● 天然コケッコー
映画「天然コケッコー」を観た。

先日、『ブタネコ的2007年邦画アカデミー賞』という記事を掲示した際に、この「天然コケッコー」に関して あえて触れなかったのは、正直に言うと 映画館で見ている最中に寝てしまい どんな内容かを理解しておらず、ゆえにDVDが出たらじっくりと見よう…と思っていたからだ。^^;
で、この作品の名誉の為に申し添えておくと「内容がつまらなくて寝た」のでは無い。
疲れていたのか、この映画を見る前に食事をし持病の薬を飲んでいたので 満腹感か、さもなくば薬の副作用で寝てしまったんだとDVDを見るまでは思っていたのだが、実は違った。^^;
要は この映画のテンポが実に心地良いからなんだな。


正直言って「夏帆」が ここまでデキル子だとは思ってもみなかった。
なんて言うのかな… 田舎町にいそうな 可愛いくて、でも、誰とでも親しげで、けど、ちょっと気軽には「僕とつきあって」と言ってはいけないような難しさの漂う子…とでも言おうか そんな女の子をとても巧く演じていると思うのだが、これは本人の力量もさる事ながら 脚本や演出の巧みさの様な気がして ちょいと調べてみたら監督の「山下敦弘」は 『リンダリンダリンダ』の監督で 脚本の「渡辺あや」は『ジョゼと虎と魚たち』の脚本を担当した人なのね
そう気がつくと「リンダリンダリンダ」と「ジョゼと虎と魚たち」の両方の良かった点が この「天然コケッコー」で上手にミックスされているように感じるから不思議だ。^^
で、この映画の不思議な所は 良い点を褒めようと、「どこが一番…」と考えると「際立った部分」が無い。^^;
かと言って では「気に入らない部分は…」と考えても「気に入らない」点も無い。^^;
強いて言えば、もし この映画がロケ地である「島根県浜田市」の 所謂「御当地映画」なのだとしたら この作品は実に素敵な出来だったと思える点が「一番、良いと思った」部分だね。
以前、とある「御当地映画風」の作品について「近畿圏が舞台であるのに主人公達が標準語で話しているのが気に入らない」を貶したところ その御当地の御出身の方に「地元根性丸出しの映画を作るのは如何なものか」と 少々、趣旨の違う御批判を頂戴し、さらに「そもそも映画というのは自己主張の道具などではなく、自然の営みや人間の情愛を描く芸術ではないかと思う」と御教示まで頂戴した事がある。
私に言わせれば「映画が芸術」なんてのは 少し前の邦画に多かった芸術家気取りの巨匠とか呼ばれているクソ監督共の好みそうな自己満足であり、結果的に「こりゃ芸術だ」と作品が評価されるのは 観客がその映画から娯楽以上の「何か」を得て、笑ったり、泣いたり、感動する等の結果を得てからの話。
で、その方の言葉を借りるならば この「天然コケッコー」こそ 御当地の自然の営みや人間の情愛を見事に描いた芸術…と評すのが適当なのだろうけどね、私は この「天然コケッコー」を芸術だとは思わない。
が、「芸術だとは思わない」という言葉の意味には 「天然コケッコー」という作品に対しての侮蔑の意味を込める気なんか全く無く、むしろ逆で ごく平凡な何気ない流れを描いただけなのに 何とも言えない郷愁や、中学生時代の記憶の喚起や、「あぁ、この映画 面白かった…」という安心感の様な満足感は 小賢しく気取った連中の言う「芸術」とやらからは なかなか得られるモンじゃないからだ。


私は 上の様な場面の情景や その中で交わされる方言での会話に「芸術だとは思わない」素晴らしさを感じ、「浜田」という場所を旅してみたい…とすら思ったからね。
あ、そうそう…

「夏川結衣」が さりげなく、渋い演技で母親役を好演してた事をメモ代わりに記しておく。
