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2010年09月07日

● N専務の遺訓(4)


「よぉし、帰るぞ オマエ達、今日の事はこの瞬間に全て綺麗に忘れろよ」

その頃の私達は実に素直だったんだよなぁ… そう言われて本当に殆どの事を記憶の奥底に封印してきた。




我々、バイト学生が喫茶「職安」に初めて行った日から20数年が経ち、多くの常連さん達は鬼籍にはいるか失踪してしまったりで 最後に残った大物がNさんだけとなり、そのNさんも二代目開業医の病院の特別室で最期を迎えようとしていた時期の事。


「屯田兵の御隠居」が遺した遺産を管理する会社はNさんとOさんが引き継いだが、20数年経ったその頃には 実質的に私が引き継いでおり


「後はオマエの好きな様にやれや」


が、私がNさんを見舞いに行って帰る時に 必ずNさんが私の背中にかけてくれた言葉だった。


そんないつもの様に見舞いに行った或る日 Nさんから3枚のレポート用紙に手書きされたメモを渡され


「悪いけど、そのリストをオマエが預かっておいてくれや」


と、私に言った。


見るとそのこには 30人近くの名前となんらかの住所と年月日が記されており…


その名前の中には「屯田兵の御隠居」や「弁護士のOさん」の名前もある。


「何ですか これ?」


私が聞くと


「オマエが神も仏も信じない無宗教論者だって事は よく知っている

 だって、俺やO弁護士もそうだったしな。


 でもな、世の中には宗教を信じている人もいる


 ある人が亡くなって それを弔うという事は、その亡くなった人が信じていた宗教に則って弔ってやる事こそ

 亡くなった人に対する”遺志を継ぐ”って事じゃないかと 俺は思っている。


 例えば、大戦中に従軍していた兵隊が”いつか、靖国で会おうな”って約束していたのであれば

 宗教云々関係無しに、それは遺志として尊重すべきで いつその人達が再会に来ても良い様に

 靖国神社を昔ながらの姿で維持して 綺麗に掃き清めておくのが子孫の勤めじゃないか? …なんてな


 で、その紙に書き出しておいたのは 喫茶「職安」に多少なりともかかわって亡くなった人と

 その人達の命日と葬られた墓や場所だ。


 で、それをオマエに渡すという事は 申し訳ないが、オマエにひとつ役目を引き継ぐという事でもある


 仏教にはいろんな宗派があるけれど、概ねその根本は共通でな、その共通な認識のひとつに”33回忌”というのがあって 亡くなった仏が33回忌を迎えると ようやく「祖先」の仲間入りが出来る…という区切りの考え方で、それは仏教だけじゃなく「神道」でも似た様に考えられていて 要するに”33回忌”が重要な区切りになっているんだ


