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2011年08月15日

● プライド・運命の瞬間


1998年に公開された映画「プライド・運命の瞬間」が つい最近、DVD化されたのをさっき観た。




プライド


この映画に関しては 少々、個人的裏事情があり いわゆる一般的な他の映画を見たのとは違う状況で劇場公開時に見て いろんな事に思いを巡らせた一本だったから、制作に関係したある方から「進呈」と称して新たにDVDとなったものを頂戴した時に 今年の敗戦祈念日にこれを見ようと決めていた。


この「プライド・運命の瞬間」という映像は カテゴライズは「映画」だが、私は「参考書」と受け止めて 出来れば中高生の若者に見て欲しいと切に願う。


私が小中高の学生だった頃、日本史の教科書では ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ、そして日本の東條英機を並べて 第二次世界大戦を引き起こした三大独裁者の様に記しており、東京裁判に関しては 如何に戦時下とはいえ大戦中に犯してしまった日本の非を明らかにしたもの…みたいな記述


しかも、私が通っていた高校の日本史の教科担任は 自身が組合活動に参加する為に授業時間の相当数を自習にしてきたツケで 明治維新以降の授業を


「この辺は教科書に載っている事しか入試問題には出ないから教科書をまる暗記しておくように」


と言って1時間で済まし、しかもその1時間の授業時間の大半を「憲法9条がどんなに大切で 自衛隊が違憲か」を演説しただけだった。


現在の教科書の昭和初期、第二次大戦前後を歴史の教科書にどう記述され 教師がどう授業しているのかは知らないが、先述した様に教わった私は それがいかにデタラメなものだったか その後の人生勉強の中で痛感したんだな。


プライド

プライド

プライド


近年、この東條英機という人物の評価に関して見直すかの様な書やドラマや発言を耳目にする。


日本を戦争に引きずり込んだ悪の権化… そう教えてきた戦後の歴史教育の修正が始まったらしい。


ただね、あくまでも私の個人的意見を言えば 東條英機という人物が見直されるとしても賞賛すべき人物だったのか?と考えると疑問を感じるが、けっして唾棄すべき人物では無いとも 一説には東京裁判において「天皇の戦争責任」を問われない様に護った…とされる部分が真実か否かはさておき 結果的には大いに護った事を考えると、日本古来の武士として忠臣と認めるべきであり、戦時中 軍高官で間違った指揮をし多くの部下を死傷させておきながら、戦後「あれは戦争だったから」と その責任を転嫁した人々に比べればはるかに立派な人物だと思う。


しかしながら、そういう風に私が学校の授業でねじ曲げられた歴史認識を今の様にあらためるキッカケとなったのは一冊の本であり、そこからいろんな人の話を聞き、いろんな本やドラマや映画を見ながら自分なりに検証した結果でもある。


そういう意味で、この映画「プライド・運命の瞬間」は 単なる映画としてではなく、歴史認識をあらためる参考書としてキッカケになる事を願うばかりだ。




それと…


プライド

プライド


プライド

プライド

プライド

プライド


上の5枚のキャプ画は 東京裁判における被告弁護団が意見を述べているところ


こういうシーンを見ると 欧米人の思考とアジア系の思考の違いが如実に見て取れる


蔑視と言われるかもしれないが もし、これが韓国人や中国人であれば他国の弁護にこういう発言をする事自体私には考えられないからだ。


では、日本だったらどうか? そこが我々日本人にとって一番考えなきゃならない事だと思うんだ。


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コメント

はじめまして。
遊(ゆう)と申します。

法は都合でブレないのですね。
真の法治国家か否か…

少なくとも、上の画像を拝見するかぎり、東京裁判が裁判として公正性を保つことを前提に、一方的に
求刑されたのではなく、米国弁護団による弁論が米国の正義に偏ることなく、戦争を客観視しながら
理知的に進められたことがわかりますね。
戦争というものを日本一国の罪として裁くのではなく、米国を含めた世界の大罪とした認識の上にたって日本を裁Kという真摯さが伝わります。
アメリカという大国のある意味、民主主義国家としての偉大さを再認識します。
しかし、東條英機はともかく、この裁判で裁かれた人々全員が、被告として妥当だったのか…
求刑の内容が妥当だったのか…

それは私にはわかりません。
ただ、戦後日本が敗戦の事実からできるだけ目を背けてきたのは事実だと思います。

ブタネコさんが、終戦記念日と書かず、敗戦記念日と書かれていることに、ブタネコさんの強い思いを
感じます。

共産主義国家では、こうした裁判は無理でしょうね。
公正性も客観性も望めないように思います。
民族の問題とは違うように思うと同時に、
民主主義という考え方じたい、民族による国家観がベースにあるのだとすれば、それはやはり、
アジアの民族ではなかなか難しいのが現状なのかもしれませんね。

