● 白い巨塔 考(その3)
今回は 東教授に関して考えてみる。


唐沢版の「石坂浩二」と田宮版の「中村伸郎」
どちらも役者として甲乙つけがたく大好きだ。
ゆえに、この両者のキャスティングに不満は無いし、両者それぞれ好演もしている。
が、例えば
「白い巨塔は 田宮版が唐沢版より良かったねぇ」
逆に
「唐沢版の方が 現代感があって判りやすかった」
等と 白い巨塔の田宮版と唐沢版を比較して語る人が多い中、その比較対象の論点に東教授が挙げられないのが私には不思議でならない。
というのは、役者云々じゃないの 役の設定が問題、私はそう思っているからだ。
ちょっと、落ち着いて考えてみよう。
そもそも「白い巨塔」の物語って何?って事を。
東教授が定年退官にあたり、助教授である財前に すんなりと後を委ねれば何の問題も無かったんじゃないの?
それを、財前に後を譲らず 他大学の菊川教授の招聘に動いたから、対立構造へと至ったわけで…
では、何で 東は財前に譲らなかった(譲りたくなかった)のであろう?
一般的には 財前の技量が東を凌ぎ、それに対して東が嫉妬したから…という点と、財前の人間性にアクの強さを描く事で それを嫌う東の心理を正当化させる演出が相俟って描かれているわけだが…
ここで、大事な事がひとつあるのに、比較して語る方々の多くが何故か触れない要素がある。
それは、浪速大学医学部の新館増築工事というエピソードである。
東は 元々、浪速大学の生え抜きではなく、東都大学からの外様として苦労を重ねた経緯がある。
そんな東が自らの母校でもない浪速大学の新館建築の為に東奔西走したのは 人一倍プライドが高く、新館建築 最新の医療設備導入というのは自分の城、つまり自分の権威を高める事であり、その結果だ。
ところが、ようやく建設工事が始まったけれど、落成した新館に東が在任出来る期間はごく僅か。
しかも、定年退官の日が近づくにつれて その教授の座の愛おしさが増す心情は とても重要だと思うのね。
自分が築き上げた城を誰かに譲らねばならないとなった時、譲ろうとする相手に対して雑念が混じり そこに嫉妬が加われば… だからこそ、東教授は財前を排除しようとしたという部分をを念頭におくか否かで全体像が変わってしまう。
違う言い方をすれば、そういう東の心情をボカしてしまうと 単に財前が東に嫌われるだけの悪者というイメージだけが強くなってしまう…という事だ。
で、この部分を念頭において 原作、田宮版、唐沢版を眺めると、原作と田宮版ではキチン描かれているのだが、唐沢版ではアレンジされている。




上の画は田宮版の第3話だが この様に工事の模様や それを眺める財前や東の描写は毎回散りばめられている。


唐沢版では物語が始まった時点で新館建設は既に終了しており、それに関しての東の感慨は特に触れられておらず、物語の後半で上の画の様に「高度がん医療センター」なるものの建築エピソードが原作や田宮版における学術会議選挙のエピソードと置き換えられているに過ぎない。
だから… なんだろうけど、田宮版には独特の拘りとも言える象徴的な演出がある。
それは、各話の冒頭で



上の画は「東教授の総回診です」というアナウンスで始まるシーン
これが、財前が教授になったと同時に



「財前教授の総回診です」とアナウンスされて映る画面は 新築なった病棟の風景に変わる。
もっと細かい事を言えば

東教授時代の教授室の電話は黒のダイヤル式だが…

財前教授の電話はプッシュホンに変わっている… なんて配慮まである。^^
まぁ、電話機の話はともかくとして 私の言いたい事は「何故、東は後任教授に財前を指名しなかったのか?」という重要な要素を蔑ろにして 田宮版が良いとか、唐沢版が良いとか比較する感想は論外だと言いたいだけなのだ。
要するに、唐沢版では根本的な要素を忘れた描写にも係わらず、それが崩壊しなかったのは 全ての面において東を演じた「石坂浩二」の演技の凄さに寄る所が大きいという事。

「ニヤリ」とする笑顔だけでも いくつもに笑い分けられる演技力には只々敬服するばかりだ。
が、結局 それらに惑わされて、財前の人間性を ともすれば誤解させてしまうような演出の唐沢版を 私は駄作とまでは言わないが、褒める事は出来ないと思っている。
だってね…
唐沢版の様に東の内面、「何故、財前を後継指名しなかったのか?」の肉付けが欠けていると 財前が最後の局面で自分の手術を東に望む意味が違ってしまいかねないでしょ?
ブタネコ流の解釈で申し上げれば 財前は東に対して最後まで「恩師」という畏敬の念を忘れておらず、それに気づいた東は…って部分が 唐沢版には欠けているからだ。
