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2011年07月10日

● A子の話(その12)


中学二年の夏、中体連の市大会の本番の日の事。




僕が通っていた中学校の野球部は何度も記した事だが、強豪校では無い。


僕の学年の部員達は小学生の時に少年野球のチームでも一緒で、僕も含めて6年生の時に札幌の大会で準優勝し北海道大会でもベスト4に入った経歴の持ち主だったから 野球に関してそれなりにプライドが強く 中には真剣に高校の強豪校に進学して甲子園に行くんだ…と考えている者も少なくなかったから けっして弱いチームでも無かった。


ただ、そんな中にあって 僕自身は自分が飛び抜けて優れた選手だとは思っていなかったし、努力や練習で そういった秀でた選手になれるとは思ってもいなかったから、2年生でレギュラーにはなれたけれど 高校の強豪校に進学して甲子園に行くんだ…と考えている者とは雲泥の差ぐらい冷めていた。


で、中学二年の夏に地区大会を勝ち抜いて進出した中体連の市大会の一回戦、僕達はものの見事にコールド負けを喫した。


相手のピッチャーの球が予想以上に速かった事と ノーコンに近い荒れ玉で見極めにくく打ちこなせなかった事と、こちらのピッチャーがあまりにも不調で易々と打ち込まれた事が敗因だった。


高校の強豪校に進学して甲子園に行くんだ…と考えている者達にとって、コールド負けは屈辱で試合後に項垂れて泣く者さえいた。


僕は…と言えば、「気が向いた」と見物応援に来ていた後年に親の跡を継いで開業医になった友と呑気に


「思いの外、早く終わったんだから映画でも見に行かないか?」


なんて会話をしながらグランドの側の木陰でユニホームからジャージに着替えていたわけで…


そこに、やはり見物応援に来ていたA子とB子もやってきて


「惜しかったねぇ…」


「コールド負けに惜しいもくそもあっかよ」


たしか、そんな会話をしていたのだ。


それが、先述した真剣に「将来は甲子園」なんて考えていた連中の癇に障ったんだろう


「ブタネコぉ 何、ヘラヘラしてんだよ 負けて悔しく無いのかよ!」


たしかに、彼等が怒るのは理解が出来たから「あ、悪かったなぁ」と思い 言葉に詰まった。


が、彼等の中の一人が詰め寄ってきて放った その次の言葉がいけなかった。


「A子ぉ、オメェのお陰で腹壊されてこのザマだよ! どうしてくれんだよ!」


おいおい、それはいくらなんでも言い過ぎだろ…と思った瞬間 横からとても素早く、とても華麗な回し蹴りが詰め寄ってきたチームメイトの顔面に炸裂し 彼はものの見事に吹っ飛んだ。


その回し蹴りはB子の仕業で


「あんたぁ、何言うとんぞ?

 簡単に壊れる様な腹ぁ、A子のせぃにしとるんやないよぉ!」


B子は吹っ飛んで倒れたチームメイトを見下ろしながら そう言うと、もう一発脇腹に蹴りをくれ、A子に向かってニコッと笑うと


「A子ぉ 気分直しにお好み焼きを食べに行こ」


僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友は 呆然と、その成り行きを眺めていた。


と言うか、後年に親の跡を継いで開業医になった友はB子の回し蹴りの華麗さに見惚れ 僕はB子が蹴りを放った際に華麗にスカートがまくれあがって丸見えになったパンツに見惚れていたのだ。


しかし、B子がA子を促して歩去ろうとする後ろから 蹴り飛ばされた奴が追いかけようとするのを見て後年に親の跡を継いで開業医になった友がその男を慌てて止め、


「おいおい、俺はA子ちゃんファンクラブの会長なもんでよ A子ちゃんを侮辱する奴は許せねぇんだぁ」


と、間に入り


「この腹か? 俺の大好きなA子ちゃんのお茶を飲んだのは?」


そう言いながら、みぞおちの当たりを軽く殴り


後年に親の跡を継いで開業医になった友が どんな本を読み、どんな映画やTVを見て そんな決め台詞を編み出したのかは定かではないが、


「なんなら、もうちょっと怪我を増やしてウチの病院に通うか? あ?」


この決め台詞はその後の彼の定番となり、「@@のマッチポンプ」という綽名を周辺の中学生達に本人自らが広めた事は今まで極秘にされてきたけれど良い機会だからネタばらしをしつつ、その最初に発せられた記念すべき日がその日だったのだが そんな事はどうでもいい。


