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2010年01月14日

● ディア・ドクター


2009年に公開された映画「ディア・ドクター」のDVDを入手したので観た。




ディア・ドクター

この映画はDVDを入手するのを個人的に待ちわびていた。


それはいろんな映画サイトで評判だったり、いろんな賞を受賞したから…というのが理由ではない。


「西川美和」という映画監督の新作… それが私にとっての最大の理由なのだ。


以前、『ゆれる』という映画について記事を掲示した。(参考記事『ゆれる(おもいっきりネタバレ版^^;)』)


この「ゆれる」という映画は ここ数年に公開された数多の映画の中でも数少ない傑作のひとつだと私は感じており、その映画を監督した「西川美和」の 「ゆれる」の後に制作された新作だからこそ注目していたのだ。


【注意:以下の記事にはネタバレが多く含まれています】




この「ディア・ドクター」を見終えて思う事は…


「西川美和」という監督の 人間心理の表裏を際立たせる演出や視点は やっぱり凄いなと敬服した。


まず、「嘘も方便」という言葉と「病も気から」という二つの言葉 この使い方や解釈の幅というか描き方は 一般的の様で実は違う…という事を 映像で証明してみせた感すらある。


昔、私が喫茶「職安」でアルバイトをしていた頃、常連さんの一人が話してくれた事なのだが…


「世の中に いろんな詐欺師がいるけどよ、本物の詐欺師…っていうか、プロの詐欺師とでもいうか

 詐欺師にも”今度会った時に返すから1000円貸して”みたいな寸借詐欺みたいに低レベルもあれば

 何千万とか何億とか騙し取るスケールの大きい詐欺とか いろいろあるけどな、そんな詐欺の中で

 最も、上級レベルの詐欺ってのがあってさ それって騙された被害額とかじゃなくて

 後になって 詐欺だった…ってバレた後でも 被害者が詐欺師の事を


 ”あの人は親切で良い人だった”とか”あの人も悪気があったんじゃないだろさ”


 …ってな感じで 騙された事に被害者が怒るのではなく 感謝したり、弁護したりするんだ。」


という話。


その後、ある会社の倒産整理の際に 倒産のキッカケとなった詐欺事件を調べていて いろんな関係者から話を聞いたのだが、その中で 私の様な第三者からは最も被害を被ったはずの人物が その詐欺師を


「結果的には騙された…みたいに他人は言うけど 私にしてみれば彼(詐欺師)に怨みなんか欠片も無い」


とか、


「いやぁ、愉しかったんですよ あの人と関わっていた時はねぇ…」


と、語るのを目の当たりにして 何とも言えない理解しがたい思いをした。


同時に、ある人物が 誰かを騙していた…と判明した時、その人物に色々と世話になり、実際には被害にあっていないにも関わらず


「アイツは前から胡散臭い奴だと思っていたんだ」


とか


「俺もさ もうちょっとで騙されるところだったんだよ、危なかったなぁ…」


…なんて言い出す輩の多さも現実として目の当たりにしたし、酷いのになると 何もされていないのに


「参ったよ、俺も@@万円騙し取られちゃったよ」


と、被害者ぶる奴まで現れた時には呆れる他無かった。


そんな現実を目の当たりにしながら私は今日に至るのだが…




さて、この「ディア・ドクター」という映画の中には いくつかの「謎」が埋め込まれている。


中でも、最大の謎は「何故、伊野はニセ医者になったのか?」という ともすれば最も肝要な事を明確にしていない。


まぁ、これはクソ映画によく見受けられる「見た人の御想像に任せる」みたいな趣向に似ているけど、私には 逆に、これは監督の明確な意図と計算に思えてならない。


つまり、もしも「伊野は金銭目的でニセ医者になった」だとしたら 伊野がニセ医者だと判った後 掌を返した様に冷淡に、しかも伊野を悪し様に罵る村人達の姿は ごく普通の当然の事に視聴者(観客)は感じ 何も感じたり考えたりしないだろう。


ディア・ドクター


映画の冒頭において 村人達はたまたまニセ医者の伊野の行った医療行為が結果的に良い方に物事が運んだりした事もあって 伊野を名医として村人達が神の如く崇め信頼を寄せる姿や


ディア・ドクター

伊野を演じた鶴瓶の 人懐っこい人物像…という キャスティングの妙も充分に効いている。


伊野の姿に明確な「悪意」を感じ難く しかも、多くの村人達は伊野が本物の医者で名医だと信じ込んでいる姿を見ると 多くの視聴者(観客)は伊野を悪人とは思わず、ニセ医者だと判った後でも心情的には好意的にすら解釈するからこそ


ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター


伊野がニセ医者だったと判明した後の 村人達の掌を返した様な言動が、より醜悪なモノに映る


そう、「西川美和」という監督が 伊野という人物を悪し様に描かない事で、視聴者は伊野を簡単に好意的に見てしまう… これも、ある種の詐欺を 監督が視聴者(観客)に疑似体験させているとも言えるんじゃなかろうか?


