● おっぱいバレー 感想文(その1)
映画館に行って「おっぱいバレー」を観てきた。
実は、映画を観たのは昨日とか今日の話じゃない。
本当は観たその日に記事を書こうと一度は思ったのだが、書いているうちに いろんな事を述べたくなって収拾がつかなくなり、あらためて 時間をかけて記述しようと思ったわけだが…
出来れば、もう一回映画を再見してから 心を整理して感想記事を記したいと思ってきたが どうも、このところ体調が優れず映画館で再見する事は当分出来そうにない。
なので、いくつかに記事を分けて ひとまず感想を述べてみようと思う。
「綾瀬はるか」が出演している映画は全て見てきた。
「ザ・マジックアワー」「ICHI」「僕の彼女はサイボーグ」 そして「ハッピーフライト」…
作品の内容や出来の如何はさておき 女優「綾瀬はるか」の個として個人的に考えるに この「おっぱいバレー」の「綾瀬はるか」が 今までの彼女の出演作の中で私には一番素敵な女優に映った。
30年以上前、つまり この映画の設定と同じで私自身が中学生だった頃、こんな美香子先生みたいな女教師が転任してきたら… 間違い無く、当時の言葉で言えば「マドンナ」的存在となるだろう
元々、他の作品などで見せた彼女のポニー・テール姿が素敵なのは言うまでも無いが、この作品で見せたツイン・テールは 新たな衝撃さえ伴う… と、ヲタ的表現はともかくとして 生徒達に夢を抱かせる「おっぱい」は ただでかけりゃ良いってモンじゃ無い。
叶なんとかとか藤原なんとかみたいな人造的なでかさは論外だし、セクシーさを売り物にした様なタレントとは全く異質な清楚さが伴う事によって説得力は増大する。
ま、判りやすく言えば こんなおっぱいだったら中学生は夢を見るだろう…って意味でだ。
出演シーンは多くは無いが 不良な先輩役の「石田卓也」は実に良い味を出しており、
「いたなぁ… こんなヤツ」
と、懐かしくすらある。
回想シーンで台詞は全く無かったが「大後寿々花」の表情だけの演技も とても秀逸だったおかげで 主人公である先生の内面を巧く補完していたと思う。
結論から先に言えば この映画「おっぱいバレー」は素晴らしい傑作だと私は思っている。
もちろん、私とは全く別の感想を抱いた方も少なくないだろうけど それについていちいち議論する気は無い。
思うに、この映画を傑作とまで感じるには いくつかの条件が必要なんだろうと私には思えるわけで、その条件が欠ければ 私とは全く別の感想に至っても何の不思議も感じない。
例えば時代設定が1979年であり、その頃のヒット曲が挿入歌となっている事。
・夢中さ君に
・永井龍雲 道標ない旅
・矢沢永吉 ウイスキー・コーク
いわゆる1970年代終盤、これらの曲がラジオから流れる中で過ごした日々の思い出は ちょうど、その頃 学生から社会人へと変わった多感な時期でもあり 何とも言えない郷愁がある。
これに関して言えば たぶん40代以上の方なら御理解頂ける事と思うし、20代以下がどんなに背伸びをしても理解する事は出来ないだろう。
つまり、ノスタルジィを帯びるか否かで この映画に関する感想や評価が違って不思議では無い。
極論すれば ノスタルジィが醸されなければ ただのベタ映画に映っても不思議じゃないと思う…という事。
それと、教師 特に恩師という部分に関しての説得力を どう捉えるか?と言う部分も感想を左右する重要な要素となるだろう。
率直に言って、私には小中高を通して 思い出すとハラワタが煮えくり返るクソ教師は何人も記憶にあるが いわゆる恩師という存在は一人もいない。
だからかもしれないが、この映画の主人公である美香子先生の様な存在がいたならば 間違い無く恩師と仰ぐだろうし、美香子先生が恩師と仰ぐ先生も同様である。
残念ながらそんな先生と巡り会う機会に恵まれなかった私は ある意味、運が悪かっただけかもしれないし 実際に立派な先生、人生に大きな影響を及ぼした先生と巡り会えた方も沢山おられるのは知っているからね
たかが「11PM」程度の内容の番組がエロで子供が見ちゃいけない番組とされていたのも 今の感覚からすれば不思議な事に映るのかもしれないが 時にはそんな時代の方が良かった…と思う事もある。
ちょっとした事を大問題だと騒ぎ、職員会議で議論されていたのも記憶に新しい。
例えば、映画を見終えた後 ふと思ったのだが…
私の子供が中学生で その子供が通う中学校で
「女教師が顧問の部活の生徒に 試合に勝ったらおっぱいを見せる約束をした」
という出来事が生じたら 学校に乗り込んでいって問題だと騒ぐ親は沢山いるんだろうし、PTAと教師の対話集会なんて発展するのかもしれない
が、私はPTAの一人として もし、それに関して意見を求められたら その女教師を間違い無く擁護する。
仲村トオルが演じた父親の意見は 全くもって正しいと私も思う。
中学生ぐらいの歳の小僧には 動機が不純か否か?なんてのは問題では無く、何かに頑張ろうとしているのか否か?の方がはるかに重要で尊重すべき事だと思うからだ。
「今度の試験で 良い成績だったら お小遣いをあげる」
とか、
「@@高校に合格したら @@を買ってあげる」
…って感じで 鼻先にニンジンをぶら下げることぐらい どこの親だってしている事。
「試合に勝ったらおっぱいを見せる」というニンジンだって 似た様な立派なニンジンだと思う。
と、述べれば 識者ぶった人から
「じゃぁ、もし 試合に勝ったら女教師が本当におっぱいを見せていいのか?」
「見せなかったら 子供がショックで失望するんじゃないのか?」
「性を簡単に考えたり扱ってはいけない」
そんな声が聞こえる様な気がするが 当時はキャバレーのホステス以上に キラキラに装飾品を身につけていたり ウーマンリブなんて声高に叫ぶ女教師や 生徒達がミニ・テストと格闘している間 教壇の横の椅子にどっかと腰を下ろしてタバコを吸っている女教師が実際にいた事を考えると オッパイを見せる約束をしたとかしないとかよりも 教師の存在意義等の方に大きな矛盾があると子供達は思っていた事を思い出すべきだ。
たかが数十年とはいえ 時代感の違いや隔世の感が明白にある中で この「おっぱいバレー」という映画の中の世界に そんなノスタルジィを抱くには20代以下の年齢には難しいだろう… そう思う。
で、あらためて思うに…
いつの間にか「おっぱい」という言葉は死語に近いレベルに至っていたんだな… 同じ様に「ボイン」とか「グラマー」ってのもそう
産まれて間もない赤ちゃんに「あ、そろそろオッパイあげなきゃ」と 若いお母さんが普通に平気で言うのが自然に映っていた時代も遠い昔になっていたんだな。
だから、原作も含めて 作品のタイトルに「おっぱい」とデカデカと用いた真の意味より 下ネタ系の想像を大きく膨らませてしまった感は否めないが、問題は 番宣でインタビューする側が その真の意味をまったく解せずにエロい意味での「おっぱい」にばかり執着していたのが残念でならない。
