● 兵士になれなかった三島由紀夫
杉山隆男 著:「兵士になれなかった三島由紀夫」を読んだ。

刊:小学館 ISBN978-4-09-379773-3
この本を書店で見つけた時、本の帯に「『兵士』シリーズ最終章」と記されているのを見て 私はいくつかの事を即座に思った。
それは、まず「杉山隆男」の「兵士」シリーズが とうとう終了するのか…という寂寥感。
このブログにもカテゴリーを設けたが 私は「杉山隆男」は「宮嶋茂樹」と並び 自衛隊を正しく語れる真のジャーナリストだと思っている。
そんな彼には「兵士」シリーズとして もっと、自衛隊を語って欲しいと願っていただけに、「最終章」という表示は とても寂しい。
と、同時に その「最終章」が「三島由紀夫」という点に 納得する気持ちと、複雑な気持ちが半々だった。
で、まず個人的な「三島由紀夫」感から先に述べると…
「三島由紀夫」の事件があったのは1970年11月25日
つまり、今から37年前の出来事で かく言う私も小学生、いかにこのブログの読者の平均年齢が高めといえど、リアルタイムで この事件を記憶している人はそんなに多くないだろうし、事件の特殊性から その事件から生じたその後の事柄に関して全く知らない人も多いだろう。
かくいう私も一般的なサラリーマンの家庭や、商店経営などの家庭に生まれ育てば ともすれば多くの方と同じように「三島由紀夫」の事をロクに知らぬまま育ち、死んでいった事だろう…^^;
ところがね、我が家は代々、軍人家系で 当時の父は現職の自衛官。
嫁の父親も 義弟の父親すらも現職の自衛官であり、当時、小学生だった私は自衛隊の官舎暮らしときたもので…
ともすれば、一般的には知らなくても良い事まで知ってしまって現在に至る。
でね、「三島由紀夫」と言えば 純文学の作家という反面、「盾の会」なる組織を築いた「憂国の士」という顔も持ち合わせ、右翼系の活動家の中には そんな「三島由紀夫」を神格視する向きもいる。
でもねぇ、私も「右寄り」の思想を持つ者ではあるけれど そして、今までいろんな本を読んだり、いろんな方から私も聞いたけど、「三島由起夫」が右翼思想の権化には 実は思えないでいる。
それは、三島の言動から 当時のマスコミや左巻き系の連中から「自衛隊に対してクーデタ-を起こさせようとした」と よく言われたものだが、三島の言動や人となりを知る人の話によれば 三島は自衛隊の存在意義について色々と持論を展開し、特に その内容で過激だったのは 当時盛んだった左寄り学生運動に対して それを鎮圧出来るのは自衛隊以外に無い…という意見を三島独特の過激な論旨で展開した事であり、それを「左翼に対して自衛隊を使い武力弾圧する」と解釈され、「左翼の敵=右翼」とされたにすぎないと私には思えてならないからだ。
この部分に関して言えば 同じ時期に警察幹部として「東大紛争」や、後の「あさま山荘事件」等において鎮圧を指揮した「佐々淳行」氏の著作を読むと興味深いのだが、結局は「危機管理」という部分に対する警鐘を 三島由紀夫は独自の理論で説き、それが当時の世相では受け入れる人が少なかった(時代が早すぎた)ように思える。
さて、本書の読後の感想を述べると…
著者と三島由紀夫との因縁とも言うべき出来事から その後、著者が影響を受けた…という部分は とてもよく判る。
と、同時に 著者独特の元・自衛隊員達への取材とそれによる考察も とても興味深かかった。
で、本書を読む限り 私には三島が事件を起こした動機には 三島本人の屈折したナルシズムがあったのでは?と愚行するばかりなのだが、願わくば三島事件の後 自衛隊はどういう影響を受けたのか?という点に言及して欲しかったなぁ…というのが残念でならない。
というのは、あくまでも個人的意見だが 私は「三島事件」のおかげで 自衛隊の存在意義を真剣に考えようとする事が 元々、タブーに近かったものを さらに際立ったタブーにしてしまったと感じているからだ。
近年、憲法9条を改正…という論議が ほんのちょっとだけ騒がれ始めたが、これは ひとつの見方として「国連の軍事行動に対応する為」という理由が挙げられているけれど、この理由を三島風に解釈すれば「アメリカの都合に合わせて アメリカの言いなりになる」という事になるだろうし、実は 私も そう思えてならない部分が少なく無い。
けどね、「兵士」シリーズの中で著者が触れているように 自衛隊を「日陰者」へとさらに追いやったのは「自衛隊によるクーデター」という部分だけを「三島事件」を例に ことさら当時の社会党や共産党が拡大問題視し、それにつられて労働組合や左翼系団体の多くが煽った事にある。
「御巣高山」「阪神大震災」「奥尻沖地震」… 大事故や大災害はもとより、台風による水害や 突発的な大雪による雪害など 悉く、自衛隊の出動の遅さを問題視してきた左巻き系の連中だが、その根本はシビリアン・コントロールという大原則の解釈や運用が 必要以上に厳しく煩雑になっている事が問題であり、そもそも このシビリアン・コントロールという大原則は 自衛隊によるクーデーターの防止の為に存在している原則。
もちろん「クーデター」の防止が重要な事は私も判っている。
が、危機管理そのものが欠落してしまっている行政において「シビリアン・コントロール」を忠実に(しかも必要以上に)厳格に守ってきたのは 自衛隊の方だという事は力説しておきたい。
まぁ、これも 左巻き連中に言わせれば「当たり前」の事なのだろうけど…、
でもね、災害や事故で 目の前に要救助者がいるにも関わらず、ズルズルと遅れる出動命令を待つ隊員達の心中を思うと 私は言葉が無い。
隊員の中には 自分の家族や親戚や知人がいる者だって少なく無いのに…と、思えば尚更である。
三島事件以降 ほんの些細な事でもヒステリックに問題視する左巻き連中に対して 自衛隊側も 殊更、誤解を受けない様に…と神経質に対処した結果とも思える部分が 自衛官の息子として育った私には 自分の親だけじゃなく、自衛隊官舎の近所のオジサン達をも見て育った者として痛切に感じるからだ。
まぁ、個人感はともかくとして「三島事件」というものは 昭和史、特に戦後の近代史のいち頁であるのだが、いまや 知らない人の方が多いんだろうね。^^;