が、私はそれを批難するつもりなど毛頭無い。


逆に、賞賛したい。


だって、この映画で描かれ感じさせられた村人達の掌返しの醜悪さこそ 私の知るリアルなのだから。




診療所の医師が失踪し、刑事が村に現れ「本当の事」が少しづつ明らかになる。


ディア・ドクター


「松重豊」が演じる刑事が聴取する人それぞれに発する言葉は 映画の視聴者(観客)には嫌味の様に感じるが 落ち着いてその一言一言を吟味すると ごく普通の第三者的解釈なんだよね


でも、それが嫌味の様に聞こえてしまうのは 主人公である鶴瓶が演じる伊野という人物を視聴者(観客)が好意的に見ているからこそだ。




ディア・ドクター

「あの先生なら どんな風に死なせたのかな」


終盤間近、女医であり 母親の胃癌(おそらく末期)に直面した女性(井川遥)が 刑事からニセ医者を働かせていた自治体を訴えるか?と問われて応える言葉の中に そういう台詞がある。


この場面が視聴者に与える効果は ニセ医者ではあるけれど、伊野はきっと母親を納得させて天国へと送り出したんじゃないか?… という想像であり、であるがゆえに 視聴者は伊野を憎んだり批難しようとは考えにくい。


この場合、重要な点は ニセ医者か本物の医者か…という事では無い。


終末医療とでもいうのかな、患者が死に直面する時 医師が行おうとする医療と、患者本人が望む死の迎え方が必ずしも一致しない…という点が現実においてよくある話だ…という事こそが重要なのだ。


「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。


基本的な意味は「出来る限りの事をやり尽くした上で結果は運命に任せる」…って感じ。


ひと昔前、多くの医者がその当時の医療水準では手の施しようが無くなった患者を人工心肺装置でのみ生き続けさせる事を指して「人事を尽くして天命を待つ」と称した時代があり、表現は悪いが いわゆる「植物人間」等と言われる状態で生かされ続ける事が患者にとって その患者が望む事か否か?より、家族や医者が 簡単にその患者の死を受け入れないが故の結果でもあった。


そんな状態でも大事な家族や愛する人を死なせたくない…という考え方には一理あると言わざるを得ないが、その為に莫大な治療費の負担や介護におわれて結果的には…という現実が増えた事と「尊厳死」といった考えが認知されたりして 今では随分と考え方が変わったが、それでも何が正しいとか何が本当なのか?といった事に結論めいた事や基準の様なモノは確定していない。


ちゃんと医学を学び国家試験に合格した医師でなければ医療行為をしてはならない…というのは当たり前の事である。


けれども、ちゃんと医学を学び国家試験に合格した医師であっても 人間的にどうなのか?って思われる医師は世の中に腐るほどおり、私の主治医がその典型的な例だが、まぁ、そんな事はどうでもいい。


例えば、ある人間が死亡した…と判断する基準って何だろう?


その典型が「脳死」を「死亡」とするか否かだったりするわけで ちゃんと医学を学び国家試験に合格した医師であっても意見が分かれていたりする。


不思議なのは「人間~であれば死亡です」 そんな根本的な事を部分的とはいえ、あやふやにしたまま 日々、死亡診断が下されている そう、これは大いなる矛盾だよね。


どんなに日頃、不真面目で 世の中をナメくさった言動を重ねていても、いざとい時に患者の命を救えば名医と呼ばれ、どんなに技術的に優れていても 患者の遺族を納得させる事が出来なければヤブ医者 もしくは、医療裁判の被告にされたりする… それが現実なんだよね。^^;


ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

刑事役の松重豊が呟く この台詞にこそ、本当があるんじゃなかろうか?