だから、他の回忌はさる事ながら、せめてその33回忌はひとつの区切りとしてお経の一つもあげて貰って欲しい…


 で、オマエに託す役目とは そのリストに載っている人達の”33回忌”を 遺された者の代表として

 オマエがちゃんと区切ってやれ…って事だ。」


と、Nさんが言った。


「Nさん御本人が宗教を否定しちゃってるのに Nさんの名前だけもちゃんと書かれてるのはどうして?」


私が少し皮肉を込めて聞くと


「死んでみたら”あの世”があって 仏教の世界が正しいかもしれねぇじゃねぇか

 その時にお経の一つも貰えないんじゃ 他の仏に笑われちまうからな」


Nさんが真顔でそう応えるのが妙に笑えて仕方が無かった。


まぁ、Nさんから会社を引き継ぐ際に そのメモの様に託された諸事雑用は少なく無いから、その時も


「判りました、ちゃんと引き継ぎましたよ」


と、私が応えると Nさんは少し疲れた様に笑って スッと寝てしまった。




Nさんが亡くなって間もない頃、バイト仲間達が全員顔を合わせたのを機会にNさんを偲んで飯を食おうと連れ立って出かけたのが 先述した焼肉屋。


既に婆さんは他界し、爺さんも耄碌しちゃっており 焼肉屋を取り仕切っているのは昔、Tシャツ一枚でノーブラを売りにしていた姐さん


「あら、珍しいね みんなお揃いで…」


「おう、Nさんを偲んでホルモン食う事にしたんだ」


私がそう応えると 姐さんは


「そっか、じゃ…」


そう言って店の入り口に「本日、貸し切り」という札を下げて


「勘定はブタネコ持ちの貸し切りね 食べ放題の飲み放題にしてあげるよ」


…って事で 昔話に花を咲かせた。


で、そんな昔話をしている時に ふと、思いついて私は先述した”33回忌のメモ”をみんなに話した。


というのは、そのメモに記された人の殆どは 直ぐに私は「あの人だな」と判ったのだが、「この人 誰?」という名前が 実はその時に3人いたのだ。


それで、皆に話せば その3人の事が判るかな…と思ったのが理由なのだが そのうちの一人である とある女性の名前を言った時、即座に「その人は…」と反応したのは 店の片隅でちびちびとお茶を飲みながらそれまでホゲーッとしていた焼肉屋の爺ぃ


「そりゃ、○×(札幌の近郊の地名)に住んでいた人で 農家をしててなぁ…」


それまでの耄碌が一瞬でウソの様に精悍な表情に変わり 爺ぃが話し始めた。




太平洋戦争が開戦する少し前、ある巡洋艦に「屯田兵の御隠居」が乗り組を命じられていた時期があり、焼肉屋の爺さんもその艦に乗っており、そしてもう一人下士官ではあったが古参の男が ひょんな事から3人とも同郷である事が判り、それが縁で仲良くなった。


やがて、開戦前に次々と完成した新造艦に それぞれが移乗を命じられ3人は別々になっていたのだが…


戦争が始まりしばらくした頃 台湾の高雄という軍港に たまたまそれぞれの乗った艦が修理や補給で同時に停泊し 3人は互いの無事を喜び合ってその停泊期間中3人で飲み歩いたそうだ。


で、3人の乗った艦は その後、それぞれ違った場所で撃沈され 御隠居と焼肉屋の爺さんは救助されて生き延びたが、古参の下士官だけは南洋で米軍の攻撃に遭って沈没した艦と運命を共にした。


そう、私に判らなかった名前の女性とは その古参の下士官の妻の名前だったのだ。


古参の下士官には妻と一人息子がいたが 二人は札幌近郊の古参の下士官の生家に身を寄せており、その後ずっと農家として生計をたていた。


下士官の一人息子は その後、縁あって結婚して男の子を一人授かったが、妻は産後病弱になり、数年後に他界した。


老婆とその息子、そしてその息子の息子、つまり老婆にとって孫にあたる青年が3人で暮らす… そんな家庭になったわけだ。


ちょうど、私達バイト学生が喫茶「職安」に通い始めた年の前年の夏 この農家の孫が運転し助手席に息子が乗った車は 反対車線から飛び出してきた観光客が運転するレンタカーと正面衝突し親子揃って即死した。


突然、この世に身寄りが居なくなって途方に暮れる老婆のもとに 農協は掌を返した様に組合勘定の回収を図り、それはまるで悪質なサラ金の取り立ての如き心無いもので、近隣の農家達も組合には逆らえないし それ以上に働き手のいなくなった広い田畑をその隙に安く買い叩こうとするなど老婆の味方になる者はいなかった。


で、その窮状を知った「屯田兵の御隠居」は 悪質な老婆の周囲に対して対抗すべく我々バイト学生やNさんの会社の運転手などを使って翌年の種蒔きを強行したり、嫌がらせの続く農家から老婆を避難させ、農協に対してO弁護士を代理人に 老婆の家の組合勘定の一部を立て替えて支払うなどしていたのだが…


