● 波の数だけ抱きしめて 再考
このところ わりと頻繁にTVで目にするCMがある。






間もなく公開される「アマルフィ 女神の報酬」という映画のタイアップCMだそうだが、「織田裕二」が主演で原作者が「真保裕一」とくれば「ホワイトアウト」を思い出すのだが…
それよりも、もっと別な事に私は目がいくんだな。
というのは 上のCMで織田裕二に話しかける男… これって「阪田マサノブ」なんだよなぁ…と。

「阪田マサノブ」と「織田裕二」 嫌でも私は「波の数だけ抱きしめて」という映画を思い出す。


以前、「波の数だけ抱きしめて」という記事を掲示し、その中で 私にとってこの映画は邦画のベスト3のひとつと述べた。
まぁ、それについては ここ数年の秀作などもあり、微妙に順位は異なってしまうかもしれないが、いずれにせよ「波の数だけ抱きしめて」という映画は おそらく死ぬまで記憶から消えない1本である事は間違い無い。
…というと、この記事を読まれる方の中には異論をもたれる方は少なく無いであろうし、この映画が1991年に公開で 現在に至るもDVD化されておらず、ビデオ販売しかされていない事から 最近のレンタル店はDVDのみという店が増えている現状からも この映画を見た事が無い…と言う人も多いだろう。
内容的に 際立ったモノがあるのか?と言われれば応えるのは難しい。^^
にも関わらず、記憶に焼き付いて離れない理由を挙げるならば…

まず、数年の後にはバブル景気に踊る時代の大学生や広告代理店の新米社員の姿が懐かしい。
ちょうど、私の年代は 現実にはこの映画に出てくる

「勝村政信」や「別所哲也」が演じた広告代理店社員の年頃で この時期を過ごし、不景気を嘆く今の時期とは雲泥の浮かれた世相に浸っていた。
が、「織田裕二」や「阪田マサノブ」が演じた当時の大学生達の様子も 私や友人達の大学生の頃とさほど変わらず郷愁を感じる。
その当時、北海道から上京して大学生生活を過ごしていた私の様な田舎者には「湘南」という地域、というより言葉は ある種の「ブランド」と化していた。
夏になったら「湘南」か「軽井沢」で過ごす… それが同世代の東京に住む、ブルジョワ(死語?^^)な家庭の子息のトレンドで それに憧れた千葉や埼玉の同世代の学生はこぞって群がる… そんな姿に札幌出身の私や友人達は理解が出来ず、ギャップに戸惑ったものだ。^^
同時に、大学生の年代というのは 本来は大学という最終学府で自身の勉強・研究の極みに至るべきなのだが、日本の大学というところは 基本的に入ってしまえばスティタスで あとはサボってバイトや遊びに精を出す時期…なんて感覚。
そんな私も同様で はるばる札幌から東京に移り住んだのを良い機会に バイトで金を稼いでは 国内のいろんなところに旅したものだ。
「波の数だけ抱きしめて」に登場する学生達は 学生生活最後の夏をミニFMの運営に興じる。

オシャレだよねぇ… 湘南でFM^^ ある意味、現実離れしたオシャレな世界とも言える。
現実、そんな大学生が その時代にいたのか? と、疑問に思う方も多かろうが いたんだよね、そういう人種が。
札幌から ぽっと上京した私は 夏になると「軽井沢」とか「湘南」に執着する関東圏の友人達の指向が理解出来なかったから 夏休みとなれば、まず1~2週間 札幌の大学に進学した「二代目開業医」や「某国立大学理工学部教授」と共に近畿圏や中部圏を旅し 残りは札幌で過ごす…
関東圏の連中には それが優雅な旅だと思われたみたいだが、私にしてみると帰省と旅行は全く違う事に理解を得るのは難しかったなぁ…。^^;
で、夏休みが終わり 真っ黒に日焼けしたサークルの連中達が
「また、軽井沢の あのアイスべたいナァ…」
とか、湘南で@@人 オネェチャンをひっかけた…なんて話に夢中になっているのを 不思議な感覚で眺めていたのだが、私と一緒に 札幌から東京の大学に進学した「気の弱い弁護士」と「一級建築士の資格を持つ詐欺師」と後に呼ばれる友人は 東京に上京した翌日には
「やっぱ、夏は湘南だべ? 湘南でパヤ~っとチャンネェ(女の子)引っかけて…」
「いやいや、軽井沢も悪くないもな
海はホラ、カパッと脱いじゃうぶん ふしだらなのが多いっしょ?
したけど、山は こう、ひんやりと清楚…みたいな」
自分達の会話に訛りがある事に気づけぬまま すっかりシティボーイズ気分だった。 orz
そう、「波の数だけ抱きしめて」の「織田裕二」や「阪田マサノブ」を見ていると その頃の「気の弱い弁護士」と「一級建築士の資格を持つ詐欺師」の姿が どうしても懐かしく蘇るんだな。

学生時代は 興味があるクセに晩熟というか気が弱く 一人で自分からは見知らぬ女の子に声なんかかけられなかったのに 今では平気で尻を撫で回せる… この映画の中の「阪田マサノブ」は まさに「気の弱い弁護士」そのものだ。^^
さて…
例えば、世の中には「中山美穂」や「織田裕二」が嫌いだ…と言う人がいる。
そう言う人にとって「波の数だけ抱きしめて」なんて映画は 単なるクソ映画に過ぎないのは明白で その事で、その人達と議論しようとは思っていない。
ただ、私が述べたい事は たまたま私にとって「波の数だけ抱きしめて」という映画は上述した様な理由で記憶に残る映画であり、既に20年近く経った今 その公開時とさらにその前の80年代初頭の頃の自分の記憶が蘇る…
そんな様な経験をさせてくれる映画って 人それぞれに一本ぐらいあるんじゃないのかなぁ? なんて思うのだが、如何であろう
映画は「娯楽」か「芸術」かなんて議論はいまだにあるらしいけど 私に言わせれば そんな議論自体に意味を感じない。
例えば、「ゴジラ対ヘドラ」なんて映画を つい最近、見てボロ泣きした40代後半の男を一人知っている。
なんで泣いたのか?と聞けば
「親父と最後に 一緒に見た映画なんですよ」
この映画を親子二人で見に行った半月後に 父親は交通事故で亡くなったのそうで、そんな父親が優しくしてくれて楽しかった記憶の最後となった時の事を嫌でも思い出し泣いたのだそうだ。
考えてみると 映画ってTVドラマよりもそういう「想い出」に連動するケースが少なく無い様に私には思える。
だからこそ、「娯楽」か「芸術」かなんて議論は 私の中の映画感とはかけはなれていて議論に意味を感じず、特に「芸術」だと主張する意見に対しては美化過ぎて現実離れすら感じてしまうんだな。
