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2012年02月12日

● A子の話(その18)


中学3年のゴールデンウィーク前の頃だったと思う。




その日は昼休みに弁当を食べ終わるまで、普段と何も変わらない一日だった。


僕が弁当を食べ終えるのとほぼ同時に後年に親の跡を継いで開業医になった友が僕のところにやってきて


「知ってっか? 今日、A子が学校休んだんだってさ」


僕が知っている限り、それまでA子が学校を休んだ記憶が殆ど無い。


もちろん、ずっと同じクラスだったわけでは無かったから 違うクラスの時に一日や二日、熱を出して休んだ事はあったのかもしれないし、一見お嬢様特有の身体が弱い女の子っぽい雰囲気ではあったから気にもしていなかったけど、あらためて考えてみると確かに意外な事だった。


そんな時、教室のスピーカーから全校放送で


「三年@組の**(B子の事) 大至急、職員室まで」


それを聞いて後年に親の跡を継いで開業医になった友が


「お? B子の奴、なんかやらかしたのかな?」


だいたい、職員室から校内放送で呼び出されるのはロクな状況では無い


内容によっては後でB子の親父さんから


「キサンがついていながら 何ばしとっとじゃ!」


と、八つ当たりの様に怒られるような寒気を感じ、そうならない事を願いつつも僕らが騒いでも仕方が無い。


昼休みが終わる少し前に そんなB子が僕の教室に現れ、


「あ、後年に親の跡を継いで開業医になった友クンもいたんだ ちょうど良かった。

 アンタ達さ、今日学校が終わったら一緒にA子の家に行こう

 5時半にHさんが校門のところに車で迎えに来てくれるから それまでに部活を切り上げといて」


そんな突然の、しかも命令口調にキョトンとする僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友


B子がその時に行った「Hさん」とは A子の家の運転手さんで、正確に言えば A子の父親の会社の社員で 社長の秘書兼運転手だった人なのだが、ほとんど毎朝A子を乗せて学校に来ていたり、それまでに何度か接する機会が僕達はあったから知っていた


「校内放送で呼ばれて行ってみたら Hさんが来てて…」


「Hさんが何の用よ?」


と、後年に親の跡を継いで開業医になった友が聞くと


「¥¥ちゃんが死んだんだって

 で、6時からお通夜するんで参列して欲しいんだってさ」


「¥¥ちゃん? 誰だそれ? A子じゃねぇよな?」


僕がB子にそう聞くと


「後年に親の跡を継いで開業医になった友クンのところから貰った A子の猫よ」


と、B子


「猫? え?」


と、戸惑う僕の横で後年に親の跡を継いで開業医になった友が


「猫の通夜? なんだ、それ?」


と、やはり戸惑っていたが


「A子のお父さんが 悲しんでいるA子を慰めるつもりで

 ¥¥ちゃんはA子の兄弟も同然だから ちゃんとお弔いしなきゃって言い出して…

 だから、Hさんがそれを伝えに来てくれたのよ

 いい? 判った? 5時半に校門集合だからね」


午後の授業の予鈴に急き立てられる様にB子は自分の教室へ 戸惑いながらも後年に親の跡を継いで開業医になった友も去っていった




その日の5時半。


「ちょっと知り合いのお通夜に行かなきゃならないんで」


まさかA子の猫のとは言えず、野球部の顧問の教師にそう断って部活を切り上げた僕と


「ちょっと猫の葬式に行かなきゃなんないだわ」


と言った途端


「オマエ、またどこかの中学に殴り込むんじゃ…」とサッカー部の顧問から言われたのを聞き流した後年に親の跡を継いで開業医になった友


それと、放課後になって何処かで買ってきた花を持ったB子の3人が中学校の校門ところに集まっていると Hさんが車を運転して迎えに来た。


実際、A子の自宅は中学から歩いても20分ぐらいのところで 車で移動したら数分で着く距離


A子の自宅に着き、何度も遊びに来ているB子の先導で僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友が続くと 玄関でA子の父親が出迎えてくれて、自衛隊官舎しか知らない僕には まるでTVドラマに出てくる「社長さんの家」そのものの広い居間に案内されると…


さすがに人間のほどでは無いにしろ簡単な祭壇があつらえてあり、おそらくはA子の父親の会社の取引先なのか下請けらしき会社名が書かれた花籠や果物籠がパッと見、10個ずつぐらい供花や供物として並んで そんな祭壇の中央に額に入った子猫の写真が供えられていた。


それを見て


「まるで人間並みじゃねぇ?」


と、呟く 後年に親の跡を継いで開業医になった友の太ももの急所に B子がさりげなく膝蹴りを入れて黙らせてるのを ようやくA子は気づき


「え? わざわざ来てくれたの?」


と、はにかむA子だったが それまで相当泣いていたんだなと判る腫れて赤くなった目を見たら 僕や後年に親の跡を継いで開業医になった友は何も言えなくなっていたのだが、さらに僕達が呆気にとられたのは


