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2009年05月07日

● 将来の夢・過去の現実(その1)


時代はかなり遡る。




いわゆるひとつのロンロングアゴーであり、ワンスアポンアタイムでもある 今から30年以上前の事。


当時、私は高校生だったが品行方正な生徒では無く その年頃の子供ならよくあるヒネクレた小僧で とはいえ、一般的に不良と呼ばれる部類では無く 私のヒネクレは教師、特に日教組の活動に熱心なクソ教師が悉く担任となった為に 勉強は嫌いでは無かったが、大嫌いな教師に教えを乞うのが嫌で いつも授業をサボっていた。


他に、私とは理由が違うが授業はサボるものと確信に近い行動をし 私とは妙に気があった仲間が数人おり たまたまそんな中の一人が見つけた喫茶店(我々は後にその喫茶店を”職安”と呼んでいた)で過ごす時間が増えていった。


   参考:『喫茶「職安」の話』カテゴリ-の記事


そんな我々にとって喫茶「職安」は楽園だった。


最初の数回は コーヒー代やミートソースの料金をきちんと自腹で払ったが、通い始めて一週間も経たぬうちに 何故か我々の飲食代はその喫茶店の常連である大人の誰かが払ってくれて 挙げ句の果てにはちょっと特殊だが世間相場とは段違いのギャラのバイトを得る事が出来、そこに集う常連の大人達は みんなひと癖あるが奇妙に面白いオッサン達で 彼等の話、特に人生経験話は我々にとって今に至るまで最上のバイブルとなる程、面白かったし為になった。


そんな常連さん達の中にあって最大の黒幕的存在は「屯田兵の御隠居」と呼ばれた因業爺ぃだが、御隠居は我々と知り合って2年も経たぬうちに他界。


その爺さんが蒔いた種を引き継いだ常連さん達の中でツートップ的存在が「運送屋のN専務」と「弁護士のO」さんであり、結果的に 私の人生の師匠となるのが そのNさん。


Nさんについては 以前、N専務の話というのを掲示したので それを御参照願うとして、今回は もう少し、書き足してみたいと思う。




まだ私が喫茶「職安」に通い始めて間もない頃の事。


学校をサボっている高校生の分際にも関わらず、真っ昼間に しかも殆ど毎日、喫茶店に入り浸っている大人(常連さん達)が ある意味、不思議でならなかった。


なので、最も気さくに雑談に付き合ってくれていた(というか、いつも我々が付き合わされていた…が正解なのだが)運送屋のNさんに


「良いんスか? 大人がサボっていて」


とか、


「Nさん 趣味は無いんスか?」


なんて、今思えば実に身分不相応な質問を投げたりした。^^


それに対してNさんは


「俺はオマエらと違って 既に30年近く一生懸命働いて

 残りの人生、贅沢さえしなけりゃ働かなくても生きていけるぐらいの蓄えがある。


 それに、毎日会社をサボっても 文句を言われない肩書きと実績もある。


 悔しかったらオマエらも そうなれ」


と、言い


「俺らの世代は みんな仕事が趣味みたいに思い込んで働いてきたからな

 今更、切手集めや 盆栽みたいな真似出来るかよ!


 ま、強いて言えば ここ(喫茶「職安」)にきて オマエらをからかって遊ぶのが趣味だな^^」


なんて事も言った。


『オマエらをからかって遊ぶのが趣味』


それを当時の私は タチの悪い冗談だと思っていたが、それが大きな勘違いだったと知るのは数年後の事だ。^^


「じゃぁ、逆に聞くけどよ オマエ(ブタネコ)の趣味って何だよ?」


Nさんにそう聞かれて 私は応えに詰まった。


私には これと言って趣味と呼べるものが何も無かった。


考え込んでいる私にNさんは


「じゃぁ、趣味じゃなくて 将来の夢とかやりたい事って何だ?」


と、聞き直してきたので


「自衛隊のヘリのパイロット」


それは即答した。


『民間』とか『一般』のではなく『自衛隊の』と限定したのは私なりに理由がある。


当時、私は自衛隊官舎に住んでいたのだが 当時の自衛隊官舎は今の様な4階建てのアパート作りのところは少なく、ともすれば落語に出てくる様な長屋作りのところが多かった。


