● 雑感(3月24日)
不謹慎だとお叱りを頂戴する事を覚悟して…
たまたま、ネット上で目に付いた『「燃料が足りない!」震災で空港閉鎖、上空にいたパイロットの真に迫る手記』という記事 興味のある方はこの記事を御参照願えるとありがたいのだが…
空中にあって目的地へと飛行中の旅客機が 着陸を目前にして、その空港にトラブルが起き… 想像するだけで恐ろしい。
ゆえに、そのパイロットが手記を残す気持ちも判るし、素人でも その時の緊迫感が痛い程判る。
またもや管制塔から電波連絡が入り指示を待つよう伝えられる。悪夢である。状況は急速に悪化していく。東京上空で待機したあと名古屋へコース変更、また東京へ、そしてさらに三沢へ。十分だったはずの燃料はどんどん蒸発していく。その後の会話はわかりやすく言い換えるとこのような内容である。
「札幌管制塔へ デルタXX便、至急千歳空港への着陸を要請します。燃料の残量は少なく、これ以上待機できません」
「拒否します。現在混雑中です」
「札幌管制塔へ デルタXX便、緊急着陸を宣言します。燃料の低残量、千歳に直接入ります」
「了解、デルタXX便。千歳に向かうことを許可します。千歳との連絡を……」もうたくさんだ。同じ待機パターンに入って重大な燃料問題を抱えてしまう前に、緊急着陸を決断した。このことで会社に書類を提出することになるが、どうでもいい。本当の緊急事態になるまで30分の燃料を残していたが、千歳に安全に着陸した。我々を引き入れたのは空港内の外れにあるへんぴな場所で、さらに他の数機が舞い降りてきた。結果的にデルタの747が2機、我々を含む767が2機、777が1機、すべて移動式のタラップを取り付けられた。さらにアメリカン航空2機、ユナイテッド航空1機、エアカナダが2機も降りて来た。もちろんその後いくつかのJALや全日空がやって来たのは言うまでもない。
追記:9時間後にようやく日本航空の搭乗用はしごが届き、飛行機から降りて入国を済ませることができた。しかしそれはそれで、また別の興味深い経験となった。この文章を書いている45分の間にも4回ほど地震の揺れを感じたところだ。
このパイロットの記述に関し、大いに理解はするし心情も察するが、3月13日に『新千歳空港 ダイバート』という記事を掲示した様に 偶然だが、その時千歳にいて写真を撮りながら航空無線を聞いていた者として いくつか気になった点に関して補足させておいて頂きたいと思う。
が、先にお断りしておくけれども 私はこの手記の筆者であるパイロットに文句を言いたいのでは無い それと、空の上も大変だったろうけれども、空の下にも事情があって大変だった事を併せて読者に御理解を願いたいのだ。
で、まず第1に
「札幌管制塔へ デルタXX便、至急千歳空港への着陸を要請します。燃料の残量は少なく、これ以上待機できません」
「拒否します。現在混雑中です」
このやりとりがされた時の新千歳空港は いくつかの事情で混乱していたのだ。
それは、有感地震が発生すると 新千歳に限らず、どこの空港でもランウェイ・クローズ(一時的に空港閉鎖を宣言して離着陸を禁止する)して ランウェイ・チェック(滑走路に亀裂など問題が発生していないか確認する作業)を行う。
ランウェイ・チェックにより閉鎖される時間は5~10分だが、新千歳空港の民航機の離発着量では そんな僅かな時間でも数機が着陸待機を命じられ この時は北風だったからポイント・ムカワでホールド(旋回待機)となる。
ランウェイチェックに要する時間を含めて、滑走路に問題がない事が確認されれば、普通であれば30分ぐらいで旋回待機していた機体はすべて着陸し いつもの何事もない新千歳空港に戻れたはずなのだが、この時は 私が知っているだけでも本震の他に3回の結構な揺れの余震が それも間の悪い事に地震-ランウェイチェック-地震-ランウェイチェックという様なタイミングが繰り返され 大凡だが、1時間近くランウェイ・クローズ状態が続いたから それだけで、相当な数の旋回待機状態の民航機が苫小牧以南の太平洋上におり、それらの中にも「燃料が残り少ない…」と訴える機が数機生じており、さらにその中の千歳をよく知るのであろうパイロットの一人は
「ランウェイ01(民間側)ではなく、36(自衛隊側)もダメですか?」
と、通常では考えられない事を聞いてくる者もいたぐらいに切迫していたのだ。
第2に 新千歳と呼ばれる民間側とは別に隣接した千歳基地側の滑走路では
「規模が大きい津波が接近しているようだ」
と、通常は領空侵犯対処の為に待機しているF-15が4機 それぞれ別個の海岸線を津波や被害の確認にスクランブルしたり、T-4や救難隊のU-125も上がり 海上保安庁も同様。
上の写真は 3月11日のまさにその記事のデルタ航空の767が千歳に着陸するところを撮影したもの
この機体が着陸してきたのは写真の撮影時間を見ると16時42分 記憶に間違いがなければエマジェンシー云々のやりとりが無線でなされていたのは16時前後だったと思う。
11日14時46分頃 三陸沖 震度7
11日15時06分頃 三陸沖 震度5弱
11日15時15分頃 茨城県沖 震度6弱
11日15時26分頃 三陸沖 震度5強
15時から15時半頃には東北沿岸に津波は到達していた…という時系列を念頭に置いていただければ御理解頂けると思う。
ゆえに、
『本当の緊急事態になるまで30分の燃料を残していたが、』
という一文を 他の航空機も含めて無事に何事も起きずに終わった今となっては ある意味「それは良かったね」と看過すべきなんだろうとは思うが、あの時の管制官達の置かれた状況と奮闘を思うと「なんだそれ?」って気さえ若干ではあるがする。
で、第3に
9時間後にようやく日本航空の搭乗用はしごが届き、飛行機から降りて入国を済ませることができた。
という部分。
この文だけ読むと あたかも「管制塔の指示で9時間待たされた…」という風に読む側には受け取れるが、それは違う。
着陸した時点で 本来の目的地である「成田」には直ぐに行けないと判断した機(例えば、アメリカンやエア・カナダのそれぞれ1機ずつ)は 比較的早くに乗客を降ろしていた。
想像も含めて言わせて貰えば とりあえず給油だけ済まし、成田がランウェイ・オープンするようであれば即離陸しよう…という風に考え様子見をしていた機は その後、続々と降りてきた国内線の定期便が 特に羽田や成田の滑走路閉鎖に伴い折り返し便が欠航となった事もあって それらの機体のスポット移動などが混乱し待たされたのである。
それと、慣れない空港に降りたためか 国際線ターミナルに向かうタクシーウェイ上でしばらく立ち往生の様にとどまっていた某外国航空会社の機体が もしかしたら混乱に拍車をかけていた様な気さえもする。
で、重ねて申し上げておくが 私はこのパイロットの手記を非難したいのでは無いし、怒って記しているわけでも決して無い。
たまたまだが、偶然にその場に居合わせたマニアの一人として ちょっとだけ記してみたいと思っただけなのだ。

