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2009年10月02日

● ローソク出せよ


まりこ40さんから頂戴したコメントを拝読して思い出した事を記してみる。




あくまでも私の古い記憶なのだが…


毎年、七夕の日に 近所の子供達が群れを作って 夕暮れ時にやはり近所の家々を巡って 玄関先で


「ローソク出せ、出せよ~ 出さないとひっかくぞ~ おまけに、かっちゃくぞ~♪」

(注:”かっちゃく”とは方言で”ひっかく”と同じ意味)


と、童謡「かごめかごめ」に似た節で歌うと 家の人がお菓子を持って現れて、子供達がそれぞれ持参している袋に一掴みづつ入れてくれる風習があった。


ちなみに、その当時 私が住んでいた地域は7月7日ではなく8月7日が七夕の日とされていたから、その「ローソク出せよ」の風習は夏休みの一大ページェントでもあった。


この「ローソク貰い」という風習が日本全国、どこの地域まで共通なのかは判らない。


いろいろ聞いてみると同じ道内でも函館や小樽の出身者は「やったことがある」と即答したが帯広や旭川の出身者は「知らない」と言い、本州の出身者達は「ローソクは貰いませんでしたねぇ^^」と不思議がる。


また、同じ様に歌の歌詞も地域によってか微妙に違いがあり、私は


「出さないと かっちゃくぞ」


と、歌った部分が


「出さないと噛みつくぞ」


とか


「出さないと食いつくぞ」


とか


「ローソク一本頂戴なぁ~」


等々、いろんなフレーズがある。


この風習がどんな由来で続いてきたのかは全く知らないし、なんでローソクなのか 今もって謎ではあるが、その当時 それを全く疑問に思わず近所を練り歩いていた事を思うと こういうのこそ、学校で教えて欲しかったと思ったりもする。^^


で、以前 別の記事に何度か記した事だけど 私は父が自衛官だったから、その頃は官舎住まいをしており、妹や後に妹の旦那になる義理の弟などと共に 近所、つまり自衛隊官舎を中心に練り歩いたわけだが 御存じの通り、自衛隊は転勤の多い仕事であり しかも、転勤先は日本全国。


こんな風習を全く知らない九州や四国などから転勤してきた家の人達は 突然、見知らぬガキ共が玄関先で歌い出すのだからあわてふためく人もおり、中には仏壇からローソクを持ってきてくれて子供達に一本ずつ配り


「オバチャン違うよ ローソクじゃなくてお菓子をくれよ」


と言われ 苦し紛れに今度は財布を持ってきて子供達に百円玉を一枚ずつ渡して


「ごめんね ここの家、子供がいないからお菓子が無いの、これ(百円玉)で好きなの買ってね」


なんて家もあった。^^




そうやって練り歩いている子供達のグループはいくつもあり 練り歩いているグループ同士がどこかの道端で行き会うと


「オマエら どれだけ貰った?」


と、比べっこになり


「@@@の家行くと えびせんを一人に一袋づつくれるぞ」


とか


「¥¥¥の家は 柿の種をひとつまみづつだ」


等と情報交換にもなり 良いモノをくれる家にそれぞれが「行こう」なんて事にもなる。^^


そんな中にあって 私は今でも忘れられない出来事がある。


それは私達子供が「自衛隊グランド」と呼んでいた 文字通り、駐屯地に隣接した自衛隊のグランドなのだが そこだけは駐屯地の柵外にあり、一般の人達も自由に出入りが出来て 子供にとっては格好の野球場


だから、放課後になると そこで自衛隊が何かをしていない時であれば子供達が集まって野球の試合を興じていたのだが、そのグランドの三塁側に隣接していた一件の家の庭に 野球をしていると必ず何故かボールが飛び込んでしまう家があった。


問題だったのは その家のオバサン(と言うか、バァさん)。


勝手に庭にボールを拾いに入ろうものなら「勝手にはいるな!」と怒鳴られ、ちゃんと玄関の呼び鈴を押しても出てきた途端に


「オマエらのおかげで 庭に植えていたキュウリが曲がった」


と、時にはゲンコツまで頂戴した。


今、もし、こんな家が都会の片隅にあったなら その家のバァさんは変人扱いされ、批判の的となるのだろう。


でも、私の子供の頃には そういう家や老人はいろんなところに存在し 家に帰って晩御飯の時に父や母に


「今日、自衛隊グランドの横のババァにゲンコツもらった」


と、私が愚痴ると


「そりゃ、オマエが というか、オマエ達が悪い」


と、父に一刀両断されたものだ。^^;




