● フルートの話(その3)
横溝正史の著作の一つである「悪魔が来たりて笛を吹く」には フルートが重要なアイテムで登場する。
椿子爵は「音がやわらかくなる」という理由で特製の黄金のフルートを入手する…
そんな「悪魔が来たりて笛を吹く」の肝心な部分を横溝フリークで知らない者などいない。^^
ただ、私はその時高校生だったし、音楽的素養も興味もなかったからブラスバンド部にいけば もしかしたらフルートの実物を見る事が出来たのかもしれないが、そんな気がまわらなかった事もあって、親分が指差してウィンドウ越しに見たその時が 産まれて初めてフルートを見た瞬間でもあった。
店の照明を反射してキラキラと輝き綺麗だった。
「親分さんはフルート吹けるんですか?」
すると親分は
「吹けるわけねぇだろ ヤクザだぜ俺は」
と、苦笑いしながら言うので
「いや、フルート吹くのに ヤクザもカタギもないでしょう?」
と、私が言うと 親分は「ホラ」と私の目の前に左手を拡げて見せ、その手を見た瞬間に私は言葉が詰まった。
親分の左手は 小指が半分無かったのだ。
私は慌てて
「すいません! 決して…」
と、謝ろうとしたが 親分はそれを遮り
「カッカッカ、いいんだ 気にすんな^^
俺はよ、吹けないけど 横溝フリークとして持っていたいんだよ黄金のフルートをよ
それに、思い出してみな 椿子爵の作曲した”悪魔が来たりて笛を吹く”って曲は…」
そう言われた瞬間「あっ」と思った。
この部分に関しては「悪魔が来たりて笛を吹く」を読んだ人なら 言わずともお判りだろうし、未読の方には 是非、一読を勧めたいので余計な事は言わずにおく。^^
2台の外車に分乗し、上野の集合地へと送ってもらった私達は そこで親分に礼を行って別れたのだが、その時に親分は 秘かに別の若い衆をつかって馴染みの寿司屋に6人分の特製の寿司折りを作らせたのを運ばせて 別れ際に
「本場の江戸前寿司を本当はカウンターで握りたてを食わしてやりたかったんだけど
時間がな、だから 折りで悪いけど、駅弁代わりに気車の中で食ってくれや」
と。
そして私に
「おう、オメェとはこれで知らねぇ仲じゃねんだから これからは、東京に出てくる事があったら
いつでも俺んとこ訪ねて来いや な? また、横溝正史を語ろうぜ^^」
と言って、名刺の裏に自宅の住所と電話番号まで書き込んだのを渡してくれた。
知らない人であれば無条件で忌み嫌う存在のヤクザで しかも親分。
喫茶「職安」の常連さんやバイトの関係で 札幌のいろんなヤクザを見知ってはいたが、東京の しかも江戸時代から続く一家の親分さんは貫禄も身のこなしも、そして何よりも迫力は数段上で最初はビビッたが、話せば気さくなオッサンで愉しい人だった。
上野を発し、動き出した寝台特急のコンパートメントで親分さんがくれた寿司折りを6人で開けると いわゆる、普通の寿司折りの箱が2段重ねになっており、上の段は どうみても特上のネタの握り、下の段は鉄火や ちらしの太巻きが詰められていて 見るからに相当腕の良い職人の仕事であり、味は抜群に美味かった。
日頃、喫茶「職安」の常連さん達が我々バイト学生に説く「人の道」を 我々バイト学生相手にですら まるで地でいく様な親分の気配りに感動した。
札幌に戻り、喫茶「職安」の常連さん達にその話をすると
「おぉ、本場の親分は やっぱさすがだなぁ…」
と、言い
「そういう付き合いは一生モンだから大切にするんだぞ」
と。
元々、その親分であるKさんはテキ屋のHさんとは兄弟分で旧知の仲
Hさんはメロンが旬な時期になれば それをKさんに送り、トウモロコシやジャガイモなども 旬の収穫があがれば送っていた。
だから、修学旅行で世話になった後は 我々バイト学生がHさんの知り合いの農家の収穫の手伝いに行った際に Kさんへの荷造りを行い、送る様になり それはその後、ずっと続く事になる。
やがて、我々バイト学生は大学の入学試験を受ける時期となり、私や気の弱い弁護士や一級建築士の資格を持つ詐欺師などは 東京の大学を志望していたから 入試の為に上京したのだが、その時に親分のKさんが
