● ブタネコ的シナリオ感
この記事は 敬愛する「ゴーシュ」さんに捧げます。^^
(イラネって言われるかもしれないけど…^^;)
先程、ゴーシュさんから拙記事「アヒルと鴨のコインロッカー」に頂戴したコメントを拝読し レスをまとめようとタイプしていたのだが、レスとしては長文過ぎるので記事として、まとめ直してみようと思った次第です。
さて、ずいぶん前からの事なのだが、「シナリオを勉強しています」とか「フリライターをしています」という方々から 私の記事を読んだ感想や 記事に感じた違和感や疑問についてメールを頂戴する事が多々あります。
おそらく、それは 私がこのブログで 自分が見たドラマや映画の感想を 自分が感じたまま記している事で、時に 私の感想と 一般的な世評や、評論家等と自称されている方々の評とが食い違い、世間では絶賛の映画をボロクソに貶している事が多々あったり…
世間や 映像制作関係者からは高い評価を得ている演出家や脚本家を やはりボロクソに貶す事が少なく無いので、その辺に関して興味を抱かれるのか、さもなくば「ふざけんな」とお怒りでメールを下さるのだろうと解釈している。^^;
でね、お気づきかどうかは定かでは無いので あらためてブタネコを少し解説しておくと ブタネコが不快感を示したり、激怒するケースが多いのは シリアス調のドラマや映画である場合が大半だという事。
つまり、「社会問題」をテーマに描いているつもりでいながら 実はテーマをアイテムにしかしておらず、踏み込んだ解釈や問題提起をしていないのに「感動した」「泣きました」なんて感想を求めようとする作品に対して 特に苦言を示す事にしている。
また、過去の作品の素晴らしさから 大監督とか脚本の大家なんて呼ばれている人が数多いる。
そういう人の新作は 無名の人の作品とは違って、見てもいないのに「大作」だとか「渾身の傑作」なんて宣伝文句がついており、それにつられて見た結果、全く面白くなくても ~さんの作品だから…と良い評価を述べようとする評論家やファンも数多い。
私は そういう「思い込み」や「思い入れ」と 作品に対する評価は極力区別したいと思うので 誰が監督で、誰が脚本で、誰が出演しているか…ってのは まず二の次。
ストーリーが面白いか否か、説得力があるか否か その辺から感想を決める。
その結果、例えば私は倉本聰の大ファンであると公言し「北の国から」に限らず「前略おふくろ様」や「ライスカレー」や「昨日、悲別で…」など 過去の倉本作品は今でも大傑作だったと思っているが、だからといって何でもかんでもヒャッホイでは無いから「拝啓、父上様」をボロクソに貶したところ それまで相互リンクのあった倉本聰のファンサイトからリンクを切られるわ 倉本ファンと名乗る方々から随分とお叱りを頂戴するわでゲンナリした事がある。^^;
でもね、特定の作家のファンだからといって その作家の作品全てにヒャッホイというのは 私のスタイルでは無い。
ファンであればこそ、駄作だと感じたならば直言すべき…というのが信条なのだと思っているからだ。
さて、全部が全部と決めつけて語るつもりは無いのだが これから「シナリオライター」になろうと夢見る人の多くは その為の自分なりの勉強として、著名な作家(演出家や脚本家も含む)や作品を模倣したり エッセイやインタビュー記事で言ってる事を鵜呑みにしようとする傾向が強い。
その場合、信奉する作家や作品がシリアス系以外であれば それはどうでも良い事だが、シリアス系の場合は 例えば、その作家や演出家や脚本家が 作品の主題に扱った「社会問題」に関して「どういう視点で、どう描こうとしたのか?」という部分を理解せず、もしくは理解出来ず、最悪の場合は「理解したつもりに思い込んで」いて 自分の視野の狭さに気づいていなければ 他人に対して説得力なんか無いという事も知るべきだと思う。
例えば10数年前のTVドラマや映画では 一時期、レイプを題材にしたストーリーが流行った様に制作された事がある。
そのキッカケというか 先駆けになったTVドラマがあり、視聴率も高く 内容的にも「感動した」という感想が多かった。
私に言わせれば そのキッカケの作品は、被害者である女の子を ただ、可哀想に見せ、周囲の家族が それに怒り、悩む姿を感動モノに見せる為だけにレイプをアイテムに用いただけで 実際の被害者や被害者家族達からどれだけの共感を得られたのか?という部分がおざなりで「感動した」と口にする人の多さに辟易したものだ。
だって、全ての諸悪の根源が そのドラマにあると言い切るつもりは無いけれど、当時の社会風潮も相俟って レイプ被害者には心のケアが必要だ…となり、必要以上に精神的治療とやらがもてはやされ 結果的に「レイプ被害者=精神病患者」みたいな構図で 健気に立ち直ろうとしている被害者をも患者扱いして 本当の患者にしてしまったケースが少なく無い事を知っているのかな?
社会問題として根本を考えなければいけないのは「如何にレイプという犯罪を減らすか」にあるわけで、そこを放ったらかして「可哀想」を押しつけるだけの被害者救済ばかりでは 本当に被害者の心のケアなのか?…なんて疑問を抱くのは不届きな話なのであろうか?
