● 世界の中心で、愛をさけぶ DVD2巻再見
正直言うと、前回のDVD1巻再見という記事を書き終えて、DVD2巻を見始めた時、記事なんか書かなきゃ良かった…と後悔した。^^;
だってさぁ… TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」は 誰からも邪魔されず、何の制約も受けずに、じっくり腰を据えて見るべきものなんだよね
「綾瀬はるか… 良い声だなぁ…」
なんてのめり込みながら、
「あぁ、ここの画をキャプって…」
とか、文章を考えるなんて 地獄だもの。^^;

DVDの2巻目 まず、第3話を再見し始めたわけだが…


祖父が亡くなる…という設定は 原作の設定や映画版の設定と異なる大きな部分のひとつである。
もし、私が原作を読んだ時に感動したのであれば この「祖父が死ぬ」という設定変更には違和感を覚えたかもしれない。
というのは 今まで悉くクソだと貶し続けた原作ではあるけれど、唯一 良かったと思えた部分が朔と祖父の会話を含む関係だけだったから。
で、あらためて誤解の無い様に述べておくと この「ブタネコのトラウマ」において いろんな映画やTVドラマについて語っているけれども それらの中でヒットした原作(本やマンガ)を映像化した作品を語った場合の殆どで 私は映像化の際に制作者が設定を変えた部分の殆どに対して 不快感を示したり、時には激怒しているけど この「世界の中心で、愛をさけぶ」に関しては まるっきり反対に「よくぞ変えた」「素晴らしい変更だ」と賞賛しているのは それだけ原作が駄作だと思っているから。
実際の所、ウチの娘達に聞くと 原作も感動して泣けたと言う。
私が読中に激怒して踏みにじった後、破り捨てようとしたのとは大いに対照的である。^^;
怒られ、嫌われるのを覚悟で あえて申し上げさせて頂くと 昨今、大人気とか言われている携帯小説なんかもそうなんだけど この「世界の中心で、愛をさけぶ」の原作のストーリーなんかで「感動して泣きました」なんて言ってる輩に対して 私は「アホか」と感じている。
たとえば「恋空」という映画について感想を述べた記事があるが、この中で私が好意的に評価しているのは あくまでも「新垣結衣」の演技に関してのみであって 物語を褒めたり、感動したなんて事は間違っても述べたつもりは無い。
極論して言えば 単純に読者を泣かせようという意図のもとアイテムやイベントを散りばめただけのもので 題材に利用されたアイテムやイベントには社会性はあっても それに対する斟酌などは欠片も無く、真の意味での道具でしか無い。
ゆえに、誰かが病気で死んでも それを「可哀想」と泣く読者の「可哀想」という言葉も原作同様に薄っぺらでしかなく、そんなペラペラな涙で 簡単に「感動」と評するボキャブラリーの足りなさに「なんだかなぁ…」と感じるんだな 私は。
本当の意味での「感動」とは 思い出しただけでも泣けるモノなのである。
映画館では泣いたかもしれないが 一晩寝たら、その殆どを忘れてしまう様なストーリーを「感動した」なんて簡単に口にするのは「ずいぶん安上がりな人なんだね」と自己紹介しているのと変わらない… そう、私は思っている。
さて、話が脱線したので戻すが…
このTV版で「祖父が亡くなる」という風に設定を変更した理由って何だろう?
その点に関して ブタネコ的妄想に基づく勝手な考察を述べると…
まず、思う事は 高校生の朔と亜紀がウルル(オーストラリア)に行こうとする… この場合、下世話で現実的な事を言えば「その費用はどうするの?」って事
試しにJTBの海外ツアーで「オーストラリア エアーズロック」を検索したら 東京発の値段で 概ね、お一人様15万ちょいから20万 二人で参加ならば最低でも40万以上は必要となる。
この部分をおざなりにしてしまったのが 映画版の大きな失敗点だと私は思っているわけだが、原作では 朔の祖父が出している。
これをTV版では 祖父から朔への遺産みたいなモノと変えているわけだが、それにあたって 祖父と朔の関わりを1,2,3話で肉付けしているわけで その肉付けには 例えば散骨場所に悩む朔の心理や 散骨の意味や、大好きな人が亡くなってしまった時の心情や それらの事をひっくるめて表現しているのが この第3話。
しかも、堤演出の凄いのは その朔の散骨に亜紀を交えさせる事によって 後に、亜紀が亡くなった後の朔の葛藤への布石であり、伏線を散りばめているところにある。
ただ、亜紀が亡くなるだけを描くのと 祖父が亡くなるのを並列的に、かつ対比する様に伏線とする事で 大切な人の死について視聴者が思い描く事に深味が増す。
それはいたずらに 見る人を「泣かそう」とするのでは無く、ともすれば「何故、悲しいのか?」を葛藤させる。
私がTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」が 白血病をアイテムにしたお涙頂戴的作りじゃないと高く評価する理由のひとつがそこにある。
ところがね…
世の多くのドラマ制作や映画制作に関わっている人達は「世界の中心で、愛をさけぶ」のヒットが
「多くの視聴者は”純愛”や”悲恋”や”難病による悲劇”で泣くのに飢えている」
と、単純にしか考えられない薄っぺらな輩が多いんだね
その後、この3年の間に ずいぶんとそういった路線の映画やドラマが制作されたけど、その殆どが「視聴者を葛藤させる」という部分をおろそかにしているという事に いい加減、気づいても良さそうなのに 何故、気づけないのだろう?
同時に 何故、多くの視聴者は そんな「お手軽作品」で 何故?簡単に「感動した」と言えるのだろう? それが私には大いに不思議でならない。
つまり、ただ泣かせる為に祖父を殺したのだったら これほどまでに感動せず、ともすれば私は怒っていたのかもしれないが そうはならず、むしろ巧いと褒めるのは「視聴者に葛藤を与え、その結果 考えさせたり、気づかせている」という部分をこそ巧いと褒めたいからなのだ。



