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2010年08月29日

● 「屯田兵の御隠居」の遺訓


twitterを眺めていて ふと目にとまった一文に添付されていたリンクを辿ってみると そこには 今敏さんという方の遺書とも受け取れる一文が掲示されていた




  参考URL:「さようなら


変に見栄を張ったりしたくないので正直に言うが 最初、「今敏」という御尊名をうかがっても それが誰なのかは私には判らなかった。


後に、氏のプロフィール等を拝見して 氏が世界的にも認められたアニメ監督で8月24日に46歳の若さで他界されたとの事。


そんな今敏氏の手がけた作品群の中で私が見た事があると言えるのは「パプリカ」だけなのだが、これも正直に言うと 私としての感想は可もなく不可もなくで内容を殆ど覚えていない。


ゆえに、ファンでもない私が 氏の遺言とも受け取れる一文に関して小生意気に感想を述べる立場には無いのだが、ただそんな私が申し上げたい事は


「この人は凄ぇなぁ…」


その一文を拝読し ある種の感動すら覚えた事と、同時に 私の知る何人かの既に故人となった方々と 晩年に私が交わし、今ではそれらがそれぞれの方の遺言だったんだなと私が勝手に思い込んで記憶するエピソードや言葉を あらためて思い出させて頂いた事に対する感謝だ。




そもそも、私が喫茶「職安」にまつわる話を文章にまとめておこうと思ったのは 簡単な話、私以外に遺せる人間がいないからだ。


もちろん、バイト仲間だった「二代目開業医」や「気の弱い弁護士」や「某国立大学理工学部教授」や「一級建築士の資格を持った詐欺師」や「腕力だけが取り柄の歯科医」達も 書こうと思えば書けるだろうし、その資格も有る。


でも、そもそもの発端となった「屯田兵の御隠居」と勝手に私が名付けて文章に記した因業爺ぃや その爺さんが亡くなった跡を引き継ぎ、喫茶「職安」の常連さん達のまとめ役でありリーダー的存在だった運送屋のN専務 その二人にバイト仲間の中で一番可愛がって貰い、一番薫陶を受け、一番接する時間が長かったのが私である以上、この役目を他の仲間に委ねるわけにはいかないんだよね。


で、今回は その発端である「屯田兵の御隠居」と勝手に私が名付けた因業爺ぃの遺言的エピソードを記してみたいと思う。


  参考:「屯田兵の御隠居




まぁ、現代の多くの方には信じて貰えないだろうけど 40年近く前の警察は 今に比べて緩い部分が結構あった。


傷害事件を起こして逮捕・留置されていた「屯田兵の御隠居」ではあったが、担当の警察官に限らず、留置係や他の警官達も 心情的に「屯田兵の御隠居」が暴れた原因に対して同情しており であるがゆえに、何かと理由をつけては留置所から爺さんを出して 取調室に居させてタバコや飲み物を自由にさせていた。


本来であれば弁当の差し入れも 留置係に弁当を預けて任せるのであるけど、職安のママに命じられて弁当を届けた私に 留置係どころか、取り調べ担当の刑事が


「弁当箱、持って帰らなきゃならんだろ?

 いいから、特別にオマエ(私)を取調室に入れてやるから 爺さんが食い終わるまで一緒にいろ

 でな、あくまでもさりげなくでいいから 爺さんに、示談金払えば今日にでも釈放するからって

 オマエからも説得しろ な?」


とまで、高校生の私に言ったのだ。(これ、ホントの話だから)


だから、毎回弁当を届けるたびに私は 取調室で弁当を食べる爺さんに同席し、食べ終わった弁当箱を風呂敷に包んで持ち帰ったのだが、


「オマエ、暇か? 暇だよな?

 よし、オマエの分もコーヒー出してやるから 3時まで、取調室に爺さんと一緒にいろ

 あ、これ 面会…って事にしておくから、な? 面会だぞ 判ってるよな?」


時には年配の刑事が私に「示談を説得しろ」と懇願さえしたのだ。(これも、ホント)


