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2011年06月09日

● A子の話(その4)


B子をA子に引き合わせた日の事は 今でもよく覚えている。




朝、僕は出がけにB子の家に迎えに行き B子と一緒に学校へと向かった。


…と言っても、僕が学校へと向かって歩いていく数歩後ろをB子が黙ったまま付いてくる と言うのが正確な表現。


僕もB子に何を話して良いのか判らず、適当な話題も見つからず、困ったまま歩いていた。


いつも通り、20分程歩いて学校に着いたのだが 気分的には3倍の一時間ぐらい歩いていた様な気分だった。


で、そのまま校内の図書館に行くとA子は既に待っており それぞれにそれぞれを紹介した後、まるでお見合いの席の仲人が


「それじゃ、後は若い方同士と言う事で…」


と、場を外すように


「んじゃ、俺 練習あるから行くね」


と、その場から離れた時は 練習が終わった後以上に精神的に疲労していたものだ。


やがて、練習を終えて更衣室に行くと ちょうどサッカー部の練習も終わっていて、後年に親の跡を継いで開業医になった友が着替えながら


「今日暑かったなぁ、で、今日は”かき氷”食いに行かねぇか?」


と誘ってくるのを断る理由も無く 着替え終わった僕達が玄関へと向かうと そこにはA子とB子が既に待っており、後年に親の跡を継いで開業医になった友が


「今日はかき氷に行く事にしてるんだけど 行く?」


と、二人に聞くと A子は


「あ、賛成 私も行く」


で、B子を見ると 蚊の鳴く様な声で


「私も… 行く」


この時B子と初めて会った、後年に親の跡を継いで開業医になった友は B子を指して


「え? この子誰? 何組? いやいや、こんな可愛い子をこの俺が見逃してるわけが…

 あ、転校生なの? そかそか、二学期からは同じ中学生なんだ…

 そかそか、いや新学期が楽しみだもなぁ…」


と、一人で勝手にはしゃいで喋りまくっていたが 僕もA子もそれを無視して いつものヤキソバ屋の前を通り過ぎ、2軒先の甘味処へ




さて、かき氷にも「メロン」「イチゴ」「レモン」など 色々あるけれど…


僕達が通ったその店には「カルピス」というのがあって シロップの代わりにカルピスの原液をかけた上に練乳をかけたものがあり、当時の僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友はハマっていた。


A子は 一度はそれを食べたのだが、


「何これ? 甘過ぎじゃないの?」


と、二度と食べず それを僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友は


「お嬢様は薄味で育てられすぎたんじゃねぇのか?」


と、よく言い合いをしてたのだが…


そこにB子という新人が現れたのをこれ幸いと B子に味見をさせて意見を聞こう…って事になったのだが…


店に入ったB子が 蚊の鳴く様なか細い声でまず最初に言った台詞が


「あれ? 抹茶無いの?」


「え? 抹茶? 何それ?」


「抹茶って 煎茶とか麦茶とかの抹茶?」


「お茶かけんの? かき氷に?」


…と、僕達


そう、今では日本全国で抹茶味のアイスなど珍しくも無く むしろ定番化した味だが、少なくとも当時の札幌では「抹茶」なるものが一般化されておらず さすがの「お嬢様」であるA子ですら


「お茶味のかき氷って なんか苦そう…」


…なんて言っていたのだ。


実は、B子が札幌に引っ越してくる以前、彼女は大阪と京都の境目とか、静岡県の御殿場に住んでおり、そこでは「抹茶」は珍しいモノでは無かったんだな


けれども、その当時の札幌ではそれまで「抹茶」なるものは全く一般化されたものじゃ無く、実際僕達の年代が初めて「抹茶アイス」を口にしたのは それから数年後に高校の修学旅行で立ち寄った京都での事。


