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2010年09月02日

● O弁護士の遺訓(4)


「今だからタネ明かししちゃうんだけどよぉ…」

懐かしそうにOさんは目を細めて 少し笑いながら話始めた。




【注意】この記事の文章には昨今の見解で差別的表現や用語が含まれています。

本来であれば湾曲的な言い方や表現を用いるべきなのだと判ってはおりますが

記憶に基づいて記している為 今回はそのまま記述させて頂きます事を どうか

御容赦願いたく存じます。




「ちょうどな、オマエ(私)と二代目開業医が 喫茶「職安」に初めて来て

 その日のバイトを終えて喫茶「職安」で一服して帰ったのと

 殆ど入れ違いのタイミングで俺は喫茶「職安」に行ったのさ…


 そしたらよぉ… 店の中の真ん中でNの野郎が困った顔して棒立ちしてるし

 ママも驚いた様な、困った様な 複雑な顔してるし…


 それ見て、俺は 何事が起きたの? どうしちゃったんだ? おい?…って気分だわな


 で、ヒョイって感じで見たら 奥のボックス席に座っていた”屯田兵の御隠居”が泣いてるんだ

 肩をふるわせてさ… 声は上げてなかったけど、まさに男泣き…って感じでよ

 ありゃ、腰が抜けるほどたまげたぜ」


「え? 爺ちゃん泣いてたの?」


「見た事無いなぁ… ってか、想像も出来ないや」


と、私や二代目開業医が言うと


「そりゃそうだべ、俺(弁護士のOさん)やNにしたって そんな姿見た事無ぇもん

 考えてみれば あれが最初で最後なんだよな御隠居が泣いてるのを見たのってさ」


そして、Oさんは再び話し始めた。


「Nと俺と 御隠居にどうしたんですか?…って


 そしたら、御隠居が話してくれたんだけどな。


 ”屯田兵の御隠居”が大戦中、海軍士官だったのは知ってるだろ?

 で、そこそこ階級が高かったのと 御隠居はあれでブロークンだけど英語が話せたんだわ

 だから、終戦からしばらくは横須賀の海軍鎮守府に残らされて復員の段取りとか

 武装解除の立ち会いとか 戦後の残務処理を長い事させられていたんだと


 横須賀と言えば海軍の主要基地だから 当然、米軍も多くが進駐してきていたわけだわな


 そんな或る日、御隠居が公園の片隅でタバコを吸っていたら 米兵が2・3人乗ったジープが走ってきて

 それを目にした公園で遊んでいた子供達が そのジープにわぁ~って走り寄って行ったんだ

 そう、”ギブ・ミー・チョコレート”、”ギブ・ミー・ガム”だ


 御隠居はその光景を苦々しい思いで眺めていたらしいんだけど、ふと気づくと

 御隠居のすぐそばで 一人の男の子が、ガムやチョコを貰う子供達を御隠居と同じ様に

 悔しそうな、悲しい様な そんな表情で見つめていたんだと


 見れば、その子はシャツも泥だらけだし、首筋なんかも垢まみれで、いわゆる戦災孤児だったんじゃないか?

 …って御隠居は言うんだな。


 どう見ても満足に飯なんか食って無さそうだし、なのに チョコもガムも欲しがらず

 逆に怒った様にジープに群がる子供達を見つめている…


 だから、御隠居は気になって その子供に


 ”おい、君も 貰いに行ったらどうだ? 言っちゃぁ悪いが あまり食べれてないんだろ?”


 そう言ったんだと。


 すると、その子供が

 ”どんなに落ちぶれても 俺は進駐軍相手の乞食になんかなんないや”

 そう言って 何処かへ走っていっちゃったんだってさ


 御隠居はさ その走り去っていく子供の背中を見てたら涙が止まらなくなったんだと


 こんな子供にこんな思いをさせて申し訳ない…って気持ちと…

 こんな子供がいるんなら まだまだ日本は負けてない…って気持ちで泣けて仕方がなかったんだとさ…


 その後、その子の事が気になって 何度も乾パンや缶詰とかを持って

 御隠居はその公園に少年を捜しに行ったらしいんだけど 二度と会う事はなくて…

 札幌に戻ってきてからも時々思い出してはいたらしいんだけど いつの間にか忘れていたんだと


 なんでか判らないんだけどな、オマエ(私) 喫茶「職安」に行ったらタバコをやる…って

 俺が”腕力だけが取り柄の歯科医”や”気が弱い弁護士”に約束したのに

 オマエはNにイラナイって言ったんだろ?