そんな最中に 一人遺された老婆は気鬱になり、首を吊ってしまったのだ。


遺書らしき物は何も無く、死を選んだ経緯は全く誰にも判らなかったのだが 第三者的に眺めて推し量るに 唯一の身寄りを失った事で前途を悲観した事が最大の理由であろう事と 働き手が失われた途端に、それまで仲間であり運命共同体の様な関係だった近隣の農家達から阻害され 組合勘定という名の多額の借金、それをサラ金同様に取り立てようとする農協の仕打ちも老婆が死を選ぶ理由だった事は容易に想像出来た。




「え? じゃ、あの時の…」


「トウモロコシとジャガイモ植えた畑の?」


「あの、自殺騒ぎの…」


焼肉屋の爺さんの話を聞くウチに 我々の封印された記憶がそれぞれ一気に甦り 爺さんの話も まだ続きがあった。




「終戦になって故郷の札幌に戻ってきたのは良いけれど

 日本の教育を受けて軍に入った俺に 幼馴染みや親戚達が”日本の犬”って言いやがって

 誰もつきあってくれず、もちろん仕事も見つからず…


 そんな時に御隠居と一緒に苦楽を共にした古参の下士官の事を思い出して 台湾で飲んだ時に聞き覚えていた所在を頼りに訪ねていったんだ

 古参の下士官が南洋で戦死していたのもその時に知ってね


 奥さんは義理の爺さんや婆さんと一緒に農家をしながら小さな息子を育てて…

 で、その人が 俺が朝鮮人だって判っても、”戦地で主人がお世話になったんでしょ”って

 畑の野菜を持ちきれないぐらいにくれてさ…


 この焼肉屋を始める前、俺は死んだ婆さんと二人で札幌の街を屋台を引っ張って暮らしていたんだけど

 それを始める様に薦めてくれたのも その奥さんで

 材料の足しに…って いつも野菜をくれてよぉ

 一度、その野菜で試しに…ってキムチを作ったんだ

 で、そのキムチを奥さんに届けたら

 ”美味しいわねぇ、コレ 知り合いに良い人がいるからその人に相談して これを商品にして売ったらどう?”

 そう言われた知り合いが少佐(屯田兵の御隠居)殿だったんだ


 互いに戦死したモンだと思っていたから音信不通だったんだけど、不思議な巡り合わせだったなぁ…

 訪ねていったら、少佐(御隠居の事)は俺の顔を見てビックリしていて


 ”貴様、生きておったのか? いや、仮に死んでおったとしても

  何故、俺の所にとっとと化けて出て来ないんだ このバカモノが!!”


 …ってな。


 まぁ、こじつけ…って言われるかもしれないけど 俺を少佐殿に古参の下士官が再会させてくれたんだなぁ… なんて俺は今でも思ってるし、そのお陰で今日まで生きてこられたんだ。


まぁ、歳で涙もろくなっていたのかもしれないが そう言って焼肉屋の親父はオイオイと泣いたのであった。


我々バイト学生と一緒に焼肉屋の爺ぃの話を聞いていた姐さんが


「アンタ達(我々バイト学生達)が 夜中に農家に行って仏壇を置きに行った時に

 私は亡くなった私のお母さんから”すぐに家に帰って正装に着替えておいで”って言われて

 その間にお母さんは お店のキムチを壺に入れて綺麗な布で包んでくれていて…


 着替えて店に戻った私に そのお婆さんにどれだけお父さんとお母さんがお世話になったのかを話してくれて


 ”あの子達と一緒に行って そのキムチを仏壇に供えて、ちゃんと御礼を言ってきて”


 だから、あの時 私は何が何だかよく判らなかったけど 拝んでお供えしてきたのよ


 ”お父さんと お母さんが 大変お世話になりました

  本当は二人が直接拝みに来なくてはならないのですが、頂いた御恩を娘の私に覚えておく様にと

  私が両親の代理で参りました事をどうかお許し下さい”


 そう仏壇に向かって御礼を言ったのよ あの時」


それぞれが点だったエピソードが一気に線に繋がった感じがした。


でもね、その線にはまだもうひとつ先に点があった事を その時の私達はまだ知らなかった。


                                         ---- 続く ----


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