で、或る日の事。


何事もなく小学校に行くと 教室内がただならぬ雰囲気。


教室に入った私を見つけて クラスメイトが数人寄ってきて


「知ってるか? 自衛隊グランドの偏屈ババァが昨日死んでるのが見つかったんだって」


「でもな、バァさん 本当は一週間前に死んでて それが昨日、発見されたんだって」


と。


話を総合すると、というか要約すると バァさんは一週間前に心臓発作を起こして庭先で倒れ、そのまま亡くなった。


ところが、その家はバァさんの独り暮らしだった為に誰にもそれが発見されなかった。


で、昨日 たまたま野球をしていてボールを飛び込ませてしまった子供達が取りに庭に入って 死んでいるバァさんを発見した… という事。


その時、私は扁桃腺が腫れて熱を出し 数日、学校を休んで寝込んでいたから、もちろん野球の試合にも行っていない。


なので、状況を見たわけでは無く 全ては伝聞なのだが、その話には尾ヒレがついており


「一昨日、2組と5組の奴らが自衛隊グランドで(野球の)試合をしたらしいんだけど

 その時に、やっぱり庭にボールを入れちゃって 取りに行ったらバァさんの怒鳴り声がしたから

 逃げたんだってさ。


 でもさ、それって変だろ?

 だって、バァさん 一週間前には死んじゃってたんだから」


今思えば、よくある都市伝説みたいな話なのかもしれないが そんな話から始まって


「あそこにはババァのオバケが出る」


という話が定着し 子供達は怖がって自衛隊グランドで野球をする事は無くなった。




バァさんが亡くなった日から2ヶ月弱が過ぎ その日は七夕、「ローソク出せよ」の日である。


いつもの年の様に いろんな家を巡って、両手にいっぱいお菓子の入った袋を下げて満足げな私達。


「もう、ちょっとその辺を回ったら終わりにしよう」


と、なったのだが、気がつけば いつしか私のグループが辿り着いていたのは自衛隊グランドの傍。


ちょっと視線を伸ばせば 例の「ババァのオバケが出る家」だ。


もう少し、歳が上だったら逆に興味本位で「オバケを見に行こうか?」なんて話になったのかもしれないが、その時はまだ小学生だった私達は


「あっちは怖いから行くのをやめようよ」


と、皆が同意した時だった。


まさに、ババァのオバケが出る家の庭先で 小さな灯りが左右に揺れ、どこからともなく


「アンタ達ぃ~ コッチにおいでぇ~」


と、声がする。


一同は金縛りにあったように動けなくなり 恐る恐るその灯りと声のする方向を凝視すると


暗闇の中に 確かに間違い無く人影があり、その人の傍を人魂の様に小さな灯りが揺れている。


「ワァ~」


と、誰かが叫んで逃げたのをキッカケに 皆が一目散に逃げ、その年の「ローソク出せよ」は終わった。^^;


当然、その時の事は「ババァのオバケ」話に肉付けされて都市伝説はさらに強固となった事は言うまでも無い。




さて、それから数日後。


授業が終わって さぁ帰ろう…という時に 担任教師が生徒の何人かを指名し


「名前を呼ばれた者は 先生と一緒に職員室な」


と。


行ってみると 職員室の片隅、ちゃちな応接セットのテーブルの上に大きな段ボールの箱が置いてある


担任教師は そこからいくつかの野球のボールやサッカーボールを取り出すと


「この @組ブタネコってマジックで名前が書いてあるボール オマエのか?」


と、野球のボールを差し出し 受け取って確かめると、それは確かに私の字だし私のボールだ。


同じ様に名前呼ばれて集まった生徒達も それぞれが名前を書いていたボールを担任から貰った。


つまり、それは自衛隊グランドの横の ババァのオバケが出る家に飛び込んでしまって、返して貰えなかったボールであり、話を聞くと バァさんの遺族が遺品を整理していて見つけたので 近所の小学校に心当たりが有れば…と持ってきてくれたのだそうだ。