近年、痴漢の冤罪で やってもいないのに、やったと認めて罰金払えば釈放…という図式の原点と批判できるのかもしれないが、思うに その時の警察官達は


「れっきとした傷害事件であるから逮捕拘留は免れない。

 けれども、被害者の青年達を殴った理由に大いに同情を覚えるがゆえに

 謝罪、示談の手続きさえ踏んでくれれば とっとと釈放出来るんだから」


と考えていたわけで、実際にハッキリとそう言った警官までいたのだ。


でも、爺さんは詫びなかった。


そんな「屯田兵の御隠居」が判決を受け、正式に釈放となって間もなくの頃 喫茶「職安」でいつもの様に世間話に興じていた時に 私が


「ねぇ、爺ちゃん”あの世で戦友に会わす顔が無いわっ!”って爺ちゃん言ってたけどさ

 ホントに”あの世”ってあるのかね?」


と聞いた。


すると、「屯田兵の御隠居」は


「そんなモン 死んでみなきゃ判らんわな

 でも、本当にあるかもしれんわな。

 で、もしあったとしたら…って考えたら 先に死んでいったもんに恥ずかしい真似をしたと笑われたくないわな


 いいか? 道徳とか宗教ってのは自分が幸せになろう…って縋るもんじゃないのよ

 ~な事したらダメだよって道理を説くのが道徳であり、死んでいった御先祖や友人・知人に

 後の事は心配すんな、俺が出来るだけの事はするからよ…って成仏を祈るのが宗教

 神様が~してくれる…なんて世迷い言に縋ったって 人は誰もが必ず死ぬのよ

 だから、神様がどうこうなんかどうでもいいの 死んでいった御先祖や友人・知人に対して

 俺はこれだけの事をしたよ、俺は頑張ったよ…って言える生き方をどれだけしてるかが重要で

 それさえ心がけていれば宗教なんかいらんのよ」


そして、しばらくタバコを美味そうに吸い


「戦争中にな、わしが乗ってた艦が沈んで 海に漂流した事がある。

 近くに味方の艦は数隻いたんだけど、それぞれが米軍機に空襲されておって

 それに対応するのが精一杯で沈没艦の漂流者を救助する暇なんか無いわけよ


 だから、わしらは木材とか浮かんでいる漂流物につかまって 空襲が一段落ついて

 味方艦が救助に来てくれるのを待つ他無いんだな…


 ところがな、わしらが漂流したシナ海ってところは サメがうようよしているところでな

 艦が沈む…って事は 当然、負傷者や死体が沢山海に落ちるから その血の臭いをかぎ分けて寄ってくるのよ

 救助が来ると信じて待っているわしらは そんなサメには格好の餌なんだな


 まぁ、仮にだ 10人ぐらいが同じ所に漂流していたとして、そこにサメが近寄ってきた…とする。

 沈没した艦から投げ出されて丸腰も同然の漂流者が 海の上でサメに勝つのは難しい…


 当時の海軍では 正式にでは無いけれど、そういう状況に陥った時はこうしろ…と

 先輩から後輩へと語り継がれた 今風に言えばマニュアルみたいな「教え」があっての


 それは”負傷度合いの大きい者から順番に 負傷者本人が自らの意志でサメに食われろ”って事じゃ


 例えば、腕や脚が千切れていてどうにも血が止まらん… そういう重傷を負っているのなら

 5体満足の仲間を助かる可能性を上げる為に 自ら率先してサメに食われてやれ…とな。


 もしかしたら、そいつをサメが食っている隙に助けが来てくれる時間稼ぎになるかもしれん…

 もしかしたら、そいつを食う事でサメが腹一杯になってしばらくは他の奴を食わないかもしれん…

 そして、一番重要な事は 自ら食われに行く事で 遺された仲間に無用の心の負担をかけずに済む…って事。


 判るか? てめぇが死ぬ事にすら、他の仲間に気を配れ…って事だ。


 で、シナ海で漂流した時に 実際に、”悪いけど、お先に…”って 腹から腸をはみ出した奴が

 サメに食われてくれての そのお陰か、戦闘が終わって味方の駆逐艦が助けに来てくれるまで

 その後、サメは現れなんだ…」


「屯田兵の御隠居」は再び煙草を深く吸い込むと


「さて…

 もし、あの世があって そこで、その時にサメに食われてくれた戦友が待っておるのだとしたら

 わしはそいつにどうすればいい?

 …というか、他の仲間に気を配って進んで自ら食われてくれたそいつに その場にいたわしらは

 どうすれば、笑顔で”よぅ、あの時は本当にありがとうな 貴様のお陰でほんと助かったよ”って言えるのかの?」


私には応えられなかった。


「戦時中、特に前線では そういう自己犠牲が数え切れないぐらいにあったのだが

 それらの自己犠牲に救って貰った者達は どれだけ報いる事が出来たんだろうなぁ?…


 おそらく、現代の日本という国以外では そういった自己犠牲で死んだ者達を

 ごく当たり前に”英雄”と呼ぶんだろうけど、戦後の、現代の日本ではそういう事すら

 忌まわしいとさえされてしまって ~な兵隊がいたんだ…って言っても嘘だと否定され

 手を合わせて拝む事すらもはばかられておる


 もし、あの世があって そんな英雄達が待っていてくれるのだとしたら…

 わしは そんな世の中にしてしまった一人として彼等に合わせる顔が既に無いんだよなぁ…」


そんな話をしたほぼ2ヶ月後、「屯田兵の御隠居」はポックリと寝ている間に心臓が止まり他界した。


その葬儀の際に全国から戦友だった人達が大勢参集し、その人達から 特に戦時中の爺さんの話を色々と聞いた。


でもね、戦時中の逸話よりも 今でも私に印象強い記憶として残っているのは戦後の爺さんの逸話だ。


爺さんは戦没した知古の戦友達の遺族を訪ね 時には金を、時にはコネを使って遺族の生活を助けてまわっていたのだ。


きっと、それは爺さんなりの受けた自己犠牲に対する報いだったんじゃなかろうかと思うのだが、それでも爺さんは「会わせる顔が…」と恥じていた。


で、実際に「あの世」があり そこで爺さんが戦友達と会ったのかどうかは知る由もない。


ただ、少なくとも間違い無く私にとって言える事は 爺さんが亡くなって1年も経たぬ間に 私は同級生だった嫁の親友が亡くなる様を間近にしたのだが、その「亡き友」と もしも「あの世」とやらで再会する… その時に恥じずに会う為にはという思考が私だけに限らず「屯田兵の御隠居」の薫陶を受けたバイト学生達が皆、身につけざるを得なかった事だ。


お陰で いわゆる一般的な「宗教感」とか「道徳観」とは程遠いものになったが、我々なりの「宗教感」とか「道徳観」は確立されたんじゃないか?と それで良かったとも思っている。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

去年にいつも親切にしてくれた叔母が亡くなり、7月に父が亡くなり、自分ももう若くないのかと思っていた時にこちらの文章を読ませていただきました。

>どうすれば、笑顔で”よぅ、あの時は本当にありがとうな 貴様のお陰でほんと助かったよ”って言えるのかの?

この言葉が刺さります
これから生きていくうえで考えさせられました。

★ sato さん

未だに私は何と応えていいか判りません


【※注意!!】

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