● ランボー
先日、TVで放送されていたもので映画「ランボー」を久しぶりに観た。
映画「ランボー」を見た人は結構多いと思う。
その上で、傑作か否かの評価はさておき 感想が「面白かった」か「つまらない」のどっち?と尋ねられた時、「面白かった映画」と応える人の方が多い。
で、映画「ランボー」が「面白い」と応える方に 試しに
問い1
「ランボー」という映画の 最も面白い点って何?
問い2
「ランボー」という映画のジャンルって何?
…という二つの質問を問うてみたいと思う。
それと、もうひとつ どうでも良い事なのだがアナタが近所のレンタル屋に赴いた時 この映画「ランボー」のDVDやビデオが どのジャンルの棚に並んでいるのかを確認してみて欲しい。
さて、なにゆえ 二つの問いと 一つの調査を先に述べたかというと ブタネコの独断的個人感で述べれば この「ランボー」こそ、作者の意図とは違う受け止め方(誤解)をされている興味深い作品は無い…という事を 今回は主張してみようと思うのだ。
よく「ランボー」の感想に
「スタローンが扮するランボーのずば抜けた身体能力、
特殊部隊のエキスパートの動きや思考が凄いアクション映画」
という様な内容を耳目にする事がある
たしかに「ランボー2」とか「ランボー3」は ストーリーよりもアクション重視の内容であり、出来なのだが、それだからといって第1作の「ランボー」は 実は「アクション」よりも「ヒューマンドラマ」という色彩が強い事に気づくべきだと指摘しておきたい。
で、まず注目すべき点は この映画の題名である。
第一作の題名「ランボー」は邦題であって 原題は

「FIRST BLOOD」
これって直訳すると「最初の血」で 日本の学校教育の英語レベルでは意味がピンと来ない。
で、DVDの日本語吹き替え もしくは日本語字幕だけを頼りにこの映画を観ていたのでは気づきにくいと思うのだが、原文で台詞を味わっていると「FIRST BLOOD」という言葉が台詞として登場する場面がある。
それが


山狩りをくぐり抜けて洞窟に身を潜めるランボーと トラウトマン大佐が無線で交信するやりとりのシーン





この「向こうが先に仕掛けた」と字幕のある部分

DVDの英語字幕付き画像で どう台詞を言っているかというと「They drew first blood,not me」
この場合の訳としては「流血を招く」とか「先制する」
つまり、「先制してきた(先に手を出した)のは彼ら(保安官)の方で 俺じゃない」となる。
要するにランボーは 元々、攻撃する気は全く無かったのだが、
「先に仕掛けてきたから反撃しただけなんだ」
と、主張しているのだ。
で、私が今回 何を言いたいかというと…
「ランボー」という映画の前に制作された戦争関連の映画に全く無かったわけでは無いが、あの戦争大好き国家であるアメリカという国の内情に関し、戦場で戦った兵士達の視点での主張を生々しく しかも明確に映画の中の台詞で表したのが この「ランボー」だったと私は感じている…という事。
つまり、ベトナム戦争において事前の想定以上に長引いて泥沼化し アメリカ本国では反戦気分が高まり 事実上の「敗戦」として本国に戻った帰還兵達を 安全な本国でぬくぬくと生活していた人々の多くが 温かく迎え入れてくれるどころか ある種の厄介者として扱い 戦場とは違う心の傷まで本国で味合わされた帰還兵達の心の叫びが この「ランボー」の台詞の中に込められているのである。
多くの観客は ランボーが警察署から脱出し、山中を逃げ 追っ手である保安官や州兵達を卓抜としたテクニックで無力化していくアクションに魅入る。
けどね、この映画の根本は 戦場では英雄とも言われる技量の持ち主でありながら、戦争が終わって戻った本国ではスクラップ同様の扱いしかして貰えなかった…


しかも、身なりが汚いとか 帰還兵には精神的におかしくなってしまった者が多いという偏見的理由から 町に入る事を保安官に許して貰えず、理由もなく逮捕・拘留・暴行…となれば ランボーが怒るのも無理は無い。
ゆえに、「ランボー」で観客が観るべきところ 感じ、考える部分というのはアクションシーンなんかじゃ無い。
ラストのランボーが泣きながらトラウトマン大佐に心情を吐露する その台詞にこそ この映画の本質がある。








































なんでランボーが暴れなければならなかったのか?
その部分を ちゃんと理解出来れば「アクションシーンが最高」なんて脳天気な感想を言えないんじゃないの?… と、私は個人的に感じている。
ちょっと余計な事を言えば…
太平洋戦争後の日本において 戦争=悪という思考の変化に伴い 軍隊=悪 従軍兵=悪と連鎖し 語る事すらタブーとされ、戦没者慰霊ですら国家としてきちんとされる機会は殆ど無い。
ベトナム帰還兵に対して その時代、アメリカの世相風潮が冷たかったのは歴然とした事実ではあるが、それでもアメリカは戦没者慰霊碑や従軍兵の墓地は国家が守り 現役の軍人だけではなく、退役軍人にも国民は相応の敬意を表している。
軍人に対しての敬意を義務づけろ…なんて主張を私はする気は無いが、せめて戦没者に対しての慰霊はきちんとしようよ…というのが私の かねてよりの主張で であるがゆえに、このランボーのラストシーンの台詞には 毎回、見る度に泣かされてしまう。
意味合いは違うと言われる方も多いだろうけど 敢えて私が言いたいのは、ランボーが泣き叫んだ様な内容って 太平洋戦争時に従軍した我が国の先人達の多くが同様に思い、感じた事なんじゃないのか?と 私は愚考する。
それに対して 当時は「生きるのに必死だった」とか「国を再建するのが先決だった」として放ったらかしにせざるを得なかったのは 致し方のない事だったとも思うのだが、戦後60年以上が過ぎ、ともすれば後世の我々までもが「慰霊」の気持ちすら持たずにいるのは如何なものかと あらためて考えさせられてしまう。
