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2008年02月04日

● ある方からの手紙


TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」に関して 私はいろんな事を記事で述べてきたが…




TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」が 傑作、秀作、名作…と呼ばれる由縁は ドラマそのもののストーリーがどうこうでは無く、ドラマで描かれた場面や台詞から 視聴者が自分の身の上に置き換えて 心のいろんなところをグサグサと刺され、掻き回されるところにある。


で、心がグジャグジャになったまま ネットの世界を彷徨い、この「ブタネコのトラウマ」に辿り着き、私の友人や嫁、そして「亡き友」や親父さんの事を書いた記事で また掻き回され… まったくもって御愁傷様な話である。


まぁ、私としては 私の記した記事を楽しんで頂けた…と思えば「そりゃ良かった」と思うばかりなのだが、別に 今始まった事では無いけれど、時々 あまりにも真剣に、そして あまりにも見当違いな方向で私の記事を読みメールを下さる方がおられる。


今回は そんな方から頂戴したメールを参考例に「何処が見当違い」なのかを広く申し上げたいと思う。


で、もちろん 私もメール(私信)の取り扱いに関しては それなりに知っているつもりなので、発信者が特定される様な部分に関しては 勝手ながら修正・削除をさせていただくので 以下に引用するメール本文は架空のモノだと御理解願いたい。


【引用1】

ブタネコさん、お久しぶりです。

以前、………さんにご紹介頂きましたAです。先月初旬に………さんからTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」を見るよう薦められ、再びご挨拶申し上げようと思い、今回ご連絡させて頂きました。


ただ、その前に一つブタネコさんに謝罪させて頂きたい事があります。………さんからTV版を薦められた際、ブタネコさんのセカチュー関連のブログ記事は読んでいたものの、映画版は過去に見た事がありストーリー自体も覚えていたので、TV版は空いた時間を見つけて少しずつみようという思いが自分の中にあり、TV版を見る事よりも目の前の学業・仕事を優先してしまいました。そして、先月末頃に時間が空き、TV版を2周見た後に、再度ブタネコさんのセカチュー関連のブログ記事に目を通すと、なぜブタネコさんがTV版にこれほどまで想いがあるのかがようやく理解できた所存であります。

【引用2に続く】


簡単に説明しておくと「………さん」と名前を伏せさせて頂いた人物は ずいぶん前からの私のネット上での友人で この方は友人ではあるけれど、このブログに殆どコメントを寄せて下さった事は無く、なので、例えば「………さん」が このブログのリンク先サイトの管理人の誰か…とか、よくコメントを下さっている方の誰か…では絶対に無いので誤解されない様に。^^;


昨年のいつ頃だったか忘れたが、「………さん」と電話で喋った際に 今回、メールを下さったAさんという人が、このブログを愛読して下さっている…という事を聞いており、自分で言うのもナンだが、Aさんから感想メールを頂戴した経緯がある。


で、昨年の末頃、この「………さん」という人物が実はTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」を 今まで一度も見ていなかった事が発覚し、激怒した私が「セカチューで泣けない奴は ウチのブログに二度と来んな!!!」と電話で怒鳴りつけ 慌ててレンタルして見た「………さん」という人物は 瞬間的に壊れ果て、DVD-BOXを購入してプレイ&リバースの日々を過ごし、私に電話で「僕は 本当に間違ってました」と泣きながら懺悔、
今では周囲の知人に「セカチューで泣けない奴は 友達じゃ無ぇ!!!」を口癖にしているらしい。^^;


そんな「………さん」に 私は

「そう言えば、前に話していたAさんは セカチュー(TV版)を見たのかね?

 貰ったメールの文面を思えば Aさんの様な人こそセカチュー(TV版)なんだけどなぁ」

と、私が呟いた… それが今回のメールに至るのであろう


【引用2】

ブタネコさんがご経験されてきた高校時代の亡きご友人との事、そのご家族並びに周囲のご友人の方々の当時の心境が、このTV版を見て改めて感じる所があり、この作品を深く愛されてるという事に気づけず、本来でしたらもっと早い段階でお返事を出すべきところが、ブタネコさんのTV版への深い想いも知らずに、このような形で自分の中で優先順位を履き違えてしまった事に私の了見の狭さを感じ、この場をお借りして、深くお詫び申し上げます。

【引用3に続く】


はい、この【引用2】のあたりから「見当違い」が始まっているのがお判りであろうか?^^;


「自分の中で優先順位を履き違えてしまった」


良いんじゃないの? 自分は自分なんだから^^


ただ、御理解頂き嬉しいのは


私(ブタネコ)はTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」を見て壊れたから

このブログの記事の中で私の友人や嫁、そして「亡き友」や親父さんの事を書いたし、

喫茶「職安」の話も そもそもはその流れで書き始めた事なんだ


…って事。


だから、貴方がTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」を見たか否かで 私のそれらの記事のニュアンスも けっこう違って映るはずなのだ。


例えば、ある小説があって その小説のストーリーではボブ・ディランの「風に吹かれて」という曲が流れていたとしよう。


その場合、「風に吹かれて」がどんな曲か知っているのと知らないでいるのとでは その小説のニュアンスが全然違うと思わないかい?