では
日本人では…

これは、努力目標になってしまうのかもしれません。
ただ、もしも私が私の目の前で米国兵に家族が殺された立場だとして、米国を裁かなければならない
ような立場に置かれることがあるとしたら、とてもじゃありませんが、客観的立場で異国による
殺害事件を客観的に弁論することなどできないでしょう。

目には目を…となってしまいそうです。

もし、日本が戦争に勝ち、米国が負けていた…なんてことになっていたら
日本が米国を裁かなければならなかったわけですよね…

「敗戦記念版 世にも奇妙な物語」でドラマにでもしていただけると面白いかもしれませんね。
もしも、日本が勝って米国を裁くことになったら…って設定でね。

コメントが思いのほか長くなってしまいましたが
このコメントの目的は次に述べることにありました。
もう少しで忘れるところでした。

実は、私のサイトに貴サイトのリンクを貼らせていただきました。

もし差支えなければなのですが、
貴ブログに私のサイトをリンクしていただけませんでしょうか?

というお願いをするために感想を書き始めたのでした。
長くなりました。
大変申し訳けございません。

なにとぞ
よろしくお願いいたします。

(サイト名)ドラマな人々@遊Blog
(URL)http://drama-haiyuu.seesaa.net/


★ 遊 さん

こちらこそはじめまして コメントありがとうございます。


>少なくとも、上の画像を拝見するかぎり、東京裁判が裁判として公正性を保つことを前提に、一方的に求刑されたのではなく、米国弁護団による弁論が米国の正義に偏ることなく、戦争を客観視しながら理知的に進められたことがわかりますね。


う~ん、私の記事の作り方が拙く 誤解させてしまったようで申し訳ありません

この映画を実際に御覧になれば 少なくともこの映画は真逆の事、つまり、東京裁判には公正性が著しく欠如し、ともすれば一方的な求刑がなされた事を描いているんです。


一番上から3枚のキャプは裁判長とキーナン主席検察官の会話でして 東京裁判におけるエンディングのシナリオは既に連合国側の政府達やGHQ司令部では大枠が決まっており、それを如何に公正な裁判の様に見せかけて早期に裁判を成立させるか…に腐心しているところ

それに対し、下の6枚のキャプは そんな中で、被告弁護団となった連合国側の弁護者達が裁判の公正性を求め様と発言しているところに 連合国側の人間でありながら、その中には裁判は裁判として公正性をと考え求める人達がいたんだな…と、感心したからです。

要するに、「戦争は戦争」、「裁判は裁判」と冷静に区分けして考える… すべからく欧米人の中にはこれが普通に出来る人が少なくないという事に対し アジア各国の人間は「勝ったモン勝ち」みたいな部分が大であり ともすれば、過程も理屈も関係無しにダメ元で言ってみて相手が承伏すればそれでOK…みたいなところが大なんです。

歴史に「もし」は ある意味タブーだと私は考えているので あまり考えたくは無いのですが、もし、日本が大戦に勝利し 東京裁判とは逆の(ワシントンかニューヨークかはともかく)裁判が行われたとしたら 被告である連合国側を日本人弁護者が同じように弁護したのだろうか? …というのが 記事文中で私が述べたかった一つの疑問

と、同時に 韓国や中国であれば 政権が交代する度に前政権の汚職などを追及する事に躍起になり、オリンピックやワールドカップなどスポーツ競技で負ける度に審判に食ってかかる韓国や 何でもかんでもダメ元みたいに言い出す中国に そんな公正性を求めるのは無理でしょ? とも。

ゆえに、もし、戦前戦後の近代日本史に興味や疑問を抱いた若者がおられるならば この映画はひとつの参考書になるんじゃないかと愚考する次第でして、けっして丸ごと事実と受け止める必要は無いのです 参考的材料として咀嚼する材料として…という意味で


私が終戦記念日と書かず、敗戦祈念日(敗戦記念ではありません)と書いたのは 戦争で亡くなった軍人達の中には日本が後世で良い国になる事を強く願った遺書を遺された方が多い事と、「日本は絶対に勝つ」と信じて逝かれた方も少なくない事を思えば その方々への弔意、慰霊を考えると 時に「終戦記念」とは言いにくい思いが過ぎるからです


さて… リンクの件


当方はありがたくリンクさせて頂きたいと存じますが、当方は いつもこんな調子ですからそちらに御迷惑等はかかりませんか? それだけが心配です。(笑)


本文に対してではなくすいません。

>>戦争で亡くなった軍人達の中には日本が後世で良い国になる事を強く願った遺書を遺された方が多い事と、「日本は絶対に勝つ」と信じて逝かれた方も少なくない事を思えば 

このブタネコさんのコメント
これを思えばいかなる立場にある日本人でも靖国神社(勿論靖国神社が絶対ではないですが)
に行くことを憚られるものではないはずなのではないでしょうか(民間人で亡くなられたかたもいらっしゃいますが)。