「そうか、東京の大学の試験を受けるのか だったら、試験中の宿や飯の世話は俺に任せろ」
と、言ってくれて
「俺の所の若い衆で 今、懲役に行ってる奴の部屋をあけてやるから自由に使え」
と、交通の便も良いマンションの一室を宿代わりに貸してくれて 親分の奥さんが朝晩の食事を賄ってくれた。
或る日の事、私と一級建築士の資格を持つ詐欺師が それぞれ本命では無い、滑り止めのつもりで受ける大学の試験日で それぞれ試験を受けに行き、気の弱い弁護士だけその日は試験が無いのでマンションに一人で残っていたのだが…
朝、出かける時にはなんでもなかったのに 試験を終えてマンションに戻ってみると、マンションの横に機動隊のバスが停まり マンションの入り口と周囲にパッと見ても20人近い機動隊員が壁を作る様に立っている。
何事だろう?と思いつつも身に覚えのない私と一級建築士は堂々と入り口からマンションに入ろうとすると 見るからにヤクザの様なオッサンが二人、私達に
「このマンションの住人の方?」
と、話しかける。
聞けば その二人は暴力団担当の刑事で その日の朝、都内で暴力団同士の抗争事件があり、そのマンション内に関連警戒の部屋があるので警備していると言い、どこの部屋に行くのか?と聞くので部屋番号を言うと 途端に態度が変わり、
「****号室? オマエら@@組とどういう関係だ?
ここじゃナンだから 場所かえてゆっくり話を聞かせて貰おうか」
と、まさに何かの現行犯逮捕同然にパトカーに乗せられ 着いた場所は某警察署
別々の取調室に入れられ 刑事二人がかりで
「なんで、あそこにいた? あぁ? 受験だ? なんだそりゃ?
ヤクザの幹部の部屋をホテル代わりにする受験生なんて聞いた事無いぞ!」
刑事達は まったく私の説明を信用しない。(ToT)
数時間後、K親分の奥さんと急遽、手配した弁護士が警察署に来て ようやく状況を理解したのか、弁護士の手前渋々なのか開放されてみると 一人で部屋に残っていた気の弱い弁護士まで そこの警察署に連れてこられており、そんな我々3人に
「ゴメンねぇ ウチの(K親分)一家が出入り(抗争)になっちゃって
アナタ達まで巻き添えにしちゃうなんてねぇ、もう、お詫びの言葉もないわ」
と、ひたすら謝る奥さんに
「良くある話(無い!)っスよ 良い経験させて頂きました 面白かったッス」
と、我々は笑って済ませたのだが…
結局、全員の入試は終わっても抗争は治まっておらず、マンションはずっと警戒態勢のまま^^;
本命の試験日にマンションから外に出る私の背中に 数日の間で顔見知りになった数名の機動隊員達から
「お? 今日は試験か? 落ち着いて頑張れよ!」
と、声をかけられ
「機動隊に囲まれて 落ち着けるわけ無いでしょうよ」
と、言い返すと 屈強そうな機動隊員達が笑ってた。orz
3人の全ての試験が終了し、北海道に帰る日には K親分の奥さんが親分の代わりに羽田空港まで親分の車で送ってくれて
「ウチの(親分)は 今、出入りの真っ最中でこういうトコ来れないから
見送れなくて本当に申し訳ないって… ホント、色々とゴメンネ」
と、何度も詫びられたが、その時も そして今でも親分と奥さんにはいろんな意味で感謝しているし、自分達の人生において その時の事は忘れられない思い出の一つ。^^
親分は その後、我々3人の受験結果を それぞれの大学の合格発表の日に若い衆を確認に行かせて
「サクラ、サイタ」
と、その度毎に電報を喫茶「職安」に送ってくれたし 3人とも本命に合格して上京した際には「合格祝いだ」と言って 向島の料亭に連れて行ってくれてフグ料理を御馳走してくれたし、以前、別のいくつかの記事で 大学時代、私は都内の とあるJR駅前でわりと規模の大きな雀荘でバイトしていた話を記した事があるが、その雀荘を実質的に経営していたのが 実はK親分の奥さんで、大学生時代の我々にとって母親代わりと言って良い程お世話になった方となる。