【引用3】

今回ブタネコさんにご挨拶のメールをさせて頂いている中で、TV版を見ての感想を申し上げようと思っておりましたが、これらの感想を述べたところで、私よりも深い視点でご自身の体験を踏まえつつ、一字一句・一挙一動ご覧になられているブタネコさんには勝りません。

 ですので、私自身が、日頃感じている事、並びにこのTV版を見て改めて感じた事に焦点を当ててお話させて頂きます。何卒ご勝手の方お許し下さい。

私は、このTV版を見る以前から、よく考える事がありました。それは、世の中の不公平さについてです。
 
 健全な体で生まれてくる子供たちが多い中で、なぜ障害をもって生まれてくる子供たちもいるのか?
 自ら命を絶ったわけでもなく、人から恨みを買うたわけでもないのに、なぜ無差別に殺害されたり、事故に巻き込まれる人がいるのか?
 今回のTV版で言うなら、なぜ17歳のアキが白血病にかからないといけないのか?
 そして、4:6という数字から、その4割に入り完治する人がいる一方で、なぜアキは4割に入れなかったのか?
 
 これらの話は一部ですが、こういった事を耳にする度に私は世の中公平ではないと感じずにはいられません。ブタネコさんがセカチュー関連のブログ記事でおっしゃられていた白血病の場合、時間を経て苦しみが増してくる、こういう病気は犯罪を犯したものがなるべきだと言う内容に私は同感します。

しかし、現実世界、何の罪も犯してない、むしろ周囲に愛されている人たちがこういった被害を被ってしまう、ではこうなる人とならない人の違いは何なのだろうか?何が違って、こういった人が巻き込まれてしまうのか?という事を考えたりします。

【引用4に続く】


さて、この部分はメールの内容が真剣で真面目な問いかけなので 私も真摯に持論で私なりのレスをしようと思う。


まず「世の中の不公平」に関して言えば 公平か不公平かを量る天秤や 何を指して公平か不公平かを量るのか?によって 話は違ってくると私は思う。


要するに、制度とか 法律とか 福祉とか 人が造ったモノに対して考える「不公平」と 「産まれついた時から」とか「運が良い、悪い」といった 人にはどうしようもない「不公平」を 同じ天秤で量ろうとしても無理だと思うのね


ところが、世の中では 全てをゴチャ混ぜにして同じ天秤で量ろうとし、量りきれないものだから、ある人は「神が与えたもうた試練」とか言って宗教に逃げ込み、ある人は「政治が悪い」と言って制度への不満を口にする。


もっと、身近で現実的な事を例に挙げれば 女の子の場合、「もっと美人に産まれていれば」「もっとオッパイが大きければ」みたいな事に ともすればコンプレックスを抱き、不公平だと不満を抱く。


実際に美人や巨乳をチヤホヤするアホな男が多いから、女の子がそういう事に敏感なのも判らないでも無いけれど、見た目は美形でも心はドブスって女の子が圧倒的に多いのも 私の人生経験上での統計値なわけで、そんなコンプレックスを抱いている女の子に対して申し上げたい事は「見た目ばかりのコンプレックス」よりも大事なのは「心が綺麗か否か」の方だという事。


「美しい女は幸せになれる」 もし、そう考えているのだとしたら それは妄想だ…とも。


結局は価値観の問題にもなるのだが、与えられたモノや範囲で如何に楽しむ事を考えるか?…っていう人生の過ごし方と 「もっと、アレがあったら… こうなってれば…」と不満ばかりを思い抱く人生では 心の満たされ方は全く違うし、満たされなければ綺麗にもならないと私は思うのね。


「もっと、お金があれば」という部分から「家が貧乏か裕福か」ってところに「公平か不公平か」を感じる人も多いらしいが、そこに「公平か不公平か」を追求するのは「人って 何がどうなれば幸せなの?」という価値観の持ち方が違ってるんじゃないの?と 私は感じる事が多い。