まぁ、あたりまえの話だけれども そこで生活する家庭の長は自衛官なのだが、自衛隊にも多種多様な職種の部隊があり 同じ長屋住まいでも、こっちは戦車大隊 あっちは通信群…と いろんな職種のお父さんが入り混じっていたものだが 今考えれば面白いモノで 職種は違えども、やはり皆自衛官である事からか どこかに共通の雰囲気があったのだが、そんな中にあって 一人だけ、とても毛色の違う人がおり 制服の左胸にキラキラした記章がついていて とてもカッコイイ。


その記章はパイロットの資格を持った事を表するウィングマークで そのオジサンがヘリのパイロットなんだと知るのに そんなに時間はかからなかった。


後に私の妹と結婚した義弟も 当時、その自衛隊長屋の一角に住んでおり、私とは同じ中学で野球部で先輩後輩の間


だから、時々 官舎の前の道路でキャッチボールをよくやっていたのだが そんな時、パイロットのオジサンが現れると


「お? いいな、オジサンも混ぜろ」


と、私か義弟のグローブを借りて 一緒になってキャッチボールに興じ、中体連の試合の日には 何故か奥さんと見に来て応援してくれたりもした。


私が高校に進学し野球部に入ったと言うと


「そうか じゃ、中島球場に応援に行ってやるよ」


と言い、実際に何度か本当に とても綺麗な奥さんと一緒に応援に来てくれたりもして 親しくさせて貰ううちに 私も そして義弟もパイロットのオジサンに憧れ、それがヘリのパイロットを夢見る理由の根底だが『自衛隊の』という限定は 当時は今の様に各自治体の消防や警察に航空隊のある所は少なく 救助や急患輸送など、人の為に飛ぶのは自衛隊のヘリならではの仕事だと私は信じていた。


だから、私と義弟は、二人とも誰かを助ける事が出来る「自衛隊のヘリのパイロットになりたい」 それが将来の夢となった。


当時も今も 自衛隊のヘリ隊では「体験搭乗」と称して 駐屯地祭で実際にヘリに載せてくれる催しがあるが、当時は 今と違って自衛隊に入隊希望する若者が少なかったから 高校生にターゲットを絞って 入隊勧誘を込めて「体験搭乗」を催す事も稀にあり、そんな時 私と義弟はパイロットのオジサンに頼み込んで その中に紛れ込み、20分程度だったと思うが ヘリで空の散歩を味わった。


けれども、そんな自衛隊の催しを日教組や北教組は 自衛隊による青少年への組織的誘惑だ…等と騒ぎ立て 自衛隊に入隊する事は社会的に落伍者を意味する…とまで生徒を叱る事が普通で 実際に私や義弟が「防衛大学を受験する」とか「航空学生を受験する」と言う理由で高校の担任に成績表や内申書をくれと申し出ると


「ちゃんと普通の 真面目な大学に行け」


私の担任だった教師はホントに そう言ったものだ。


もっとも、そう言われたと私が私の父に言うと 私の父親は大激怒し、翌日制服姿で高校に乗り込み担任を吊し上げ 書類をくれる約束を取り付けてきてくれたのだが…


言えばキリが無くなるのだが、私が高校生当時 私の周囲に大勢いた自衛隊関係者が 時に偏見の対象の如く扱われる その先兵がマスコミであり、各種労働組合であり、日教組


だから、勉強は好きだったけど組合活動に染まった教師の顔を見るのが苦痛でサボっている… そう言うと、Nさんは笑い


「学生のサボりには サボりなりの理由があるわけだ」


と言って さらに笑った。




                                                   (その2に続く)


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