● 雑感(3月24日)
3月24日を迎えて 思った事を述べてみる。
先日、「雑感(3月21日)」という記事を掲示したところ いろんな方からメールや非公開コメントを頂戴した。
まぁ、各者各様のメッセージを頂戴したわけだけど…
この「ブタネコのトラウマ」というブログを ごく最近、初めて訪れて下さった方が見ると 俳優やドラマや映画を好き勝手に語っているブログに見える。
もちろんそれは間違いでは無いし、それを否定をする気なんてサラサラ無い。
しかしながら、そういう視点で眺められると「綾瀬はるか」という存在は 数多いる女優の1人、TV版の「世界の中心で、愛をさけぶ」は 数多あるドラマのひとつという風に埋没してしまうのであろう
で、先日の記事の中で
「綾瀬はるか」という女優さんだけは やはり、他の女優さんとは別格、一挙手一投足、表情や仕草や、そして彼女の声は 私にとって まさに別格の存在なんだ…
と述べたところ 他の女優さんのファンの方から「~の方が女優として格上」とか「演技力の乏しさを見抜けないブタネコの目は節穴か」等と 暖かい御言葉を頂戴した。^^;
まぁ、単純に女優として白紙の状態で眺めれば 「綾瀬はるか」も女優としてまだまだ未熟な点はあると思う。
しかしながら、私が彼女を「別格」と扱うのは 女優としての演技力云々で言うのでは無い。
彼女がTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」の中で 亜紀という女の子を演じた姿の中に私は かつての同級生「亡き友」の姿を何度も見たし感じたからだ。
通常であれば、これは私だけの個人的な経験であり感覚なのだが…
中学や高校からの付き合いで「亡き友」を知る「二代目開業医」や「某国立大学教授」達も感覚は私と同じ
夕張の駅前を歩く「綾瀬はるか」を眺めながら「はるかちゃ~ん」と駆け寄るわけでも声を張り上げてかけるわけでも無く、それぞれが ただ、黙って彼女が歩く姿を見つめるだけ…
彼女の姿が見えなくなっても ややしばらくは無言のまま、せいぜいペットボトルの飲み物を口にするか、黙ったままタバコを取り出して吸う…
「余韻を愉しんでいる」と言えば否定は出来ないが、正直に言えば 彼女がにこやかな笑顔で周囲の人に会釈しながら歩く姿に 私は「亡き友」を投影して眺めてしまっていた。
「綾瀬はるか」と「亡き友」の容姿なんか全く似たところは無い。
なのに、「綾瀬はるか」が「亡き友」に見えるのはTV版の「世界の中心で、愛をさけぶ」で彼女が演じた亜紀の ドラマの中での演技が私達の記憶に焼き付いている「亡き友」の在りし日の姿をまざまざと想起させたから、それが今でも後遺症の様につづいているんだろうね。^^
アジサイの丘で「綺麗でしょ…」と愉しそうに語る姿、百瀬駅へと線路の上を歩いている時の朗らかな姿、ウルルに行くんだと駅の階段を手摺りにしがみつきながら上った姿…、それらが全て 在りしの「亡き友」を想起させられたからなのだ。
日頃は傲慢で、自分中心に物事を考え、周囲にワガママばかりを押しつけているオッサン達が 初心というか童心に戻って我が身を振り返らせる… そんな魔力が「綾瀬はるか」にはある。
夕張駅前を歩く「綾瀬はるか」を眺めながら それぞれがかつての「亡き友」を想いながら 遠い昔の日々を思い出し、それは心を洗われる様で…
誰が言うともなしに「まさに、彼岸だな」と呟き 皆がコクンと頷く。
単純に「ファンで~す」と言うのとは全然違う。
でも、「そんな見方で良いのか?」と問われれば返す言葉が無いけれど、「俺の勝手だバカヤロウ」と自分を曲げるつもりも無い。
変な話だとは思うけどね、我々の態度は女優「綾瀬はるか」に対する「憧れ」じゃ無い、敢えて言葉で表すなら「感謝」なのだ。
「亡き友を思い出させてくれてありがとう」
「童心を思い出させてくれてありがとう」
「日頃の汚れを拭いさってくれてありがとう」
そんないろんな「ありがとう」という「感謝」の想い、「感謝」の眼差しなのである。
でね、普通、どんな俳優にもファンがおり、中には「ヲタ」と呼ばれる濃いファンがいる。
で、大抵の場合「ヲタ」レベルの者を他者が見ると その思考や志向に ある種の異常さを感じたりする。^^;
ハッキリ言えば「偏執狂」とか「独占欲」とか「蒐集癖」とか… 誰にでも心の隅には巣くっているそんな気持ちが 特定の俳優に向けらる。
でもね、「綾瀬はるか」を慕う「ヲタ」の中には 分類上は「ヲタ」でも、他の俳優で見られる「ヲタ」とは毛色の違う「ヲタ」がおり、それが私や私の学生時代からの友人が「感謝」であるのと同じ様な見方で「綾瀬はるか」を慕う「ヲタ」がいる。
そこが理解出来ない人には どんなに説明しても無駄だから、これ以上は語らないが、そんな想いが有る以上、「綾瀬はるか」は別格なの。
なので、今日が「綾瀬はるか」の誕生日であるがゆえに 感謝を込めて述べた次第だ。


