口にするのを「庶民」とか「一般的感覚」という事じたいが間違いなのだ。


この時の事に限って言えば 本質的な事は死んだ猫がどうこうではなく、猫が死んで悲しんでいる娘を少しでも励まそうとして A子の父親が仕事や会社をそっちのけに悩んだ末、辿り着いたひとつの答えが「猫の葬儀」であり、葬儀である以上 会葬客が…という思考のもとに「娘と仲の良い友人を」という事でB子や僕や後年に親の跡を継いで開業医になった友が招かれただけの事


ただ単に僻み口調で「金持ちの道楽」と言ってしまえばそれまでだが、僕にはカルチャーショックであると同時に いくつかの事を考えるキッカケになったのも事実で 例えば、僕はその通夜の後に聞いた住職の話が耳から離れず、死んだら人ってどうなるのかな?…なんて事を考える様になったわけで 当然、それはすぐに答えが出る様な問題では無いけれど、、、、。


A子の猫が 病死なのか、事故死なのか どういう事情で死んでしまったのかは判らなかったが、生後一年少しという時期は猫の最も可愛い時期でもあるし そんな時期に死んでしまうケースというのは普通では無いとも言えたから、そのせいも相俟ってA子の落ち込みは酷く 葬式の後も学校を休み続け、事ある毎に泣いて過ごした様で それを怖れて葬式まで段取ったA子の父親の甲斐も無く…


再び、運転手のHさんが 放課後、帰宅するB子を待ち伏せする様に現れてA子への慰めを頼む程で B子も毎日、A子の家に行っていた。


でもね、ここで僕が明記しておきたい事は 表現は悪いけど、一介の運転手に過ぎないHさんが 雇い主の娘を慰める為にB子を迎えに来たのは 雇い主である父親やA子本人の指示ではなく、Hさんが良かれと独自に考えて行動した事。

そう、A子はHさんからそれだけ大切な存在と扱われていたわけで それは通夜に出席していた秘書の女性や正体不明の男性にも「信愛する社長の娘」って感じのニュアンスをビンビン感じた事だった。


それから一週間ぐらい過ぎた頃、ようやくA子が登校してきたので 昼に弁当箱を持ってA子のところに行き


「おぅ、香典代わりに 俺の弁当のオカズの唐揚げをやるよ」


と。


しばらくぶりのA子は泣き続けて過ごしたとは思えないほど穏やかで…


その日の放課後、いつもの様に立ち寄った店でヤキソバを食べながら


「少しは落ち着いたのかよ?」


と、ぶっきらぼうに問う 後年に親の跡を継いで開業医になった友に


「Hさん(A子の家の運転手さん)がね とても素敵な本をプレゼントしてくれたの…

 それ読んだら、ちょっと考えが変わったんだ」


と、微笑んだ。


その本を僕は直接見せて貰っていないので 記憶を頼りに言えば、外国の童話みたいないろんなショートストーリーをオムニバスにまとめた一冊らしく その中に


人は亡くなると 天国への階段を上っていきます。

そして、天国の少し手前に草原が広がっており そこにはかつて誰かの許で飼われていた動物達が 最も元気に生きていた頃の姿で御主人様が天国に召されるのを決して急がずに待っているのです。

やがて、御主人様が天国へと一歩一歩階段を上がる足音が聞こえ その姿が見えると再会を喜ぶ様に走って御主人様を出迎え天国への階段を一緒に上がっていくのです…

あなたと一緒に暮らした犬や猫は そこで他の動物達と貴方が来るのを待っています。

そして、貴方が出来るだけ長い人生を過ごし 沢山の思い出を持ってきてくれるのを楽しみにしています

だから、貴方は精一杯長生きをして 楽しい思い出を沢山つくってください

動物達はお土産のお話しが長く、沢山持ってきてくれればくれるほど嬉しいのです

のんびりと、天国で今度はじっくりと貴方と過ごせる事を楽しみに待っているのです…


…という様な話があったそうで


「それを信じる事にしたんだ」


A子はそう言った。


それを聞いて 少し貰い泣きしかけながら


「毎日、連続殺人事件が起きる様な本を読んでいるブタネコとはえらい違いだな」


と、後年に親の跡を継いで開業医になった友が言ったのを聞き逃せず


「なんだったら、現実の殺人事件で被害者にしてやんぞコノヤロウ」


と、僕が言い返すのを眺めて笑うA子は いつものA子だった。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