昨年、この百瀬駅の舞台となった地を訪ねた時の事は「2007年秋の旅(百瀬駅編)」という記事に記したが


10月初頭とはいえ、北海道人の私には真夏に近い日差しの下で見た百瀬駅は その場で耳を澄ませば 何処かから亜紀の声が聞こえてくる場所だった。
変な言い方をお許し頂けば、松崎はメインのロケ地だから 画面の奥に見た景色が街中に広がっている。
しかしながら、松崎は多くの人々が現実的に生活し 物語の中の「宮浦」ではなく「松崎」としての現実が広がる街でもある。
それに対して、百瀬駅は自然の中にポツンと佇む場所で 現実乖離の出来る場所であるぶん、「あった!!」「風、来ないね」「まぁまぁ、気楽に待とうよ…」 ホント、いろんな声が聞こえてくる場所なのだ。
私の場合、その時に同行したのが親友の一人であり、主治医でもある「二代目開業医」で その彼自身もまた、ホームの亜紀が立っていた場所に立ち竦み
「ブタネコぉ~ 百瀬だよ 百瀬ぇ もうすぐ風が吹くのかなぁ?」
等と、知らない人が見たら意味不明な事を口走りながら 滂沱な涙を流していた。
ドラマという映像による視覚効果と、物語による心象心理 それらがマッチして素晴らしい効果を発揮し、見た人間を感動させると 人ってね、そんな感じで 例えば百瀬駅(現実には月崎駅)に立っただけで 鳥肌が立つとか、そんな簡単に言葉では表せない感動に包まれる
おそらく、その時の私達は 周りをヘラヘラした笑顔で眺めながらも目から涙を溢れさせ もし、1時間に一本の電車が来てたなら ヘラヘラ笑ったまま跳ね飛ばされていたであろう事は間違い無い。^^;
これはねぇ…「セカチュー症候群」にヤラレた人は 是非、一度味わって貰いたい感動なのだが、それは 言い換えれば「セカチュー症候群」じゃないと味わえない感動だからだ。
かつて私は この第3話に関して
という記事を掲示したものだが、


この第3話は 朔と亜紀、それぞれの親にスポットを当てた回でもある。
原作に対して不愉快に感じた大きな理由に 朔と亜紀、それぞれの親についての描写や扱いの部分がある。
特に 年頃の娘を持つ親父であり、白血病という病で同級生が亡くなり、その子の親父さんから いろんな事を教わった経験のある私としては 亜紀の父親という存在を軽んじる原作は納得がいかない。
読者を年頃の女の子と限定して そんな読者を泣かせる為であれば そんな手法もアリなんだろうけどね。

さて、第4話に話を移そう…
この回は「リンダリンダ」に対する違和感とか、スケちゃんの恋物語なんかイラネェと否定的な感想も耳にする回。
それに対して私は別に何とも感じず、どうでも良いと思うわけで むしろ、何故 そんなに否定しなきゃならんのか? そこには疑問すら抱く。
だって、この回で重要なのは

現代の朔が 17年間の苦しみを初めて吐露する場面であり、その説得力でもある。
率直に言って これまでの1~3話と この4話だけの流れでは説得力は乏しいと言わざるを得ないのだが、今まで 何度も申し上げてきた事だが、一度 物語の全部を見終えた後で、再び このシーンを見ると、例え様の無い説得力により完膚無きまでに泣かされる場面に変わるシーンとなる。
でね、何度も見直していると いつの間にか当たり前の姿として目に焼き付いていてしまう事なのだが、今回あらためて思ったのは


私は陸上競技の専門家では無いから、専門家的に この「綾瀬はるか」の走る姿がどう映るのは判らないし、どうでも良い。
が、そんな素人の私には それなりの経験者と感じられる力強さと美しさを感じた事 それを高く評価して指摘しておきたいという事。
よく、陸上競技の選手役…を与えられ演じる女優はいるけれど 見るからに「お嬢さん走り」で 誰が見ても3流選手どころか、恥ずかしくて競技会になんか出ないだろう?と 問い詰めたくなる様な走り方だったりするのが少なく無い。
それに対して、この「綾瀬はるか」の姿には陸上競技者…という説得力が充分に描かれており、12秒91という記録が 実際に早いのか否かなんて事は実はどうでも良く、「こんな元気な娘が病に冒され…」という悲劇的な部分への布石として申し分無いところを高く評価して指摘しておきたいという事なのだ。






こんな可憐な笑顔の持ち主で 陸上競技者としても頑張っていた女の子が…
あぁ、ダメだ また俺、壊れてきたわ…(ToT)