ちょっと勝手な想像で語るが…


ディア・ドクター

「八千草薫」が演じた母親は自分が相当深刻な病状である事を悟っている。


悟っているが故に、自分の亭主の(病院で いろんな機械や薬品に囲まれた)様な死に方はしたくないと思っている。


ところが、彼女の娘は医者であり その娘が父親である亭主をそうしたのだ。


娘のした事は非合法でもなんでもなく 娘なりに医師として良かれと考えた結果だったのだが、「同じ死ぬなら…」と考える人は世の中にけっして少ないわけではない。


「命の終わり」をどう迎えるか? どう判断するか? それらの見解の相違でしか無い。


ゆえに、母親とすれば ともすれば、自分が過ごしてきた土地や家で静かに…と望んでも 病状を娘が知れば それを許して貰えそうには無い…


そんな時に、(実はニセだが)村の医者が 自分の意を汲んでくれようとする。


娘とニセ医者、どちらが母親にとって望み通りなのかは明白だよね。


でもね、ここで重要な点でありながら看過されがちな事を提示しておくと 伊野がニセ医者か否かが問題なのでは無い。


母親の望みを叶えてやろうとする部分に人の情を視聴者(観客)が感じ、であるがゆえに伊野を「良い人」と感じる事。


医者としての判断と 人としての判断を混同させられてしまう事も 監督である「西川美和」の仕掛けた含みなんだと思うわけで…




さてさて、この「ディア・ドクター」という映画の中の もうひとつの「謎」。


それは、村人はともかくとして 看護師(余貴美子)や製薬会社の営業(香川照之)は 伊野がニセ医者である事を いつから気づいていたのだろう?…という謎。


看護師(余貴美子)に関して言えば、決定的な場面としては


ディア・ドクター

気胸を見抜くか否かの場面であり、その後 患者が助かったと喜ぶ人々から離れて


ディア・ドクター


複雑な、でも冷めた目で伊野を見つめる表情から推察できる。


で、問題は製薬会社の営業(香川照之) 彼は胃カメラを飲むシーンで


ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター


というやり取りを見ていると この時点で、営業(香川照之)は既にニセだと知っており、やんわりと脅迫めいた事まで言っている。


しかも、

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター


という部分を深読みすれば


ディア・ドクター

ディア・ドクター

ディア・ドクター


と、


ディア・ドクター

ディア・ドクター


という二つの場面や台詞から かなり以前からニセだと もしかしたら、最初からニセだと気づき 伊野も製薬会社の営業(香川照之)が本当の事に気づいている事を知っていた…とまで考えられる。


では、何故 看護師と営業 この二人は事実が発覚しても気づかなかったフリをしているのだろう?


もちろん、営業成績や看護師としての収入という一面は重要だったんだろうと思う。


けど、それ以外の「何か」が それぞれ二人にある。


その「何か」に対して推察を試みていくと なんとなくなのだが、監督「西川美和」が「ディア・ドクター」という映画で描きたかった事が見えてくる様な気がする。


例えば…


医学的には もう手の施しようも無い末期の胃癌の患者に「余命いくばくもない末期癌」と告知する事によって 患者がショックを受けたり絶望するのを恐れ、「ちょっと胃潰瘍が酷いみたい」なんて言い方を用いて最後まで本人に癌とは告げないケースが今でもよくある。


でもね、これって「患者の為」という大義名分で誤魔化しているけど 患者にとっては自分の本当を教えて貰えない 言い換えれば詐欺行為と受け取る患者も少なく無い。


ちょっと話を変えると、過疎化の村とはいえ「名医がいる」 それだけで村人は他の同じ様な過疎の村よりも安心し明るく過ごしていける。


けれども、その「名医」が「ニセ医者」だと判った時 その村は他の同じ様な過疎の村よりも深刻な状態に陥る。


つまり、或る状態を好意的に受け止めるか否かで「優しさ」にも「詐欺」にもなる。


この物事の二面性を強調する為に「西川美和」という監督が仕掛けた「何故、伊野はニセ医者になったのか?」と「看護師や営業は いつから伊野がニセ医者と気づき、気づいた後も気づかぬフリをしていたのか?」なのだとしたら まさに、お見事と言う他無い。


おそらく… (あくまでも私の勝手な憶測だが^^;)


この「ディア・ドクター」という映画を見た後に 感想として


「掌を返した様な村人の言動は判らなくもないですけど、心無いというか 寂しいですね」


という風な事を述べる人は少なく無いのだろうと思う。


けど、私は それを感想として述べる人は 自分の事を棚に上げて綺麗事だけを述べる上っ面人間と嘲る。


「これは 映画の話だから」


…と言われてしまえばそれまでだが、現実に似た様な事例が 実はいくつかある事も理解していただきたい。


で、「なぜ、伊野の無免許が3年以上もバレなかったのか?」


を、考えてみて欲しい。


何がホンモノで、何がニセモノなのか、そんな事ってどうでもいい… そんな生き方を多くの人はしてないか?


「食料の自給率が低いのは問題だ」「中国野菜は農薬まみれ」とか言いながら「だって、安いんだもん」と中国野菜を買ってないか?


コピー商品でも安いし パッと見、本物ソックリだから…と愛用してないか?


ニセモノでもそれなりに満足できれば それで充分とか言ってないか?


そのクセ、違法だ! 無許可だ! と、誰かが問題視した途端「そうだそうだ、~は悪い」と善人ぶったり、正義感を漂わしたりしてやしませんか? と。


つまり、監督「西川美和」が この映画で描き、問いたかった事は ニセ医者とか過疎地なんて事よりも 人間心理の二面性であり、いい加減さなのだから そこを汲み取れずにしたり顔で


「掌を返した様な村人の言動は判らなくもないですけど、心無いというか 寂しいですね」


なんて言われてもね。^^;


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コメント

西川監督作品は私も大好きです。
私は「前作とは大分カラーが違うけど、やっぱり人の心理を描くのが上手いなぁ」くらいにしか感じてなかったのですが(あとは「真実の曖昧さ」とかですかね)、1つのことでも見方次第で全く違った価値判断になる…っていうのが前回と共通している部分なんですね。
この監督、3年に1回ペースで出しているので次は2012年でしょうか…待ち遠しいものです。

★ えむ さん

本当に 次回作が待ち遠しいですね。^^

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