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2011年06月12日

● A子の話(その5)


北海道の小中学校の夏休みは本州以南の学校に比べて短い。




お盆が過ぎた直後に中学校の2学期が始まった。


B子は僕やA子とは違うクラスに編入されたが、A子が気を利かせて昼休みにB子を僕達の教室に連れてきてA子とB子が仲良くA子の机を挟んで向かい合って座り、弁当を食べる。


相変わらず僕も隣の席で弁当を食べ A子は僕の弁当のオカズから狙いを定めた何かを強制的に


「バクって」


と、持って行く習わしも続いていた。


そして、弁当を食べ終えた後は 僕はいつもの様に推理小説を読んで過ごし、A子とB子は それぞれが読み終わった本の感想を楽しそうに喋って過ごす。


そんな様子を本を読むフリしながら たまに盗み見ると、日が増すに連れてB子はいたって普通に会話する女の子になっていったが、相変わらず僕や後年に親の跡を継いで開業医になった友が話しかけても 殆ど返事をしてくれず、たまに返事をしてくれても聞き取りにくい小さな声


それはどうやら僕達だけじゃなく A子以外の他のクラスメイト達に対してもそうだったらしく、それはやがてB子がB子のクラスメイト達から浮き上がる原因にもなる。


何度か述べた事だが、僕達が当時通っていた中学校の生徒には 校区内に電電公社や郵政の大規模な社宅があり、そこから通ってくる者だけで学年全体の1/5ぐらいの人数となり、そこに北電や日通の社宅の子供達も労働組合繋がりみたいな友好的関係にあって それはひとつの派閥みたいなものを構成していた。


で、いわゆる一般家庭の子供はといえば 何故か校区内の住宅街は どちらかというと父親が会社の重役や医者、弁護士、会計士と言った知的階級の家庭が多く 組合系の家庭の子供は知的階級系の子供とは積極的に仲良くなる反面、自衛隊の子供に対しては反感めいた態度をあからさまにしても それを黙認しても咎める風潮は全く無かったんだな。


で、転校してきたB子は自衛官の娘であり クラス内で積極的に友誼を示そう…という意志が乏しい上に 昼食時は別のクラスに行き、おそらくは中学内でも1・2を争う程の「お嬢様」とだけ仲良くしている… それは組合系の子供にとって虐めるべき存在となるのに時間はさほど必要無かったわけだ。


秋も終わりにさしかかり、朝夕の空気も冷えはじめた頃 昼食の時間になっても、そして昼食の時間が終わってもB子は僕達のクラスには来なくなり… A子も昼食を食べ終えると そそくさと何処かに行ってしまい、僕は他のクラスメイト達が体育館等に遊びに行って人気が乏しくなった教室の自分の席で相変わらず本を読んで過ごしていた。


で、雪がチラホラと舞い始めた頃 重い雰囲気でA子が


「ちょっと話があるんだけど…」


と、話し始めた事が「B子がクラスメイト達から虐められている」という話だった。


実を言うと 僕はそれまで他人の人間関係に対して介入するのが好きでは無かったのだ。


今まで述べた様に 僕はもうその時点でクラス内はおろか、学年内でも屈指の乱暴者というレッテルを貼られ 学年内でトップクラスの乱暴者である後年に親の跡を継いで開業医になった友と互いに鼻血を流しながら殴り合い、その後 他人から見たら親友同然の仲良しになって以後、学年内はもちろん、ひとつ上の二年生からも喧嘩をふっかけられる事も無く過ごしていたが、それには 僕の中にひとつの僕なりのポリシーがあったからで それは


「自衛隊は専守防衛に徹する」


という親や 家族も同然の自衛隊のオジサン達の信念に反しちゃいけないと子供ながらに身につけたポリシーである。


であるがゆえに、自分からは喧嘩をふっかける事は絶対にしないけど 売られたら(攻め込まれたら)徹底的に買う。


それと、例えば自分の妹や自衛隊官舎で生活する隣近所の後輩が


「自衛隊の子供だから」


と、虐められた時も 徹底的に買う。


それは、当時の自衛隊官舎の子供達特有の同族意識みたいなものだったのかもしれないが、僕も小学校低学年の頃は 学校の行き帰りを官舎の近所の年上の子供が付き添ってくれたり、ちょっとしたトラブルなどに手を貸して貰ったり それは年代毎の申し送りの様に年上の子は年下の子の面倒をみるもの…という不文律みたいなものがあったから。