つまりね、レイプに限らず 被害者や被害者家族を一面的な部分だけ可哀想に描く事が 感動を呼ぶ作品のスタンダードスタイルにしてしまったのが そのドラマであるとしたならば 制作者、特に演出家や脚本家を ただ「多くの感動を呼んだ素晴らしい人々」と賞賛するばかりでいいのかね?… なんて、へそ曲がりな私は思うのだ。
ところがね、昨今「シナリオを勉強しています」とか「フリライターをしています」という方々の多くは「多くの人を感動させたから素晴らしい」と一面だけを短絡的に捉え、「如何に観客を感動させるか」「如何に見た人を泣かせるか」という小手先ばかりに目がいってしまっていて 結局は「感動させる」「泣かせる」為のアイテムとなり得そうな社会問題やストーリーばかり手軽に扱い、社会問題の根本そのものにはまるで興味が無いかの如く斟酌も無ければ 練り上げようとする姿勢など全く無い。
が、実際には…
「ブタネコは @@という映画をボロクソに貶したけど
私は その映画を実際に見て しばらく立ち上がれない程、号泣させられました
そんな素晴らしい映画を貶す アナタ(ブタネコ)の心はねじ曲がっているとしか思えません」
なんて、コメントを下さる方も 実は少なく無いのだが、個別に対応するのは面倒臭いのでスルーしてきたけど、良い機会だからまとめてアンサーしておけば
「つまらない打算混じりの小手先お手軽ストーリーで泣ける程、幸せで恵まれた人生に感謝すれば」
…って、感じなわけだが、そんな私はごく少数派で、そうじゃない人々が圧倒的多数の視聴者や、観客なのだとしたら 私の意見などどうでも良い話なのだけどね。^^;
映画監督やシナリオライターになる為に 沢山、映画を見て 沢山、関連書籍を読んで そんな知識ばかりを身につけるのは結構な事とは思うが…
誰かが何かの映画を評すのを耳目にした途端、早速 そんな知識を披露する場と勘違いして「Aという映画は女性が監督として男とは違った視点で女優を…」と発言すれば「Bという別の女性監督が撮った@@と言う映画では ¥¥という女優を女性ならではの演出で…」なんて 聞きもしないのに語り出す。
本人は自然に「映画評」という場に参加しているつもりなのかもしれないが、本来 その場で語り合われようとしている内容は「A」という映画についてであって 自分が違う方向に(ハッキリ言えば場違いな方向へ)話を誘導しようとしている事に気づけない残念な人がいる。
大抵の場合、この「残念な人」とは 知識ばかりが豊富なわりに、中身の咀嚼がおろそかで、それは ただの知識であって「認識」では無い。
もっと、判りやすく言えば 勉強で大事な事は知識の暗記では無く、その知識を元に自分がいろんな事を考えて応用力を身につける事であり、応用力を増す事で視野を拡げるところにある。
つまり、何かの「社会問題」をテーマに シナリオを書こうとするのなら、せめて その社会問題の原因や弊害や それらについて最低限の情報ぐらいは得た上で 自分なりに考察する事がまず大事なのだが、そのテーマを基に自分が書いたシナリオや そのシナリオを基に制作された映像が一般的にどう受け止められるかだけでは無く、「社会問題」である以上、その問題に困り、苦しんでいる人達にこそ どう受け止められるのかを考えなよ…という事であって「孤独がよりリアルに映る為には外国人であった方が」とか「エイズだからポックリ死んだ」なんて理由でのアイテム化では 本当に苦しんでいる外国人やエイズ患者は納得しないであろうし、なんらかの救済にも、問題提起にもなりはせず、むしろ新たな偏見へと繋がりかねない危険性の方が高いわなぁ…と。
なので、「シナリオを勉強しています」とか「フリライターをしています」という方に 私が個人的に申し上げたい事は 知識ばかりをひけらかしても それは頭でっかちでしか無いし、それだけじゃ説得力なんか無い ただのカッコつけだよ…って事。。
むしろ、知識なんかに頼らず いろんな人のいろんな感じ方や考え方を知る努力を望みたいわけで、その為には 自分と違う意見と 自分の意見との説得力の違いを 自分ではなく、他人の視点で比較する応用力を身につけなさい…という事でもある。
さて、つい先日、いっぺんに数枚の映画のDVDを入手したのだが その中に「因幡の白うさぎ」というタイトルと「赤い文化住宅の初子」という映画のモノがある。
これらについては早ければ今日、遅くとも明日には記事にしようと思っていたところなのだが、もしこの記事で私が述べている事について興味のある方は レンタルして見て下されれば判りやすいと思う。
興味深いのは どちらも「社会問題」を物語の根底においてあるシリアス調なのだが、「赤い文化住宅の初子」については 近年稀に見る秀逸な作品だと私は感じており、それに対して「因幡の白うさぎ」は 近年、見た映画の中で これ程の駄作は無い…と感じている。
その違いを 実際に見比べて頂くのが もしかしたら最も判りやすいのかもしれないなぁ…と この文をまとめていて思った次第だ。
【補記】
この記事は「ゴーシュさんに捧げる」としましたが、映像のプロであるゴーシュさんへの批判という意味では間違ってもありません。
ゴーシュさんから頂戴したコメントを拝読して ゴーシュさんに愚痴ってみたくなった内容が、以前から拙ブログにやってくる自称:シナリオライターとかいう輩などから寄せられるコメントやメールに対する ブタネコの基本的スタンスの提示になると判断したので掲示した次第です。