 そのやり取りを聞いていたら ぶわぁっと公園で走り去っていった男の子を何十年ぶりかに思い出して

 御隠居は涙が止まらなくなっちゃったんだとさ」


「いや、ちょっと待って 俺、戦災孤児じゃ無いし…」


私が慌てて口を挟むと


「たしかに、コイツはあの頃 いつも怒った顔してた」


と、二代目開業医


「たしかに、イラナイって断ったのは俺も覚えてます。

 でも、その後 次の日から、タバコの件だけは”無し”な…って

 OさんやNさんが言ったから 俺、他の連中からブタネコがカッコつけるから

 タバコを貰えなくなった…って ずいぶん文句を言われたんですよ


 だから、失敗したなぁ… 貰っておけばよかった…って すげぇ後悔したんですよ」


Oさんは私がそう言うのを聞くと 楽しそうに笑いながら


「何が人生の転換のキッカケになるか判らない いい例だなそりゃ…


 それとな、オマエ(私)は覚えていないかしれないけれど、もうひとつ御隠居にとっては

 決定的な事があるんだ。」


「へぇ、なんですか?」


「オマエ(私)、御隠居に そんなに学校サボってて平気なのか?って聞かれた事あるだろ?」


「あぁ、ありましたね…」


「その時、オマエ 御隠居になんて答えたか覚えてるか?」


「たぶん、

 日教組の犬野郎に教えを請い願って恩師なんて呼ばされるぐらいなら ぶん殴って退学になった方がマシだ…

 …って応えたと思います それは今でも正しかったと俺、信じてますから。」


「ウンウン 御隠居が言ってたのと同じだ。 で、御隠居は それに対して

 ”そんな事になったら親父さんやオフクロさんが 怒ったり悲しんだりするんじゃねぇか?”

 …って聞かなかったか?」


「あぁ、思い出した そうそう、そう聞かれましたよ

 まだ、俺らが喫茶「職安」に通い出して間もない頃ですよね」


「で? オマエ、それに対して どう応えた?」


「ウチの家系は代々、軍人家系で父方の爺さんや 親父の兄貴、つまり自分にとってのオジサンも4人

 陸海の違いはあれど戦死してるんです。

 親父だって予備隊から自衛隊と一貫して勤め上げて そんな家系に誇りすらもってるのに

 自衛隊みたいな軍国主義とは話し合う必要は無い…って 担任が家庭訪問に来なくて

 親父が激怒して そんな高校辞めちまえ…って そんな騒ぎがあった直ぐ後だったから


 むしろ、ウチの親父は そのバカ担任を殴り倒して退学になった方が 御先祖様に顔向け出来る… って

 理解してくれると思いますよ… みたいな事を応えました。」


「あのな? 第二次大戦中に海軍に”陸奥”って名前の戦艦があったの知ってるか?」


「知ってますよ、だってウチのオジサンの一人がその艦に乗っていて 謎の爆発に巻き込まれて死んだんですから」


「そう、陸奥って艦には北海道出身の水兵がずいぶんと乗っていたんだよ

 で、ちょうどオマエ達が喫茶「職安」に来る前の年ぐらいから 瀬戸内海の柱島ってとこに

 まだ沈んだままだった陸奥を本格的に引き揚げる話が始まっていて 北海道出身者の多くが

 謎の爆沈で運命を共にした艦だから 引き揚げた陸奥から船体の一部を譲り受けて

 それを札幌の護国神社の境内に供えて慰霊碑を建てよう…って話に 御隠居も熱心だったのよ

 ところが、それにいちいち難癖を付けたのが日教組でな 慰霊碑なんか軍国賛美の象徴だ…って


 なんでも、御隠居が海軍の兵学校で一番仲の良かった同期が その陸奥に乗っていて一緒に沈んだらしくてな

 そりゃもう熱心というより、鬼気迫る勢いで”慰霊碑を建てさせろ”…ってな


 だから、日教組とか北教祖に対しては ことのほかお怒りでよう…


 そこにオマエの話と しかも、オマエのオジサンも 陸奥の戦没者…

 運命以上の何かを感じたらしいよ その流れによ。


 でな、それ以来 ブタネコって小僧は面白ぇ、アイツがどんな大人になるか弄りてぇ…って


 今なら判るだろうけど、”屯田兵の御隠居”って人は とんでもねぇ大物だったんだ


 北海道拓殖銀行の支店長クラスなら どいつも電話一本で呼びつけてグチャグチャに説教してたのを

 何度もオマエらだって見てるだろ?

