● 愛すべき爺ぃ「トミー」に捧げる。
今年の1月末、突然 我が家に石垣島から段ボール箱がひとつ宅配で届いた。
電話で嫁が私に報せてきたのだが 送り主の名前に心当たりが無い。
「どうしよう? 開けた方が良いのかな?」
そう聞く嫁に
「宛名は俺(ブタネコ)なんだろう? だったら、気にしないで開けてみな」
いろんな人間から恨まれている私だからとはいえ、爆弾送ってくるほどの酔狂なヤツもいないだろ…^^
すると、しばらくして嫁が
「箱いっぱいに なんだろ? あらぁ、これ笹餅かしら? すごい一杯…」
そう嫁が言った瞬間に 私にはピンとくるものがあったので
「少しづつでいいから 小分けして配ってくれないか? 特に”気の弱い弁護士”に」
と、依頼する。
夕方になって嫁が病院にも持って来たので ナースセンター等にも配りつつ私も一つ頂戴した。
そう、それはカサムーチー(だったと思う^^)と沖縄の人達が呼んでいた餅で…
昨年の夏、私は鳩間島に悪友達(「二代目開業医」「気の弱い弁護士」「某国立大学理工学部教授」)と旅をした。
その時に ふとした縁で石垣島のタクシーの運転手であるトミー(仮名:本人がそう呼んでくれと希望した)
【参考記事】
記事には記さなかったが、夕陽を見た後にホテルへと向かう途次の車中でトミーは 我々が札幌から来たのを知ると
「夕張メロンって いっぺん食べてみたいねぇ…
あれ、テレビでは何度も見た事があるけど 食べた事が無いさぁ」
と、言い 私が心臓を壊して隠居療養の身だと知ったトミーは
「じゃぁ、今度の旧正月に このトミーさん特製のムーチーを送ろうね
トミーさんのムーチーは もうベリ・グーよ 滋養強壮・長寿は間違い無しだからね」
と、言っていた。
飄々と人生を謳歌するとぼけた爺ぃのトミーに 楽しい旅にしてもらった御礼にと 私は札幌に戻ってから大量に夕張メロンを送ったのだが きっと、その時の送り状をたよりに旧正月だけ作るという特製ムーチーを送ってくれたのだ。
そう思い 嫁が持ってきた送り状を見ると 送り主の名前は私の記憶にあるトミーの名前とは違う名が…
なので、送り状に記入された電話番号にかけてみたところ…
トミーは脳梗塞の発作で倒れ入院しており そのトミーから頼まれたヘルパーさんが送り主だった。
トミーは一人暮らしだったから、倒れてから発見されるまで時間がかかり 一時は生きているのも奇跡なぐらいと言われたそうだが、そのぶん後遺症が重く半身不随で言語障害まで出ており電話で話す事も出来ないという。
なので、私は そのヘルパーさんにムーチーの礼を言い それをトミーに伝えてくれる様に頼み あらためて私は愛用の万年筆を用いて礼状をトミーにしたためた。
これといって理由は無いのだが…
と言うか、先日の千歳撮影の際に風邪をひいたらしく 嫁や娘、それに主治医や担当医などから病室から外に出る事を禁じられ 暇で退屈で仕方が無いから、病室に持ち込んだパソコンで撮り溜めた写真の整理をしている。
嫌になるぐらいの量の写真のデータを見ると 昨年はいろんなところに行っていろんな写真を撮ったなぁ…と つくづく思う。^^;
なかでも、私の中で思い出深いところのひとつは やっぱり、石垣島と鳩間島
①
トミーに二度目に御神崎に連れて行かれた時 目の前に広がっていた光景が上の写真
雲の形と太陽の位置の偶然で 海面にスポットライトが当たっている様に見える神秘的な光景なのだが ある方によると真偽の程は定かでは無いが スポットの左側の黒く低く雲が立ちこめている所はスコールなのだそうだ。
だとすれば、こんな光景を 私は札幌にいる限り二度と目にする事は出来ないな…
と言うか、たまたま行ったその日に こんな光景に出会えたのは余程、運が良かったと感謝すべきなんだろうね。
②
上の②の写真は 以前掲示した写真より少し前 まだ太陽が水平線上にある早い時間に撮ったもの。
「石垣の夕陽は まだまだこんなモンじゃないよ」
今でもトミーのあの台詞は耳に焼き付いている。
③
この時の石垣島は 日中の鳩間島で灼熱地獄を味わったせいか、風はさほどなかったが私にはとても心地良い温度で 北海道とは異質な周囲の草原の香りと相俟って いかにも南国らしい雰囲気
④
パンナ岳展望台から南方を見渡すと 海の上に広がる奇妙な形の雲も南国ならではなのだろう。
こんな写真を眺めていたら 写真を撮っていた時の情景が目の前に浮かぶ…
が、こういうのを虫の報せとでも言うのかな 石垣島のヘルパーさんからトミー逝去の報せが届く。
⑤
上の写真⑤は 川平湾のほとりにあった社で 川平湾を眺めて写真を撮るにはトミーさんお薦めの場所がある…と私と気の弱い弁護士を案内する途中で その少し前に移動中のタクシーの車内で「気の弱い弁護士」が彼のライフワークである心霊写真を撮れる場所はないのか?と尋ねていた事に対して
「あ、そこ写真に撮ったら 霊がうつるかもしれないよ」
と、トミーが言ったので試しに撮ってみたもの
「写真撮ったら ちゃんと御賽銭をあげなきゃだめだよぉ
地獄の沙汰も金次第らしいからねぇ」
と、意味不明な事を言うトミーと
「そりゃそうだよね」
と、素直に小走りに走っていって賽銭箱に小銭を沢山放り込んでいた「気の弱い弁護士」
あらためて写真を隅から隅まで眺めてみたが「写ってないぞトミー!!」^^
さて…
トミーと石垣島で過ごした時間は初日と二日目を合わせて数時間
でも、間違い無く私はこれからもずっとトミーの事を忘れる事は出来ないだろう。
とても中身の濃い数時間は ともすれば何十年の付き合いでも上辺でしかない奴よりはるかに重い。
ちゃんと歳を聞いてはいないが おそらくは70前後のはずで、飄々と しかもとぼけていながら どこか憎めない爺ぃ… 私の老後の姿に理想としたい姿のひとつを具現化した爺ぃだった。
以前、『2008年7月夏の旅』カテゴリ-という記事の中で トミーが頼みもしないのに運転中に歌いまくっていた事は記した。
本当は その時に記述すれば良かったのかもしれないが、あえて省いた部分を記しておくと…
トミーは「島唄」を歌った後、島唄という曲に込められた本当の意味というものと トミー自身も元々、沖縄本島で生まれ育ったが戦後のアメリカ統治や 戦中に亡くした親兄弟や親戚などの事情もあって近くて遠い石垣島で過ごした人だと言う事などを 私と弁護士に 内容はとても重くともすれば悲しい話を 陽気なマシンガントークでオブラートに包む様に話してくれた。
たまたま、トミー逝去の報せを受けて つい「島唄」が聞きたくなって動画を探したら その時にトミーが私達に話してくれたのと同じ内容の事を動画にした方がおられたので以下に添付しておく
「飄々としたとぼけた爺ぃ」
私は 何度もトミーをそう記したが、味わいのある真の意味での トミーの様な飄々さは トミーの人生における物語が醸した結果であり、誰でもなろうと思ってなれるものでは無い。
本当に 良い人と巡り会えてありがたいと思っています。
トミー 今度は三途の川で 一緒に夕陽を見に案内してくれよ^^
参考記事『沖縄県民かく戦えり』