ましてや、B子はB子の父親から特に「よろしく頼む」と言われている以上 看過するわけには絶対にいかないのだ。


誤解の無い様に記しておけば その時、僕はB子の事が可愛い子だなぁ…とは思いつつも、好きだったわけじゃ無い。


話しかけてもまともに応えてくれない子を好きになる程、僕は物好きでは無かったからだ。


B子へのイジメを止めさせよう考えたのは 何よりも偏に僕はB子の父親が怖かったから以外の何物でもない。


「ふぅん… で、イジメのリーダー格は誰?」


A子に聞くと それはB子と同じくクラスのC子と その取り巻き。


C子の兄はその時、3年生で同じ中学に在籍し バスケット部の主将で3年の乱暴者の中でも屈指の一人だったから C子は兄の虎の威を借りる様に いろんな子に対して威張り散らす傾向が強かった子


正直言って、C子の兄は怖かったけど それ以上に僕はB子の父親がもっと怖い。


だから、まずC子を呼び出し 僕なりにやんわりとC子に対してイジメを止めろと諭したが 案の定、C子の答えは


「アニキにヤラレたいの?」


と、予想通り話す余地は無い。


なので、仕方が無いので 腹をくくって3年のクラスが並ぶ校舎に行き、C子の兄を見つけて


「先輩、すいませんけど ちょっと時間をいただけませんか?」


と。


その時の心境を率直に言えば 僕も妹がおり、その妹が虐められた時は相手をボコったクチであるから 理由の如何に関わらず、同じようにC子の兄が出張るのは容易に想像が付くわけで それ以上に、いくらC子がどうしようもない悪でも女相手に殴ったりはしたくない。


であれば、先にC子の兄にヤラレに行った方が気が楽だ… 言わばヤケクソだった。


まぁ、だいたい乱暴者のレッテルを貼られている下級生が 同様に乱暴者とランクインしている先輩にそんな事を言えば 言った瞬間に「なんだコノヤロウ 生意気な」ってなるのも当然の流れで 5時間目の授業もそっちのけで放課後に運動部系の生徒が使用する更衣室にC子のアニキに促され…


結果から先に言えば ボコボコにヤラレた。


最初から勝ち目の薄い挑戦だと自覚していたが しかしながら、自分なりになかなか良いパンチを3つぐらいヒットさせれた事で ある意味満足できたし、ボコボコにされたとは言っても 鼻血やアザや打撲の痛みだけで、骨が折れたわけでも関節が外れたわけでも無い、それ以上に


「妹には俺から言って止めさせるから オマエ、妹を的にするのは止めろよ」


という言葉を C子のアニキから引き出せた事が大収穫だった。


そう、C子のアニキは3年生で体育会系の人間 それが一年生の後輩に意見されたとあっては先輩としてのメンツに関わり引くわけにはいかない。


けれども、年が明けると高校受験なわけで、そんな時期に後輩相手に傷害事件めいた真似をするわけにもいかないし、それ以上に自分が卒業した後に 僕から妹が虐められる様な遺恨を残す事をおそらくは最も怖れたから それなりに僕に対して手加減し、顔も立ててくれたのだ。


僕はC子の兄に


「先輩、ありがとうございました」


と、素直に礼を言い C子の兄はそれに対して


「おう、ガンバレよ」と。


自分の鼻血で汚れたYシャツは学生服の詰め襟の上着を着ちゃえば誤魔化せるが、顔の腫れと目尻のアザは隠せず それよりも身体中が打撲で痛かったが、5時間目の終わり頃に なんとか教室に戻ると その時の授業の教科担任が