ゆえに、「抹茶」と聞いても それを巧くイメージできず、トンチンカンな反応を示したわけだが、そんな僕達の反応が少なからずB子を傷つけた様で…


カルピス練乳がけかき氷を何も言わず、ほぼ無反応、無表情で半分ぐらい食べたところで


「なんか、頭が痛いし寒い」


と、小声で言うと それっきり食べるのを止めてしまった。


「どう? 美味いべ?」


と、後年に親の跡を継いで開業医になった友が聞いても「う~ん」と小首を傾げるだけで応えず何やら淋しげ


結局、僕と後年に親の跡を継いで開業医になった友 それにA子の3人がいつもの様に喋りまくる中、A子は黙ってそれを眺めるだけで口を開こうとはしなかった。


で、その帰り 家が殆ど隣り合っている僕とB子は当然連れ立って歩くわけだが、やはり朝と同じでB子は僕の数歩後を付いてくる様な歩き方で僕もB子に何を話して良いのか判らず、適当な話題も見つからず困ったまま歩いていた。


で、官舎に着き 別れ際になって初めて、


「明日も今日と同じ時間に行くの?」


と、B子が聞くので


「うん、そうだよ。 明日も行くかい?」


と、聞くと B子は黙って頷き、家に入っていった。




自分で言うのもナンだが… 僕は同級生の女の子と話すのが上手では無かった。


それは相手が男か女かに関わらず、先にも述べた様に 僕自身が転勤族の父親の関係で転校を数度経験していた事もあり、折角友達になっても しばらくしないうちに転校で別れてしまう事を考えれば 別れの悲しみを味わうぐらいなら最初から友達にならなきゃいい…みたいな風になり、友達付き合いが苦手へとなっていたせいが大きい


だから、同じ環境にあるB子の事を 勝手ながら心情的に理解できる部分が大きかったのだが、特に中学生という年代は男子と女子では考え方や事情が大きく異なるわけで でも、異なるのは理解していても どの様に異なるのかは巧く理解できておらず… 要するに、そういうのを考えながら応対するのが面倒臭かったんだな。


で、翌日もまた朝B子を連れて学校に行き、午後になって部活を終え どこかに寄り道してB子と帰る… そんな日が数日続いた。


そんなある日の晩 夕食を終えた僕は自宅である官舎の前の街灯の下で いつもの様にバットを持って素振りをしていた。


野球の経験のある人なら判ってくれると思うが、小学生から中学の部活、中学から高校…という風に進む時 野球の大きな違いは何か?と言うと、まず実感するのはボールのスピードの違いである。


ピッチャーの投げるボールのスピードは当たり前だが、飛んでくる打球のスピードも全く違う


特に、速いボールを打つ為にはスィングもそれに応じて速く振れなくてはならないのだが、少年野球のバットと中学生のバットではバットの重さ自体が違うわけで それに慣れて重いバットをきちんと振れなくては打席に立たせて貰う事など叶わない


その為にはとにかくバット振る事。


勉強の合間や ちょっとした気分転換したい時など、素振りってちょうど良い運動でもあるしね。


で、黙々とバットを振っていた時 いつの間にかB子の父親が僕の側に現れており、腕組みしながら僕の素振りをくわえタバコで眺めていた。


「キサン(貴様)、なんね? そのバットの振りようは

 まるでバットに振られたごたぁ 腰じゃなかね?

 見てられんちゃねぇ… もっと、ガッと腰ば据えて 腰からまわしてスィングせんかぁ」


「ダメっちゃねぇ、手首がスムーズにかえせてないけん肘が曲がったままでグラグラやないか」


「あ~、その左膝が伸びてるのがダメっちゃ もっと柔軟にせんば変化球にはついていけんど」


僕がバットを振る度に 自衛隊特有のミックスされた方言で指導(?)してくれるのだが、ハッキリ言って五月蠅い


でも、B子の親父さんは 見るからにマッチョで、しかも自衛官としてそれなりの階級と地位にいるため 数多の部下を号令一閃で動かす上から口調が身に染みついているから始末に負えず…


