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2010年01月25日

● バトルロワイアル 再考(2)


2000年に公開された映画「バトルロワイアル」を再見し、あらためて感じた事のうち ちょっと別な視点で述べてみたい。




2005年9月15日に『バトルロワイアル』という記事を掲示しているので興味のある方は御一読願うとして…


たまたま、このところ身の回りで映画「バトルロワイアル」の話がいくつか生じたので 良い機会と思い、DVDを再見してみた。


何も考えずに ただ、この映画を見ると 中学生が理不尽な理由で殺し合う意味不明な作品…に見える可能性が高い。


物語の設定で「BR法」という法律が制定されていて それにより、国内から無作為に抽出された何処かの中学の1学級の生徒を 閉鎖された特殊な地域に武器を持たせて放り込み 最後の一人になるまで殺し合いをさせる。


「BR法とはいったい何ぞや?」


そこをそれなりに理解出来ていないと もうお話しにならないわけで、映画ではそこが充分に描かれていない もしくは底を理解出来ぬまま物語が進んでしまい 訳が判らないまま終わってしまった… そう感じている人も多いだろう。


その結果、それはあたかも現実離れした話であり その設定を受け入れる事が出来ずにクソ映画と評価する人も少なく無い。


まぁ、映画自体がクソか否かを論ずる時に 設定が現実離れか否かを持ち込んでしまったら、おそらくファンタジーなる作品の殆どは見る前からクソって事になるのだが それはどうでもいい。^^;




唐突な話で恐縮だが…


あくまでも私の勝手な持論なのだが、私は「仲間」とか「友情」という言葉を簡単に口にして やたらと徒党を組む連中が嫌いである。


「人は一人では生きてはいけない」


なんて言葉は とても美しく道徳観溢れる言葉として用いられる。


しかしながら、その言葉を「誰かをみんなで助けよう」みたいな意味の様に用いながら、「誰かに助けて貰おう」「きっと誰かが助けてくれる」という風に 都合良く立ち回る言い訳に使う輩の多さに 私は辟易しているんだよね。


自分からは誰も何も助けようとしないくせに「みんなで助け合って頑張ろうよ」 そう言ってる奴がアナタの周りにいっぱいいませんか? そう聞いてみたくなる。^^


たまたまだが、私は債権整理などを仕事として糧を得てきた関係で いわゆる金銭トラブル上の債権者や債務者と呼ばれる人達を どちらも数え切れないぐらい見てきた。


でね、あくまでも私個人の経験統計上で言えば 調子の良い時は「仲間」であり「友人」だった関係のはずなのに片方は債権者で 片方が債務者に至ったケースというのがあまりにも多い。


「仲間だと思えばこそ オマエに金を貸したんだ」


「仲間にこそ 先に金を返せよ」


「仲間なんだから 返済を待ってくれよ」


そんなやり取りをする 元・仲間同士の債権者と債務者を数え切れないぐらい目の当たりにした。


まぁ、穿った見方と言われて結構なのだが 自分の小中学生時代を思い返す時、悉く「喧嘩をしてはいけない」という担任教師の御意向により いつしかそれほど仲の良くないクラスメイト達とも表面上は「仲良しごっこ」をしあうクセが身についてしまった様な気さえする。


私が学生の時代 散々、受験競争を強いておきながら「争いはイケナイ」 教師達はそう言ったものだ。


では「競争」と「争い」の違いって何? その境界線は「人それぞれですからね」 多くの人はそう言わないか?


実に曖昧模糊なんだけど 多くの人はそれ以上、その境界線について詮索したり議論したりも殆どしない。


要は 表面上誰からも文句をを言われずにさえいればいい、自分さえトラブルに見舞わなければいい、仮にトラブルに巻き込まれても 自分さえ良い人を演じていればいい そう言う事なんだろうか?




