● 市川版:犬神家の一族 再考
おどろおどろしい連続殺人事件の映画を観て 爆泣きする私だった。(ToT)
何故、爆泣きなのかは 過去に何度か述べたので 今更、同じ事を語る気は無い。
市川崑監督の訃報に接し、喪に服す意味でも 市川版横溝映画を観よう…
そう思ったのが、今回のキッカケなのだが…
市川崑という監督が そもそも巨匠と呼ばれる由縁は横溝映画にあるのでは無く その他の沢山の作品によるものだとは 私だって知っており、個人的に記憶に残る作品を2本挙げれば 私は「古都」と「幸福」を挙げるだろう。
が、率直に言って 私にとっての市川崑は 金田一耕助を初めてあるべき姿で映像化してくれた大恩人であり、それだけで終生 足を向けて寝れない存在なのである。
黒澤明が死んでも何とも思わなかった私だが、映画監督の訃報を聞いて ショックに感じたのは「深作欣二」と そして「市川崑」だけだ。


タイトルの後に続く 石坂金田一の歩いてくるシーン その前のテーマソングの音色の余韻と相俟って泣ける。
さらに直後の 横溝正史先生御本人の在りし日のお姿を拝見し さらに涙は流れる。
この映画は もう、私の中ではかけがえのない一本なんだな。(ToT)
一昨年、この「犬神家の一族」がリメイクされ


それについて、今まで このブログ内で色々と語った私ではあるが、今回 市川崑監督の訃報に接し、今まで語った事とは一部、大きく矛盾する発言を以下に述べると思うが、どうか笑って御看過願いたい。
一部の報道によると、2006年版の撮影時、当初は2ヶ月間で予定されていた撮影期間だったが 市川崑監督が体調を崩し1ヶ月近く入院 その為、撮影が延びて3ヶ月間になったが、出演者の殆どが高齢な監督に配慮して好意的に対応した…という逸話を耳にした。
基本的にマスコミを信用していない私なので「この報道が事実だったら」という前提付けで申し上げるわけだが、その報道を耳にして思った事は
「本当に 市川崑監督は このリメイクを望んでいたのかな?
もっと、別な 撮りたい作品があったんじゃないのかな?」
と、ふと思うと同時に そんな状況で仕上げた2006年版であれば、漠然と納得のいかない何かが いくつもあっても仕方が無い、むしろ「市川監督お疲れ様でした」と労うべきだと 私は考えが変わったのだ。
本来、プロの仕事というモノは プロであると本人がでは無く、第三者が認めてこそのモノだと思う。
下世話な言い方をすれば 依頼者が支払う報酬を納得し、満足して支払うべき仕事をしてこそプロだと思う。
ところが、昨今は その「プロ」という価値が崩れてしまっていて
「俺、プロの物書きなんだ」
と、自称すれば 何処でも誰でも即席プロが誕生してしまったり、ちょっと人気が出ただけで「プロ」と簡単に讃えてしまうメディアにつられてしまったり…
ゆえに、本来の「プロ」という意味においては2006年版の出来は如何なモノか?と思う部分が少なからずある私なのだが、これが「最後の作品」となってしまうと 責める事より、察して黙す方を選びたい。
というのは、以前から 私は2006年版の「松子」を演じた「富司純子」をミスキャストだと言い続けてきたのだが…
今回、76年版と06年版を続けて観て ようやく、一番の違いを感じる部分を発見し 自分なりに納得したシーンが
【76年版 高峰三枝子】

【06年版 富司純子】

上の二つの画像は 金田一耕助から「犯人は あなたですね」と言われた直後のカット
この「笑み」の違い。
「優しさ」「美しさ」「上品さ」 それらはどちらの笑みにもある。
けど、高峰の笑みには有って 富司の笑みには無いエッセンス それが「意地悪さ」だと私は感じる。
では、「意地悪さ」は重要なファクターなのか?
そう、とても重要なのである。
だって、かつて青沼静馬が生まれた事で 母親の青沼菊乃共々追い出した女なのだから。
ただね、これに気づいた時 やはり、ふと思った事は 今、数多居る女優陣の中で年代的に かつ、風格的に この「犬神松子」を演じる事が出来る女優っているのかな?と。
結論から先に言うと どうしても私には思い当たる女優がいないんだな。^^;
「竹子」や「梅子」を演じた松坂慶子や萬田久子は年代的には悪くないが 風格、貫禄は全く足りない。
他にも数人 候補は思い浮かぶが、松坂や万田以上に物足りない。
そうなんだよ、「松子」が出来る女優がいないんだ… そう気づくと「富司純子」で我慢してやるしか無いのだ。
そういう帰結に至った時、私は76年版と06年版を比較してどうこう言う事は意味が無いのだとも思い始めたのだ。
で、どうでも良い事をひとつ付け加えておくと…
上の「笑み」のシーンの直前 高峰:松子と富司:松子は どちらもキセルに刻み煙草を詰める仕草があるが、もしも 興味のある方は そのシーンも見比べると良い。
富司の詰め方だとタバコの収まりが悪くて 火は点き難いし、下手すると簡単に火玉がポロッと落ちて着物や畳を焦がしてしまう
それに対して、高峰の仕草は キセルで吸い慣れた人の詰め方に多く見られる仕草で説得力が全く違う。
というわけで、ブタネコ的結論としては もし、この先 何年か、さもなくば何十年か後に「犬神家の一族」を映画、もしくはドラマ化しようと意図する者がいるならば 少なくても「高峰三枝子」に準ずるか超える「松子」と「石坂浩二」に準ずるか超える「金田一耕助」を演じられる俳優が現れない限り 少なくとも、最低限、その二つの条件をクリアしていなければ、どうやっても この76年版市川作品を超えられないから違う企画に変えた方が良い…って事だ。