毎年話題に上る連中(それについてイチャモンつける連中含む)は国賊と言いたいです。
先人達になんと申し開きするのか聞いてみたい所です。


★ けんしろう さん

参拝に関して否定的な意見を集約すると 大きく分けて3つに分類されると愚考します。
(もちろん例外も多々ありますが)

・戦犯が合祀されている

・故人が望んでいなかったのに靖国神社に祀られた人がいる

・政教分離を尊重するべき

でもね、

戦犯に関しては 東京裁判をどのように考えるか…が まず重要で、この意見を唱える方の多くが「だって、そういう判決だったじゃん」みたいに 経緯や過程を何も考えていないケースが殆ど 中国や韓国に対する政治的な配慮…なんて意味で言う人も多いけど 三国人の顔色と先人への弔意と どっちが大事か?と問いたいですね

「故人が望んでいなかった」を唱える人の場合は遺族の気持ちは判らなくもないが、靖国神社というのは 故人の個々を奉ずるだけではなく、戦時殉職者全体を祀るという意味がある事も御理解願いたいと思う

で、「政教分離」に関しては この意見を唱える人の多くに逆に問いたいのは では、公明党の様な政党が存在している事に対して どう考えてんの?と。

ブタネコさん、こんにちは。

ここ数日、ブタネコさんの戦争関連の記事を読ませていただいています。

この映画、DVDが出ているとは知りませんでした。

公開当時、幸運なことに地元で行われた映画祭で上映されたので、映画館で見る機会を得ました。

当時、インドの富豪が歌い踊る映画が流行っていた時期で、多くの人はそちらに行く中、人波をかき分けてこの映画の上映会場に行ったことを思い出します。
会場には中高年の男性がぽつぽついらっしゃいました。

当時ネットで声高にこの映画について批判している意見が多かったように記憶しています。

教科書程度の知識しか持っていない私ですが、映画を観ながら、東京裁判は不公平な裁判だったんだなと感じました。
あらかじめ、決められた結果に導かれるように進められたことがこの映画を観て感じられ、背筋が寒くなり、憤りを感じたことを思い出します。
なぜ、この映画を観ようと思ったのかは忘れてしまいましたが、これ以後、先の大戦について知らないことが多すぎるなと折に触れて、勉強するようになったので、忘れられない作品です。
もう一度観たいので、探して観たいと思います。

元旦に『永遠の0』を見に行きまして、原作を読み、またいろいろ勉強しなくてはと思っているところです。
私の母方の親戚の方に若くして戦死された方がいらっしゃいます。
母もその方のことは知らないそうで、すでに身寄りもないとか。
母は、祖母がそうしていたように、お墓参りには必ず花を手向け手を合わせています。
今まで私は、へーと思い、何気なく手を合わせてきましたが、ここ数日、零戦関連の記事など読みながら、そのお墓のことを思い出します。
どんな方だったのだろう。
どの戦場へ行ったのだろう。
しかし、すでに母方の祖父も祖母もなくなっており、詳しい話を聞くことは難しいので、せめて、慰霊と感謝を忘れずにいたいと思います。

また、私の両親は小学生の時、アメリカ軍の戦闘機を見たことがあるそうです。
私が今住んでいる地域でも300名もの方が亡くなったと聞きました。
もしもその時、両親が巻き込まれていたら・・・と考えて背筋がぞっとしました。

知らなくては・・・と思う事はたくさんあり、頭を整理しつつ勉強していきたいと思います。

★ slan さん

私はたぶんとても運の良い人間なんだと思います。

従軍経験者が身内に多く、子供の頃からそんな叔父さん達に戦争経験を聞く機会に恵まれましたし 学生(特に高校生)の時に、暇潰しの雑談みたいな感じではありましたが、喫茶店で知り合った方々やその関係者達から戦争経験談を数え切れないほど拝聴できましたからね

そのせいか、当時の日教組や北教祖系の教師達による幻想平和主義倫理観とか、自虐史に基づく左系解釈戦争論たっぷりの授業に大いに疑問を抱き、矛盾も感じてくぐり抜ける事が出来ましたから

もちろん、現在における私の持論とか考え方が間違っている可能性は絶対に否定できませんが、「あれ? もしかしたら俺の考え方が間違ってるのかな?」と感じる様な説得力のある反論にはお目にかかったことはありませんので たぶん、このまま私は墓場まで行く事と思います。

私は自分では やや右寄りの思想だと思っているんですが、周囲の連中に言わせると「かなり右寄り」なのだそうです

まぁ、私がどれだけ右に寄ってるのかはどうでもいい事ですが、私は「軍備増強して中国や韓国を攻め滅ぼせ」とか「北方領土は奪還すべきだ」なんて事は今まで一度も言った事がありません

私は今までに聞きかじった戦争経験者達の話から この国に一番欠けているのは戦没者に対する慰霊であって そんな基本を蔑ろに「平和」とか「外交」とか「政治」とか語る事に意味も意義も無いと確信してます

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。