例えば、


「もっとお金があれば あのカメラも このカメラも買えるし、

 こんなレンズや、あんなレンズだって手に入る。」


カメラ好きの人には 日頃、そういう風に思う事のある人は少なく無い。


でもね、カメラをどんなに沢山持っていても 人ってせいぜい2台までなんだよね 同時に使えるのは。


レンズだって そのレンズによって特性や癖があり、ひとつのレンズを使いこなすには それなりの訓練や経験や実験が必要なわけで そこが楽しいと思う人であれば1本のレンズだけで かなり永い期間を楽しめるのだが、それをどんなに説明しても「沢山カメラやレンズを持っているのが楽しい」という人には判って貰えない事であろうし、「沢山カメラやレンズを持ちたい」と願う人には 結局は「もっとお金があれば…」なんて話になって 先述した「貧乏か裕福か」が「公平か不公平か」って問題に結びついてしまう。


ゆえに、あくまでも全てを総括的に決めつけるわけでは無いけれども「公平か不公平か」を考える時って 大抵の場合が「何かに不満」、つまり、「~したいけど 出来ない」って時に思い抱く帰結点だったりすると思わないかい?


さて、話を戻すが…


現実世界、何の罪も犯してない、むしろ周囲に愛されている人たちがこういった被害を被ってしまう、ではこうなる人とならない人の違いは何なのだろうか?何が違って、こういった人が巻き込まれてしまうのか?という事を考えたりします。


この問いかけに対する ブタネコ的レスを述べれば…


それが判れば 誰も苦労なんかしない。

それが判れば 哲学も宗教もいらないし、倫理や道徳だって大きく変わってしまうだろう。

それが判らないから 人生は楽しくもあり 辛くもあるんじゃないのかね?


「~すれば、失敗は小さく 逆に成功する可能性は高まります」なんてマニュアルが欲しければ、もしくは そんなマニュアルに従って生きるのが楽しい…のかな?


【引用4】

私は、かねてより世の中の全ての事に偶然は存在しないと思っております。人生を過ごしていく中で出会った人、自分に訪れる出来事、自分の身に降りかかる災難等全て含めて、何か意味があっての事、必然的な事だと考えています。とはいえ、上記に記した事は、全て神が各々に与えた試練なのか?と思うと、ブタネコさんの亡きご友人の方がおっしゃられていたように、そんな試練を与える神は憎むべき対象であると言うセリフは突き刺さってなりません。

そんな、もやもやな思いを以前、私の母に尋ねたときに、その答えがわかったような気がしたのです。母はその時、「前世の存在」を私に語ってくれました。母は江原啓之さんのスピリチュアルのメッセージが個人的に好きで、とある番組で江原啓之さんが出演しているのを拝見し、その時の出来事を一部始終話してくれました。


 母が見ていた番組では、ゲストが江原啓之さんと対談するというシチュエーションでありますが、その時のゲストが元日本ハムファイターズの新庄剛氏で、彼が江原さんに、過去に死の局面に達してもおかしくない事が幾度となくあったのに、奇跡的に傷一つなく助かる場面が多かったという話をしたところ、江原さんが「あなたの人生は守られている、それはあなたの前世は、友人を助けようとして、交通事故に遭い、若くして命を落とした人であるから、今のあなたの人生は守られているのです。」とおっしゃられたという内容でした。


私は特定の宗教を信仰している等はないのですが、なぜか母のこの話を聞いて、今までのもやもやが取り払われた気がしたのです。人は前世から生まれ変わるときに何らかの宿命を持って生まれ変わる。それは前世で達成できなかったものを達成するためであったり、前世では気づけなかったものを学びとるために生まれ変わりながらも、魂は受け継がれているという江原啓之さんの言われるスピリチュアルな考えが何故か私の胸の奥に入ってきたのです。

もしブタネコさんが、「前世」という概念や「江原啓之」という人物が嫌いでしたら、配慮を欠いた内容を書いてしまった事になり、申し訳ありません。


今回TV版を見て、アキが話した、アボリジニの考え方、全てのもの、良い事も悪い事も含め、そこには偶然はなく必ず何らかの意味があるという事に、前世とも少なからず関係しているのではないかと思ったのです。

【引用5に続く】


ゴメン。^^;

正直に、そして率直に言うと頭が痛くなってきた。^^


私は「前世」という概念や「江原啓之」という人物を好きでも嫌いでも無い。


最愛の人を亡くして そこから立ち上がれない人をカウンセリングする…という場合において キッカケとして用いる手法や概念であれば良いんじゃないの?…という程度の感覚だ。


