● その日の前に
2008年に公開の映画「その日の前に」のDVDを入手したので見た。


重松清の原作(文春文庫ISBN978-4-16-766907-2)を読んだのは昨年の秋で 今回、DVD発売を知るまで映画化されていた事には気づいていなかった。
原作を読んだ感想を先に言えば 悲しいのと、辛いのと それに寂しい気持ちが若干、そして 少しだけ希望を伴った優しい気持ちになれた。
重松清の小説は 往々にして「間もなく死ぬ人」か「大事な人を亡くした人」が登場し、特に これから死へと向かう人の心境や姿が斬新な姿で描かれている。
ある人はそれを「お涙頂戴の作り話」と酷評し 別のある人は「亡くなった大事な人を思い出して涙した」と言い 多くの人は「感動で涙がとまりませんでした」と言う。
へそ曲がりな私は それらの3パターンそれぞれと似て非なる感想を持つ。
まず、たしかに「お涙頂戴の作り話」っぽく感じる部分はあるが だから、それがどうした?と。
人はやがて死ぬ。
しかし、人は その事を真剣に考えたり ともすれば死に向かって準備したりはしない。
むしろ、死というものを考える事から逃避したり 自分とは無縁と思い込んだり…
だから、たとえそれが映画の話と言えども いきなり見せつけられると屁理屈をこねて「作り話」と逃避し ほんの少しでも考えてみようとは思わなかったりする。
ある意味、それが当たり前で自然な人間の反応なのかもしれない…とは思う。
だからこそ、いざ現実の死を目の当たりにすると狼狽えたり、泣き叫んだり、恐れおののいたりするんだろう。
また、他の死に触れた時 過去の死、特に自分にとって大切な人が亡くなった時の事を思い出すのはよく判る だって、私もそうだから
ゆえに、それと小説のストーリーを重ね 重なる部分が多いと「同感した」と感激し、何故か違う部分を「リアリティに欠ける」と批判したり…
でも、それはある意味 それなりにストーリーに触れ、考えた結果なのだからと思える。
私が重松清の作品に好感を抱く最大の理由は ともすれば真剣に考えようとしない「死」について なんらかのテーゼをくれる事。
同時に、重松清の視点は いわゆる「多くの人」とは違う角度でストーリーを紡いでいる事。
「その日」を前にして 余命宣告を受けた妻は妻なりの旅支度を行い 残される夫は葛藤にさいなまれながらも 妻の満足を見守ろうとする。
さて、映画の話でもしようか…
原作がとても良い本だったから、迷わずDVDを発注したのだが 届いたDVDのケースラベルを見て
「あ痛ッ!!」
と、感じたのは 監督が「大林宣彦」だった事。


見始めて それが予想通り訳の判らないファンタジー作りで構成されているのを見て 吐き気と共に怒りすらこみ上げる。
主人公の一人である夫を南原が演じているのもイタダケない。
良い本をツマラナイ映像にしてしまう典型的なパターンだ。

「小日向文世」

「今井雅之」

「原田夏希」