例えば、ある人物Aが何らかの問題に困り 友人Bに相談した。


もっと判りやすい例にすれば AはBに


「明日の午後までに支払わなければならないので 金を貸してくれ」


と頼んだ…としよう。


それに対して Bは「悪いけど、明日の午後までにそんな額の金は用意出来ない」とニベもなく断った。


で、Aは次に別の友人Cに


「明日の午後までに支払わなければならないので 金を貸してくれ」


と頼んだところ、Cは


「悪いけど、俺も明日の午後までにオマエの望む額の金は用意出来ない

 けど、今、手許に2万円ならあるから とりあえず、これを持って行け」


と応えた。


で、Aは さらに別の友人Dに


「明日の午後までに支払わなければならないので 金を貸してくれ」


と頼んだところ Dは


「今現在、手許に金は無いしなぁ… でも、なんとか用意できるかやってみるから

 少なくとも明日の昼過ぎまで時間をくれ…」


と応えた。


さて、ちょっと考えてみていただきたい。


もし、アナタの所に 上述のAの様に友人が訪ねてきて


「明日の午後までに支払わなければならないので 金を貸してくれ」


と頼んだら アナタはどう応える? というか、上述のBCD3人のいずれの対応に近い?でもいい。




さて、あくまでも私の個人的経験上の統計で言えば…


Bの様に「無いから貸せない」と考える人は多いけど「ニベもなく断る」という部分に抵抗を感じた人も多かろう。


そう、ニベもなく断ると恨まれたり、根に持たれたり、角が立つのは嫌だなぁ…と。


Cの様に それなりの額が必要な人に2万って 焼け石に水じゃねぇの?と 感じた人も多かろう。


ゆえに、やんわりと無理だ…という意を含ませつつ「明日の昼過ぎまで」と間をあけて様子をみるDみたいな対応を…と考える人も多かろう。^^


それよりも何よりも、


「そのAって人が どれだけ自分と親しい友人なのかによって 応えは変わると思うんですよ」


なんて、思った人が実は一番多いだろう。^^


私が思うに


Dの場合の様な対応を取る人が 実は私の知る現実的には結構いるんだけど、私に言わせれば こんなDみたいな対応を取る輩が 最も最低最悪な奴であるケースが多い。


仮にAがDの言葉に過度に期待して 昼過ぎまで待ち、”やっぱ、駄目だった”となったら Dは昼過ぎまでの時間を無駄にしたのと同じ。


つまり、援護するフリをしながら 取り返しの付かない瀬戸際まで追い込むのと同じ結果なのだ。


実際に、本当の意味でギリギリまでなんとかしてやろうと努力する友人も少なく無い。


そう言う人まで私は最低最悪とは言わないけど 根本的に重要な事は「明日まで」なんて切羽詰まった状況で「金を貸せ」と他人に縋るA自身を自分だけで助けられないのなら 他人まで巻き込むな…と 私はそう言う人に感じる事が多いのだ。


結局、金は貸さない でも悪く言われたくない… それが普通と言われればそれまでなのだが、「なんとかやってみたんだけど 今回はゴメン 力になれないや…」結果的には何もしていない 下手すれば邪魔すらしておきながら「オマエの為に俺も頑張ったぞ」みたいな恩着せがましい事さえ言う… それが「普通」と思っている人を 私は友人とは感じない。


次に


いざとなった際に「どれだけ自分と親しい友人なのかによって」と 友人の度合いを量る人


あたかも「あの人はお付き合いする度合いが星3つね」みたいな オマエはミシュランか?と問い詰めたい。^^


相手との付き合い度合いがどうこうとか、「恨まれたり、根に持たれたり、角が立つのは嫌だな」と考える事じたい如何なモノかと思うのね


例えば貸したくても貸すだけの金が無いのなら それは厳然たる事実であって恨んだり、根に持つ方が駄目でしょ?


「金を貸す気が無いから貸さない」にもかかわらず、「恨まれたり、根に持たれたり、角が立つのは嫌だな」と考える… そんな相手をタテマエで「友人」と呼ぶ事じたい 「ずいぶん美しいタテマエ人生ですね」と私は皮肉りたくなるんだな。^^;




さてさて、話を本筋に戻そう。


私は 常に行き着く所は俺個人…みたいな考えの持ち主である。


何かをしようとか、何かにつけて考えてみよう…とかいう時に、色々といろんな人の意見や考えを参考に伺ったり、本やネットでしらべたりもするけれど 結局は決断なり判断するの己なんだ…と。


でも、これは稀少なタイプであって であるがゆえに、偏屈なんて言われるのだけれど。^^


そんな私だからなのかもしれないけど、バトルロワイアルにおいて 42人の生徒にたとえそれが奇想天外なBR法という架空話とはいえ、生き残りたければ最後の一人になるまで自我を通して下さい…と強制し、強制された側がどんな言動や行動を取るか?ってのは とても興味深いシミュレーションだと感じたのだ。


つまり、本人が最も嫌がるトラブルの渦中に強制的に放り込まれた時 外面や体裁を度外視し、タテマエの着ぐるみを脱ぎ捨てた時に 感情のままの本音で喋り行動する。


そこに人の本質が垣間見える。


で、まず、この「バトルロワイアル」の原作を読み終えた時 私が思った事を正直に言えば…


登場する42人の生徒のうち、どの生徒の様な行動を自分は取るのだろう?と。


開始早々、「私達はこんなゲームに参加しない」と言って 崖から飛び降り自殺する一組のカップルがいるが そういう選択を自ら選ぶのであれば、先述したタテマエ人生でもアリだろう


私は群れる事より個でいる方を好む。


ゆえに、安藤政信が演じた桐山や 男女の違いはあれど、柴咲コウが演じた相馬光子に最も近いのかもしれない。


最後の一人になるまで勝ち残るんだ…とまでは思わないが、状況に追い込まれた以上 与えられた時間と機会を存分に楽しもう…とするだろう。


さもなくば、中学の3年と言えば 当時、私は今の嫁と既に付き合っていたから 高岡蒼甫が演じた杉村弘樹の様に 愛する嫁を探して彷徨い歩くかもしれないな。

(注:ウチの嫁は 間違い無く相馬光子なんだけど(ToT))


しかしながら、世の中の多くの人は 


「そんなの、その状況になったら考えればいいじゃん」


と、他人事。


もちろん「バトルロワイアル」の様な状況は まず起き得ない状況だろうから、真剣に考える必要は無い。


でも、身近にある現実的な問題にすら


「そんなの、その状況になったら考えればいいじゃん」


とか


「それは 考えるべき人が考えてくれないと…」


と、責任転嫁したり 誰かをまつりあげて


「とりあえず、@@さんの言う通りに賛同しておいて 駄目なら@@さんに責任取って貰おう」


なんて御方が少なく無いんだから嫌になる。




で、何が言いたいかというと…


「バトルロワイアル」の様な状況は 確かに特殊で突飛ではある。


が、日頃 友人とか仲間とか言い合っている連中が一瞬にして敵に回り孤独に陥る…なんて状況は 実は現実的に充分起こり得るシチュエーションでもある。


だから、「バトルロワイアル」という作品は そのツボを巧妙に刺激するシュミレーションに近いと私は感じ、だからこそ 傑作だと思っている。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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