その場にいた僕はそれまで何も出来ず、ただ眺めているだけだった。


でも、後年に親の跡を継いで開業医になった友の凄味にチームメイトが怯んだのを期に


「おい、止めろ 公衆の面前なんだから」


そんな事を言って場を治め、後年に親の跡を継いで開業医になった友を促して帰途についたのだが…


今思えば、僕と他の野球部の同期達との間に見えない溝が広がり始めたキッカケだったんだろうな。


そこから100mも歩かない場所で A子とB子が立っているのに気づき、近寄ってみるとA子が


「B子、また足がおかしくなっちゃったんだって」


見るとB子は痛みに顔を歪めてる。


「あの回し蹴りの時に また捻っちゃったの?」


と、聞くと B子はコクンと頷く


「アホだなオマエは」


僕がそう言うと 一瞬、そうほんの一瞬だが殆ど殺意に近いキラッとした目つきで僕を睨んだが それ以上に痛みが激しいのか表情を苦痛に歪める。


僕は さもそれが当然の様にB子の前でしゃがみ、


「とりあえず、おんぶしてやっからタクシーの拾える通りまで行こう

 で、真っ直ぐ 後年に親の跡を継いで開業医になった友の家の病院に行こう」


B子も おそらくは何も考えずに僕の背中におぶさり、僕が歩く後ろを後年に親の跡を継いで開業医になった友とA子もついてきて その後、4人でタクシーに乗って病院へ


病院でA子と後年に親の跡を継いで開業医とは別れ、再び足首をギプスで固められたB子をおぶって官舎まで歩く途次…


「この前から ちょっと気になってたんだけど、オマエ 怒ると言葉が訛るよな?」


歩きながら背中のB子に聞くと B子は深いため息をハァ~とつき


「とうとう、やっちゃったわいね」


と、見事な訛り口調。


「何処の訛りだよそれ?」


「メインは松山の伊予弁、それにお父さんの影響で色々とごちゃ混ぜ」


「伊予弁かぁ… 初めて聞いた」


「幼稚園と小学校の1・2年の時に松山とか善通寺にいたんよ…」


「なるほどね、方言のごちゃ混ぜは自衛隊家系じゃ当たり前みたいなもんだからな

 でも、いいな四国で 俺なんか津軽弁だぜ」


「小学校の3年の時に宇治に転校したら”変な言葉”とか「訛りもん」ってバカにされたんよ」


「あれ? もしかして、オマエ 訛りが出るのが恥ずかしくて口数が少ないのか?」


B子は言葉では何も応えなかったが、その代わりおぶさっている私の首を絞めた。


そう、この時初めて判ったのだが B子が普段無口なのは自分の言葉の訛りを気にしていたからだったのだ。


それはB子にとって相当なトラウマだったらしく それ以上、言葉の訛りに触れられるのが嫌らしいと察した僕は


「オマエの回し蹴り見事だったけど 空手かなんかやってたのか?」


と、話題を変えてみた。


すると、


「お父さんに教えて貰った」


さすが、B子のマッチョな親父だ。


「宇治にいる時に 訛りをバカにされて帰ったら、そんな奴はくらわしちゃれ…って

 徒手格闘って自衛隊では言うらしいんだけど ウチのお父さんそれの教官も出来るらしくて…」


B子の親父なら間違いなくそうだろう。


でも、その日の夜、例の如くB子の父親に銭湯に連れて行かれ


「キサンがついていながら、またB子に怪我ばさせるとはどういう事ね?」


事情聴取と説教だった。


「B子が回し蹴りなんかするから…」


と、僕が説明しようとすると その説明を全部を聞きもせず


「なんで、B子に回し蹴りなんかさせたとや?」


「そぎゃん時は キサンが専守防衛しちゃり!」


結局、僕が怒られた。


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コメント

久々のUP楽しみにしてました
微笑ましいエピソードですね~学生時代が懐かしい

★ issi さん

お楽しみ頂けて幸いです。

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