「ババァの怨念が染み込んでる」


と、返して貰った子供達は それを気味悪がり、私もそんな独りだったのだが その日の夜、晩御飯を食べている時に 両親にその返して貰ったボールの話をすると


「オバケがでるかどうかは別にして 返して貰ったんだったら、ちゃんと御礼を言いに行け」


父が私に そう言った。


で、私がそれを嫌がると


「庭先にボールを入れる…ってのは それだけでその家にとっては迷惑な話

 なのに、わざわざそうやって返してくれた気持ちには ちゃんと御礼を言うのがスジってもんだ」


殆ど怒られるのと同様に父から翌日、御礼を言いに行く事を厳命された。


で、学校から帰り あらためて御礼に行こうとすると母が


「コレ持って行って 良かったらどうぞ…ってあげなさい」


と、何かが入った袋を渡され 私はそれを持って渋々、ババァのオバケが出る家に行った。


で、家に行ってみると たった2ヶ月しか過ぎていないのに ババァがいなくなっただけで家ってこんなに鬱蒼とするのかと思う程、心なしか不気味な雰囲気。


勇気を振り絞って呼び鈴を押すと 中から40過ぎぐらいの女性が現れ、その人に私がボールの御礼を言い、母から渡された袋を 言われた通りに言って渡すと、女性はその袋の中を見て


「あら? コレってこの前の”ローソク出せよ”で キミが何処かで貰ったもの?」


と、袋の中を私に見せる。


たしかに、袋の中には太さや長さがまちまちのローソクが沢山入っており、それは間違い無く 私と妹が他の子達と一緒に”ローソク出せよ”で貰ったローソクだった。


なので、「そうです」と私が言うと 女性は


「そっか… じゃ、ちょっと待っててね」


と、私を玄関先に数分待たせ 再び、現れた時には大きな段ボールの箱をひとつ持ってきた


「これ、お菓子だから 重くないから持てるよね?

 この前、ローソク出せよ~ってウチにも誰かが来るかと思って買っておいたんだけど

 誰も来ないから余っちゃったの あげるから、持って帰って友達と分けてね」


それは「カール」という名前のお菓子が入った段ボール箱が まるまる一箱。


カールはフワフワなスナック菓子だから、段ボール箱は大きいけど たしかに重さはそれほど無い。


私はあらためて御礼を言って帰途についたのだが…


その帰り道に、ふと思った。


数日前の”ローソク出せよ”の時に見たババァのオバケって もしかしたら、懐中電灯を持ったあの女性だったんじゃないか?と。


せっかくお菓子を買っておいたのに子供が誰も来ないから


「アンタ達ぃ~ コッチにおいでぇ~」


と、わざわざ呼んでくれていたんじゃないか?と。


そう気づくと それ以降、


「あの家にババァのオバケが ヒトダマをウジャウジャ連れて出るんだよぉ」


という話をクラスメイトが誰かに話すの見たり聞いたりする度に 都市伝説に肉付けしてしまった自分の愚かさに自己嫌悪に陥る。^^;


その夜、晩御飯の席で ちゃんと御礼を言ってきた事、そしてお菓子を貰ってきた事を父に報告すると 父は


「御礼に行って またモノを貰ってくるとは何事だ!

 そこはちゃんと少なくても一度や二度、断わらないと御礼に行った意味が無いだろ? このバカ!」


と、怒り その時の私には それがとても理不尽に感じられてフテ腐れたのだが…


でもねぇ、今なら その時の父の言葉も、怒った意味もよく判る。


ふと、そんな事を思い出したので書き連ねてみた次第だ。^^


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

まぁ、ババァは居ないようだけど、この辺りの豆っ子貰いも同じような物です。
子供の居ないお菓子の買い置きのない家庭は、小銭をくれます。
小さな温泉街なので温泉旅館や飲み屋も多く、子ども達は良~く解っていて、
○○旅館は金平糖一袋くれた!
とか、
○○飲み屋は焼き鳥一串くれた!
とか、
すれ違った時に情報交換しているようです。
ウチも明日は少しばかりのお菓子と枝豆を甘く煮たずんだや同じく甘く煮た栗を入れたドーナツを作る予定してます。
この地域もこの風習が残っているのは2箇所くらいのようです。
大事に残していきたい地域の文化ですね~♪
明日、夜だけは晴れるように照る照る坊主作りましたよ。

ブタネコ少年史ありがとうございましたw

私が生まれ育った大阪では、夏の終わりに地蔵盆という行事があり
太陽が隠れた頃から各町内・辻事の地蔵堂を友達と連なってお菓子を貰い歩いた事を思い出しました。
やはりそんな時って、少し離れた墓場に肝試し・・・みたいな事もありました^^

電気ババァなんていたなぁ~・・・ええ都市伝説です^^;

★ まりこ40 さん

へぇ、やっぱ、似た様な風習ですね^^

明日、晴れるといいですね


★ Wen さん

へぇ、大阪にも似た様なのがあるんですね^^


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