 この記事への御駄賃がわりに下のバナ-のいずれかを クリックして頂けると嬉しいです。^^
 (全部、クリックしてくれると もの凄く嬉しいのは事実です。^^)

ブログランキング・にほんブログ村へ Blog Ranking 人気映画・TVBLOG blogram投票ボタン BlogPeople「自分のこと」部門にクリック BlogPeople「テレビ」部門にクリック BlogPeople「映画」部門にクリック

『A子の話』関連の記事

コメント

先月、妻方祖母の一周忌があり、そこでご住職の法話が1時間くらいありました。
そこでは仏教の成り立ち、経文の意味、祭祀の意味等を和やかにお話下さいました。

そのご住職さんは、刑務所の教誨師や病院で余命と診断された患者さん達の緩和ケア活動もなさっておられる方でして
少し最後にお話された事をここで簡潔にご紹介させてください。

以前に高校2年生で胃のスキルス癌で亡くなられた青年が居たそうです。
その青年は小学生の頃に実母を亡くし、その後実父と継母に育てられました。
当然過敏な少年期から青年期ですから、その継母の事を認められない青年でした。
自分の余命が幾許もないと解った時点で、彼はその継母に謝ったそうです。
「今まで反抗ばかりしてごめんな」って・・・・・

でもその継母は、彼が少年の頃に実母の仏壇の前で毎日母恋しと泣いていたのを少年を見
そんな彼の気持ちを充分にわかっていたそうです。
そこで私はこの子の母にはなれないかもしれないけど、母の変わりなら出来ると思ったそうです。
でなければ、とっくに家を出てたとも・・・・・・

青年と継母は少し時間がかかりましたが、やっと心が通いあったそうです。

そしてその青年は命の火がまもなく消えようという時に、実父に対して
「僕は先に行くけど、お父さんはお土産をたくさんもってきてね」と言って亡くなったそうです。
つまりお父さんには長生きしてねと言い残して亡くなりました。

世の中17歳でも人生を達観して自分の死を受け止めて往々と亡くなっていく人もいれば
人生90年生きてきて尚もがきあがきながら死んでいく人もたくさんいると。
あなた方はどちらの最後の生き方、そして死に方を選択しますか?

死んだら一切が無に帰すと思われる方もおられるだろうし、
実は魂だけの世界があって、本当はそっちが元々居た故郷なんだよと言う方も居る。

そんなもん死んでみないと解らない事なので、言い争うのもそれこそ愚の骨頂だと思っていますが
死んで無というのもなんだか夢がないので、例え死んで無であったとしても
死ぬまではそんな懐かしい人が出迎えてくれる世界があってもいいんじゃないかって思うんですがね~。
例えブタネコさんがお出迎えしてくれ様ともwww
でもなんか道中ある意味楽しそうでいいなぁ~・・・なんて^^;

ちょっと事故後の療養で鬱々したりしなかったりな毎日の私ですが
それでも生きているだけで丸儲け、要は心の持ち様だとも思います。

とまぁ、ブタネコさんの記事に触発されて長話しになってしまいました^^;

連投すいません^^;

あっそうだ明日はそうかぁ~草加~「バレンタインデー」でしたね~。

御息女さん達も落ち着かれた様なので、今年は・・・・・?
奥様がトリカブト入り特性チョコなんて・・・^^;ドキドキしながら掲載を期待してますw

★ Wen さん


>世の中17歳でも人生を達観して自分の死を受け止めて往々と亡くなっていく人もいれば


あの世があるか無いかなんて死んだ後の最大のお楽しみであって 生きてるうちからどうこう詮索するのは野暮だと私は思っております。

死んでからの事は死んでから 生きている間は精一杯人生を楽しむものだと私は「亡き友」から教わりましたので そうしていく所存です。


>ちょっと事故後の療養で鬱々したりしなかったりな毎日の私ですが
>それでも生きているだけで丸儲け、要は心の持ち様だとも思います。


君程のバイタリティの持ち主ならば、もう少し重い怪我を負って三途の川原まで炊事遠足してくれば良かったのに そうすれば少なくとも鬱々なんかしないんだぞ^^


>バレンタイン


嫌な事を思い出させんなボケ! 


【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。