「いやいやいや、どうも遅くなりまして…」


数分後に現れた 何処からどう見てもどこかの寺の住職で 祭壇に飾られた子猫の写真を見ながら


「ほぅ、これは良いお顔をしておられる…」


とか言いながら


「では、早速」


と、祭壇の前の中央に座ると


「南無阿弥陀仏~」


と、念仏を唱え始め 住職と一緒に来た見るからに若い坊さんが焼香の準備をてきぱきと始める


どこから見ても 人間様のお通夜が始まった。


参列したのは A子とA子の両親、それに僕とリッチーとB子 そして、Hさんと 見た感じ30代の女性が一人と50代後半の男性が一人


通夜が終わり、何をどう言えば良いのか判らない状態の後年に親の跡を継いで開業医になった友と僕に Hさんが


「食事を用意してあるから 食べていってね」


そう促されて連れて行かれた別の部屋に 既に仕出し料理のお膳が並び…


やがて、A子の母親を除く参列者がそこに集まると A子の父親の簡単な挨拶があって会食が始まったのだが…


茶碗蒸しまでセットされた御膳は それまでの僕の人生の中で最高レベルなもので、A子の家では 猫の通夜の「ささやかではありますが…」の料理でも、僕の家では正月並みの御馳走なわけで なんかそんな卑屈で複雑な思いを抱き箸をつけられずにいると、開業医の倅という環境に育った後年に親の跡を継いで開業医になった友は 何の違和感もなく料理を食べながら


「これ、どこの仕出し屋? あぁ、@@屋か さすが、この椀モノ美味いね」


…なんて普通に会話している。(中学生のくせにだ)


すると、Hさんが


「あれ? なんか好き嫌いあった?」


と、僕に聞くので


「いえ、何から食べようかと目移りしちゃって」


…って感じで誤魔化した様に応えると


「こういう席の御膳はね 残したら失礼になる…って思って 気持ちよく食べちゃいな」


と諭すので 最終的には米粒一つ残さずに頂戴した。


会食していて判った事は そこに同席していた30代の女性はA子の父親の会社の社員で社長秘書だった人で 50代後半の男性も役職や肩書きは判らなかったがA子の父親の会社の社員だという事。


二人は誰とも話をしようとせず、ただ黙々と料理を食べると


「そろそろ失礼させて頂きます」


と、静かに去っていった。


B子はA子と二人で何か話をしており、A子の父親は住職と声高に世間話をしており 必然的に僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友と そしてHさんの3人が固まって座る構図となり…


「ビックリしたでしょ? するよね? 猫の葬式だもんね

 朝、社長から 私と今帰った女の秘書に 猫の葬式の手配しろ…って指示されてさ

 こっちもどうしたもんかとドタバタだよ

 で、そこの住職に相談したら 葬儀屋手配してやるから A子さんの御兄弟が亡くなられたと想定して

 葬儀をやれって…


 その結果がこれさ」


僕達は それを笑って良いのか、どう反応したらいいのかさえ困っていると ふと、住職が聞きつけたのか


「宗派や住職の考えによっては 人間と動物を一緒に扱ったらダメだと言うのもおる

 けれども、ペットは飼い主にとって 自分の親兄弟よりも身近な身内だと感じている人もおる

 ペットとは言えども、そこに命があり、肉親より身近という情があるのならば

 親兄弟同様の弔いを否定するのは ワシは逆に仏の教えに反すると考える

 ひとたび家族の縁を結んだからにはクソ・ションベン 下の世話を厭わぬのはもちろんの事

 その命の終わりまで見届けてやるのが家族の責任であり、絆というもんじゃないかい?

 猫の葬儀を…と聞いた時、ワシは久しぶりに感動した。

 そこまでして貰えれば、猫も本望じゃろう


 けれどもな、住職のワシが言うのもナンじゃが もう一つ、別の考え方もある

 それは、葬儀というのは 亡くなった故人に成仏して貰う為の見送りであると同時に

 遺された親戚縁者や知人達に 故人との別れの区切りを付けるキッカケという区切りという考え方でな


 いつまでもメソメソと泣いておったんじゃ、故人も浮かばれまい?

 同様に、生きていかねばならん者が 故人の事でいつまでも生きてるモンがメソメソと泣いておったんじゃ

 その者の人生が停まったままになってしまうじゃろ?