もっと、直言をするならば 私や友人達が「亡き友」から教わった事とは 苦しい時、辛い時に他人や宗教に頼ったり、逃げたり、責任転嫁するな…って事であり、それらの苦痛も丸ごとひっくるめて楽しめ…だと思ってます。


で、スピリチュアルな考え方と 「亡き友」の教えは似ている様で決定的に違う点がありまして、それはスピリチュアルの場合「自分の前世」ってモノに対して「運・不運」などを良い意味でも悪い意味でも責任転嫁してるところ


「私の前世は~でした」と自分の前世や 他人の前世が判る人が世の中には稀にいるらしいけど、残念ながら 私には自分のはもちろん、他人のなんかは全く判りません。


むしろ、遮二無二 そういう概念的なモノで答えを決めようとする方が不自然だし、責任転嫁じゃないのかな?


「良い意味でも悪い意味でも何が起きるか判らないから人生は楽しい」と考えるのは 単なる「楽観論」じゃ無いんです。


【引用5】

 アキとサクとの会話で神の存在を信じるのか?という夢島での会話にアキが「神様はいないと困る。ラッキーとアンラッキーをコントロールして、プラスマイナス0にするために」というセリフがあります。今生きている現世をプラスマイナス0にする事は勿論ですが、先述の前世の話から、前世・現世・来世へと魂が受け継がれていく中でもバランスの取れたプラスマイナス0の人生になっているのではないかという思いがこのTV版を見て感じ取られました。

 TV版のアキで言うなら、来世は絵本の編集に携わる仕事をして、愛し合った人と生涯幸せに暮らしていける、そんな人生であるな、いやあってほしいと私は思うのです。そのために神は存在してもらわないと困るなと。

【引用6に続く】


私は「セカチュー症候群」を患ったヲタです。


が、頑固で偏屈でもあります。^^;


ゆえに、如何に亜紀の台詞だったからと言っても 全てを鵜呑みにするつもりは無く、この「夢島」における亜紀と朔の会話が その典型的な部分と言えます。


私の個人感から言えば「神様なんかクソ喰らえ」的「無神論者」なので 亜紀が言う「神様コントロール論」は あくまでも「亜紀がそう考えていた」という認識でしか無く、それが正しいか否か…なんて事は 考える事自体ナンセンスなんですよ「無神論者」なんですから私は。^^


【引用6】

今回、TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」を拝見し、改めてこのような思いを再認識できた事は大きな発見でした。一般に人は、良い事があればそれは素直に喜びますが、一方で自分の身に何か悪いことが起これば(勿論人によって程度の差はありますが)、なぜ自分にだけ?なぜ多くの人がいる中で自分に起こったのか?という被害者意識の感情に襲われて、逆境を切り抜ける事は容易ではありません。

私も世間的に見ればまだまだ若い身、精神的にも弱い人間だと思います。しかし、こうした時にこのTV版で感じた事を思い浮かべ、ブタネコさんのおっしゃられた「生きている間にしか味わえない事を生きてる間に存分に楽しむ事」、これを常に胸に刻みつつ、自分の人生に訪れる事全てをこれは自分にとっての宿命なんだと真摯に受け止め、自分の人生に責任を持って生きていきたいと思っています。

 今回、こういった思いを振り返るきっかけを頂いたブタネコさん、そして「世界の中心で、愛をさけぶ」の作品に深く感謝致します。

 また、何かお勧めの作品等あれば、ぜひご教授頂ければ嬉しく思います。それでは、長々と失礼しました。

【引用はこれで終了】


けっして、このメールを下さったAさんを 侮蔑する気はありません。


むしろ、必要以上にブタネコを美化して下さった事には テレながらも尊大に受け止めさせて頂きたいと思います。


で、しつこいようですが けっして「挙げ足取り」の意味では無く 引用6の中の一文に関して問うてみたいと思います。


それは


「生きている間にしか味わえない事を生きてる間に存分に楽しむ事」


こう記した中に「前世が~だった」とか「来世が~」って考えるのは必要な事ですか?と。


Aさんに対して あくまでも個人的な人生経験上の統計値を基に 余計なお世話的に心配してしまうのは


「そんな事言ってる人が ”意味不明な壺”や”きらびやかな五重の塔”や

 ”ありがたい水”や”幸運を呼ぶラッキーストーン”なんかを買っちゃうんだよなぁ…」


という事。


なので、そんな事態がAさんの身に降りかかった時に


「ほら、言わんこっちゃねぇべ」


と、胸を張って言える様に 今、申し上げておく所存です。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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