● 江 最終話
2011年の大河ドラマ「江」の最終話を見た。



「上野樹里」

「水川あさみ」

「豊川悦司」
ようやく最終話を見終えたかと思ったら清々する。
この「江」の第1話を見た感想として私は
この大河ドラマで描こうとしている浅井長政の3女「お江」は 私が今まで見聞してきた「お江」とは 相当かけ離れた人物像になりそうだ…と 思った。
と、同時に このドラマの演出担当者や脚本家は「この番組は実話に基づいたフィクションです」を通り越し、「この番組に登場する団体・個人は架空の存在です」まで話を作り替えようとしている悪寒がしてならない。
…と記したが、当たらずとも遠からずだった様だ。
歴史上の人物の誰かに焦点をあてて その一生を描きつつ、その時代の流れも描くという志向にケチをつける気は毛頭無い。
むしろ、日本史の教科書や試験に出る様な著名人よりも その補佐役とか右腕とも言える重要な役所の人物でありながら歴史好きにしか知られていない様な人物に焦点をあてる…という志向は私の最も歓迎するところでもある。
そういう意味では浅井三姉妹の三女である「江」という焦点はけっして悪い着眼では無いと思うんだけど 演出と(特に)脚本は全くいただけないものだった。
最も腑に落ちないのは江の誕生は天正元年(1573年)が定説とされており、本能寺の変が起きたのは天正10年(1582年)6月2日である事を考えると この時、江は9歳
大河ドラマ「江」の中で本能寺の変前後に いろんなところに顔を出していろんな人物と接点を持ったかの如く描かれていたが、とても9歳の女子の所行とは説得力の欠片も無く、しかもそんな9歳の女子を「上野樹里」に演じさせる演出に不信ばかりがつのったが故に その後の展開はアホらしくて真剣に見る気が失せた。
それと、大河ドラマに限った事では無いのだが 昨今の歴史物のドラマや映画って「戦乱の無い平和な国を作る」のが主人公の強い願い…みたいな描き方をするけれど 制作者、特に演出家が「戦乱の無い平和な国」ってのを自身の平和ボケで勘違い視点じゃないか?と思いたくなる程軽い作りが多い事に辟易とする。
例えば「江」に一例をとると 親の敵と覚しき秀吉が難くてたまらず、その妾となった長姉「淀」も憎み「豊臣なんか滅ぼしてしまえ」と義父や亭主の尻をかく女房像であってもいいわけで 事ある毎に「戦いはやめてください」と泣く女ばかりじゃねぇだろ?現実は… なんて、言いたくもなる。
が、そんなことはどうでもいい。
一番、「なんだそれ?」と感じたのは
11月26日放送の「土曜スタジオパーク」に出演した「上野樹里」がトークの中で「江」の撮影に関して語っていたのを見た時だ。














長丁場の仕事(演技)から開放されたばかりで 疲れなどいろんなものが抜けてない状況なのは察するが、この番組における彼女のトークを聞いていて 私の「上野樹里」ヒャッホイ度は霧散した。
ゆえに、今後 彼女だけを捉えての記事更新はしないと思うので 彼女のファンの方々には悪しからず。
