● 2008年春の旅(鹿児島編 その3 鹿屋史料館)
海上自衛隊鹿屋航空基地には その施設内に史料館がある。
ここの史料館は基本的には海上自衛隊の史料館という体裁で 率直に言えば10年位前までは とても閉鎖的な施設で 一般見学者に対して「気楽にどうぞ」という施設では無かったが、ここには「知る人ぞ知る」資料が展示されている事で有名な史料館だった。
最近では いろんな意識改革がなされたのか、とても開放的な施設になり しかも、日本国内でも希有な史料館として その姿を変えた。
上の画は史料館の本館で それを取り囲む様に
かつて、海上自衛隊の第一線で活躍した航空機が そのまま展示されている。
なかでも目を惹くのは
対潜哨戒機「P-2J」や
救難飛行艇「US-1A」なのだが…
今回、この地を訪ねて
第二次大戦時の名機「二式大艇」が ようやく安住の地を得た様に展示されている姿を見て目頭が熱くなった。
飛行艇の製造技術に関して 第二次大戦中、日本は世界最高の技術を誇り その結晶が「二式大抵」であり、今でも「US-1A」や「US-2」へと引き継がれている。
個人的に かねがね不思議に思うのは飛行場建設といった大々的な工事や予算を必要としない飛行艇という存在は離島の多い日本の国土において 物資や人員の輸送に もっと積極的に飛行艇を利用しても良いと思うのだが、軍事アレルギーが蔓延っていた風潮の中で 飛行艇そのものが「軍事技術」と偏見をかけられたのではないか?と思えるぐらい口の端にも上らない事である。
さて、この鹿屋航空基地史料館が「知る人ぞ知る」と呼ばれる所以の もうひとつは、第二次大戦時に日本軍が行った「特攻」 陸軍のそのメッカが「知覧」だとすれば、海軍のメッカが この「鹿屋」で ゆえに、ここには海軍の特攻隊の資料が多数展示されている。
館内は上の画の零戦だけを除いて撮影禁止のため 画像で紹介出来ないのが残念だが、参加隊員達の遺影や遺書などは知覧の平和記念館と遜色無い。
つまり、特攻隊の資料を見学に鹿児島に行き 知覧だけを訪れるのは ある意味、片手落ちとも言えるのだが、知覧と鹿屋では決定的に違う大きな要因がある。
それは、「慰霊」という部分。
鹿屋は海上自衛隊の施設として運営されてきた経緯があるため 過去の情勢ではどうしても「慰霊」という部分を全面に出せなかったのに対し、知覧は民間の側から そもそも「慰霊」を目的として建設された施設であるから そこに大きな違いがあるのはやむを得ない。
しかしながら、私の個人的意見を言えば「慰霊」無くして 何のための展示か?という気持ちが強く もちろん、鹿屋の史料館関係者の方々に慰霊の意が無いとは間違っても思っていない。
ただ、「自衛隊」や「旧軍」、そして「戦争」と聞くと イデオロギーの論争ばかりに夢中になるアホが多く その為に、ずっと日陰者扱いだった自衛隊関係者が「特攻隊慰霊」を前面に出しづらかった結果である事は理解出来る。
しかしながら、昨今の情勢と 史料館の資料としての意味合いを考えた場合、もっと、堂々と慰霊の意を前面に出して欲しいと願うばかりである。
余談かもしれないが…
上の画は 海上自衛隊鹿屋基地の外柵沿いに立ち並ぶ桜並木である。
この桜並木を どう見ても80歳前後と覚しき老人達(少なくてもこの時は5人)が それぞれ別個に桜の木をシャキッとした姿勢で微動だにせず見上げていた。
中には 足下が覚束なくなってしまった御主人と それを介添えする奥さんという老夫婦がおられ その御主人は桜の木を一本ずつ撫でる様に慈しんでいるような光景が そこにあった。
風体や雰囲気から その老人達は、近所に住む老人ではなく、私と同じ旅行者である事は間違い無く、ゆえに 以下は、私の勝手な想像であるが…
この老人達は きっと、大戦時に従軍され 鹿屋に特別な思いがある方々なのだろうと思う。
「同期の桜」という軍歌もあるように 旧軍にとって桜はいろんな意味のこもった木であり、花である。
桜の季節に わざわざ、鹿屋まで足を運んで 長い時間、桜の樹を見上げる… そこには いろんな理由や想いがある事は容易に想像がつく。
で、私は その「理由や想い」には 間違い無く誰かに対しての「慰霊」の意があるんだと思うのね
だからこそ、私は「戦争反対」だの「戦争賛美」だのと論じ合う以前に きちんと「慰霊」という意味を考え直せ…と言いたいのだ。