 本店の部長クラスだって同じだったし、本店に行けば黙ってても一番立派な応接室に通されて

 お茶菓子出されて、頭取だって敬語で話すほどの人だったんだよ


 葬儀の時に集まった人の中には 全国的に右翼の大物…って呼ばれてる人が数人いたけど

 その人達から御隠居は”先生”って呼ばれてたんだぞ それなのに、オマエはそんな人を相手に


 ”爺ぃ、今日こそアンタに将棋で勝つ 勝ったらカレスパおごれよ”


 …なんて平気で言ってたし、御隠居もいつもニコニコして”しょうがねぇなぁ”って

 余程、可愛くて仕方が無かったんだろな。」


そう言われても 高校生だった私には”屯田兵の御隠居”って人はスッとぼけた因業爺でしかなかったのだ。


結局、一度も将棋で勝てた事は無く 爺ぃも勝つたびに


「高校入試の試験が将棋だったら オマエなんざ死ぬまで受からんかったな」


等と小憎らしい事を言い


「ママの弁当が 何よりの御馳走なんじゃの」


と、いつも美味しそうに米粒一つ遺さずカウンターの一番端の席で食べてる爺ぃが どんなに大物だったか…なんて いち高校生には関係の無い話だもん


私はNさんが差し出した1000円を なんで受け取らなかったのか?


たまたまその時はそんな気分だったから…としか、答えようが無い。


”気の弱い弁護士”などは、弁護士のOさんや運送屋のNさんに


「え~、くれるって言ったじゃないですか?」


と、懇願したが


「だったら、タバコをカートンで買えるほどバイトで稼がせてやるよ」


というNさんの怒った様な一言で立ち消えになったのだ。


なので、その後しばらくの間


「ブタネコのお陰でタバコを損した」


と、仲間達からブツブツ言われ続け 私も時に「失敗したなぁ 貰っておけば良かった」と後悔した事も実はある。


まさか、陰でとんでもないお涙話になっていたとは知る由もないのだ。


「御隠居が日の丸の件で留置されてる時、殆ど毎日オマエ(私)が弁当を差し入れに行ったろ?

 あれもな、今だから言うけど 御隠居の御指名だったんだ」


「え? どういう意味?」


「本来、留置人が一人で取調室にいて タバコ吸ってお茶飲んでる…なんて対外的にはあり得ない話だ

 ましてや、そこに高校生が弁当持って行って タバコ吸いながら食い終わるのを待ち

 世間話までして帰ってくる…なんて、他所に知れたら大問題だ


 でもな、あの時代は それがまかり通っていたし、今でも似た様な話は腐るほど有る


 つまり、御隠居はオマエにそういう社会の裏表を少しでも見せてやりたっかったから

 俺に”適当な理由をこさえて弁当はブタネコに持って来させろ”って御指名だったの」


「へぇ…」


「そういえば、あの時爺ちゃんに殴られた 日の丸を投げ捨てた奴って その後、どうなったの?」


「御隠居の判決がおりて確定した次の日の朝、あのアンチャンの家の前に右翼の街宣車が横付けして

 真っ黒の戦闘服姿が数人降りていって 玄関の呼び鈴鳴らして、出てきたアンチャンの両親に

 一般家庭の玄関に飾る日の丸のセットを渡して、

 ”今後、祝祭日には必ず欠かさずに この日の丸を玄関に飾っておけ

  もし、飾ってないのを見つけた時は その街宣車の運転手が運転を誤って

  この玄関に突っ込むかもしれない…と、覚えておけ”


 …って言ったそうだ ま、聞いた話だから信憑性は無いけどな」


「(何が”聞いた話”だ このオッサン達は絶対やってんなぁ…と思いつつ)

 で、本当に確認してたんですかね? 掲げているかどうか」


「知らねぇよ 俺、そんなに暇じゃないから」


実に無責任な話である。


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