いつもなら2・30回振って自己満足していた素振りなのに B子の父親が雰囲気でそれを許さず、おかげで珍しく僕の右手にマメが出来 それをB子の父親に見せて


「マメが出来たんで 今日はこの辺で…」


と、言ったら


「キサン(貴様)、なんね? そんな根性で戦場で生き残れると思うとっとや?」


(いや、オジサン ここは戦場じゃないし…)心の中でそうは言えても 実際に口から言葉で吐き出す勇気は僕には無く…


それでも、B子の父親は何かを察したのか


「まぁ、アレだ 最初から飛ばしてもナンやからね

 ほれ、散歩に行くけん ついて来んかぁ…」


と、僕の返事も待たずに 何処かへと歩み出す。


仕方なくバットを持ったまま B子の父親に付いていくと、付いた先は近所の雑貨屋で B子の父親はそこでタバコを一箱と コカコーラのレギュラーサイズの瓶を2本買い、コーラの瓶売りが当たり前だったその時代、やはり当たり前の様にレジのトコに置いてあった栓抜きでシュポッと2本とも開けると 1本を僕に差し出し


「飲まんかぁ」と。


今でもよく思うのだが、コカコーラって瓶のレギュラーサイズのが一番美味かった様な気がするのは レギュラーサイズが当たり前のように流通していた時代に 部活など一番運動して水分を身体が欲しがっていた時期に飲んだから それが余計に美味く感じてたのかな…なんてね。

まぁ、そんな事はどうでもいいわけで…


「なぁ、キサン(貴様) B子ば学校に連れて行ってくれとるっち聞いとるよ ありがとうなぁ」


B子の父親は コーラを飲みながら唐突にそう言うと


「でもなぁ、札幌に越してきて B子がまともに笑うとるのをまだ見た事無かでなぁ…

 ウチのも ちょっと心配ばしちょったとこやけんが キサン(貴様)がようしてくれちょるんを聞いてな

 おいは嬉しかぞ、さすがは@@@(私の父)の倅やってな」


普段のB子の父親、特に朝夕の通勤時に自衛隊の制服や戦闘服(対外的には”作業服”と称したが)姿は まさに「鬼」だったが、B子が側にいたり、いなくてもB子の事を話す時は優しい目をした何処にでもいるオッサンだった。


「なぁ? アレ(B子)は ホントは明るくケラケラ笑う子っちゃよ

 転校したてで勝手が違って戸惑っとるだけやろうけん しばらくは頼むぞ なぁ」


そしてB子の父親は ポケットからタバコとマッチを取り出すと一本咥えて そのタバコの箱を僕に差し出し


「ほれ、キサン(貴様)も一本つけんね」と。


で、戸惑っている僕に


「なんばしとっか? キンタマぶらさげた男やろが?

 タバコは大人の男の証したい キサン(貴様)ば男と認めちゃるけん 一本つけんね」


その時、僕は人生で生まれて初めてタバコを吸い 生まれて初めてクラクラしながらゲホゲホ咽せた。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

続きを楽しみにしています・・・。

初めまして、いつも楽しみにしています。
少し気になったニュースが昨日ありました。
夕方のローカルニュースを見ていましたところ突然、松崎町のあの堤防が現われて豊崎ホテルの
社長さんがインタビューをされている画面が現われました。
なんでも東海地震対策でホテルの前に巨大な水門を建設の計画があるらしいのです。
社長さんは景観を理由に反対されていましたが町の人の声は多様でした。
私は地元民でないので簡単には意見が言えるものではありませんが考えさせられますね。
地元の女性30歳くらいの方がおっしゃていましたが

景観を壊してまでして想定外の津波がきたらどうすんの。わかんないでしょ。

これに尽きると思いました。

★ ハウプマン さん

あら、嬉しい^^


★ ばきら さん

そのニュースは知りませんでした 情報ありがとうございます。

一応、松崎にほったて小屋みたいな不動産を所有してはおりますが 住民といえる立場ではないので偉そうな事は言えませんが 水門を作るか否かは地域住民が決める事で 他者が口を挟む事では無いと私は考えております。

【※注意!!】

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