 だから、葬儀という区切りを付けて 気持ちを切り替えなさいという意味で

 葬儀は故人の為でもあるが、遺された者の為に行う…という考え方もあるのよ


 つまり、成仏ってのは故人があの世へと旅立つ事を言うんだけど、

 それは、生きている者が その故人の死を受け入れて、その上で生き続ける為の区切り…って事

 そんな考えも ある意味では必要な事であり、必要な人もいるんだわな」


たぶん、僕の人生の中で ひとつの、しかも、ちゃんとした宗教観に出会ったのは この時が最初だった。


それまでに祖父や祖母などいくつかの身内の葬儀に参列した事があったけど、僕が幼かった事もあるし 何故、葬式とか法事が行われるのか? なんで宗派とか宗教が一つじゃないのか? そして、亡くなった後 故人はどうなるのか?… そんな事は全く考えた事が無かったから その時の住職の話は 僕にとって、その後の僕の宗教観のチュートリアルみたいなものだった


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コメント

もし死後の世界というものがあるのであればと仮定してのコメントお許し下さい。

人は亡くなると、自分の葬儀を見自分の死を自覚すると聞いた事があります。
49日の間に今までお世話になった人々にお別れの挨拶にまわるとも聞きました。
そして懐かしい人の手引きであの世へと旅立っていくとも・・・・・

生きている人間がいつまでもメソメソしていると、故人が心配であの世に行けないとも。
ともかくも墓参りや時々故人を偲んで思い出すのも一つの供養でありますが
生きている人間が毎日を正しい行いで元気にしている姿こそが、故人を一番安心させ、供養になっているのかなとも私は思っています。

当然私もまだそんな臨死体験すらない小僧ですが、もし本当にそんな魂の世界があるんだったら
自分の時は誰が迎えに来てくれるんだろう?そんな事を考えると少しうれしくもなってしまいます。

臨終間際は嗚咽ではなく、拍手とありがとうの言葉とお疲れ様でしたと見送ってほしいと願っています。
しかしそれは大往生した場合の話であって、不意の死であったりした場合は・・・・・・
それでも私は頑張ったねと最後のお別れをしたいと思います。

ブタネコさんの場合は親父さん奥様のお父様に肩をつかまれ、生前の総括でしょうかねw

憎まれっ子世に憚る、私はこの言葉をブタネコさんで体現してほしいと思ってるんで
まだまだ頑張ってもらわねばと心から願っています。

★ Wen さん

もし死後の世界というものがあるのであればと仮定してレスします。^^


私は出来る事ならば、自分が死んだ時 自分の通夜や葬儀を眺めたいと願っています。

誰がいくら不祝儀を包んだか、誰が泣き、誰が悲しんでくれたか しっかりこの目で確認したいと。

その上で、49日間を有効に使い ある人には良い意味での御礼を、そしてまたある人には精一杯の仕返しをしてスッキリしたいと。

懐かしい人の手引き…云々はノーコメントにさせて頂きますが、もし貴君が身罷られた時は 他に人がいなければ私が出迎えて差し上げます。


>他に人がいなければ私が出迎えて差し上げます。

ブタネコさんに出迎えてもらえるのでえれば、閻魔様のお裁きもノーチェックで通過できそうですね^^

じゃああの場所で待ってますので、その時は宜しくお願いしますねw

ブタネコさん「トントン・・・グサッ・・・待った?」

私「うん、グサって・・・死ぬかと思ったよ。」

ブタネコさん「ふさけんなよてめぇ~、とっくにくたばってんだよこの野郎~^^」

で、二人手を繋いで堤防の上を・・・・・って┐(´ー`)┌オイオイ

ワシントンホテル前での初対面の時の様に、人間違いはしないで下さいね~(* ̄m ̄) ププッ

★ Wen さん

>ワシントンホテル前での初対面の時の様に、人間違いはしないで下さいね


覚えてんじゃねぇよ そんな恥ずかしい事。

リハーサルの時のウォークマンみたいに防波堤から投げ込むぞ


はじめまして
ブタネコさんのブログにたどり着いたのは、実はずいぶん以前に玉木宏さんのファンに成りたてで情報を探していた頃でした。
今日までちょろちょろと読みに来させていただいていたのですが、A子さんのお話は、ブタネコさんのプライベートを覗くような気がして読んでいませんでした。
ところが今日、ついついエピローグを読んでA子さんのことをもっと知りたくなり矢も盾もたまらずその1から読み始めました。
ここまで自分の中学生時代を思い浮かべながら一息で読んで、


>つまり、成仏ってのは故人があの世へと旅立つ事を言うんだけど、

>それは、生きている者が その故人の死を受け入れて、その上で生き続ける為の区切り…って事

という言葉が、9日に母を亡くしてまだメソメソしている自分にハッとさせてくれました。
すぐには、気持ちを変えることはできそうにありませんが、この住職の言葉を教えてもらえてすごく気持ちが楽になったような気がします。

長々と書いてしまいましたが、ブタネコさんにこの言葉を教えていただけたお礼をどうしても言いたくてコメントさせていただきました。
ありがとうございます。

★ kitan さん

こちらこそはじめまして。^^

お役にたてたならば こちらも幸いです。


【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。