「なんだオマエ 何処かで喧嘩してきたのか?」


と、血相を変えたが


「すいません、階段から落ちてのびてました」


と、適当な嘘をついて誤魔化した僕だった。


…なんて事を記すと 今の子供からは浮世離れした話に聞こえるかもしれないが、私が中学生だった頃 こんな話はどこにでも転がっていたはずだ。


50代、60代の大人に「昔はイジメなんか無かった」なんて言う奴がいるけれど そんなのは嘘だ。


私が小・中学生の頃にだって おそらく今問題になっている「イジメ」と似た様な程度のものが普通にあったのだ。


ただ、今と違って 僕が小・中学生の頃は「ガキ大将」とか「番長」と呼ばれた乱暴者で地域の子供の社会の中で怖れられている存在が一人や二人おり、それらが「イジメ」てる奴を殴り倒すのが常だっただけだ。


が、「暴力はイケナイ」という表面上の正義だけを尊重し ある種の必要悪みたいな「ガキ大将」をただの悪として排除したまではいいが イジメに対する抑止力みたいなものが失われた上に「イジメ」そのものも陰湿化したのが今なんじゃないのか? …なんて私は愚考するが そんな事はどうでもいい。


なんとか、身体中の痛みに耐え 授業が終わると部活もサボッて早々に帰宅した僕の家に だいぶ遅くなってからB子が大きな紙袋を二つ持って現れ


「A子さんと 後年に親の跡を継いで開業医になった友クンから ブタネコ君にあげて欲しいと頼まれました」と。


片方の紙袋には ある意味、今でも高級な贈答品とされているグランドホテルの総料理長が作ったスープの缶詰が6個入っており それは「お嬢様」A子が顔中腫らしてアザだらけの僕が きっと口の中を切っていてスープぐらいしか食べれないであろう…という心遣い


そして、もうひとつの紙袋には 後年に親の跡を継いで開業医になった友が自分の家である病院から山の様に湿布薬をくすねてプレゼントしてくれた 半分、嫌味の様な品。


いずれも、その時の僕にとっては とてもありがたい品で、大げさに言えば 友情のありがたさが生まれて初めて身に染みた良い思い出となる。


ちなみに、翌日からC子達のB子に対する嫌がらせはピタッと止まったが 僕の身体から痛みとアザが消えるまでは それから2週間ちょっとかかった事は言うまでもない。


お駄賃

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コメント

始めまして、最近このブログを発見して、とても楽しく拝見させて頂いています。
私も中森明菜が少女Aでブレイクした頃18~19だったので、ブタネコさんと結構近い年齢だと思います。
確かに当時の教師たちは、良くも悪くも今より偏った人が多かった様に感じます。
もしかして・・B子さんはその後非常に親しい人になるのでは・・・と思っているのですが?
違うかな?続きが楽しみです。

★ 神戸の住人 さん

こちらこそはじめまして コメントありがとうございます。

とりあえず、現時点でまだ未公開分を含めて第9話まで書き終えておりますが、まだ もう少し続くと思います お楽しみに^^


ブタネコさんヘ
東京は毎日曇りや雨模様で気が滅入ってしまいますがこのシリーズが始まり楽しみにしています。
シリーズが終わってからコメントしようと思っていましたが9回以上も続くとのことで途中で一言コメントさせていただきます。
一言’青春だなー’、羨ましい高校生時代を送られていますね。前回のエピソ-ドでB子さんの父君の大ファンになりました、日本人が小粒になったのか豪放磊落な振る舞いは最近ではまったく見られませんね。もし僕の周りにこんな先輩や上司がいたらとことん見習って僕の人生も変わっていただろうなと思います。今回の事件の後の父君のリアクションをいろいろ想像してしまいました(よくやったとお酒をご馳走してくれたりして?)。

★ タンク さん

とりあえず、今のところ(その9)まで書き上げましたが 当初のプロットを思う時、今の時点で 何話まで行くか私にも不明です。

大げさに言えば、今回のエピソード0とも言えるプロットは 2・3年前に書き残しておきたいと考えたうちの一つで それ以来、文章をどう区切ってまとめるか試行錯誤してきました。

まぁ、気長にお楽しみ頂けますと幸いです。

【※注意!!】

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