● 硫黄島に死す
城山三郎:著「硫黄島に死す」を読んだ。

新潮文庫 ISBN978-4-10-113316-4
昨日、「森の管理人」から頂戴したコメントを拝読し しばしの間 絶句した。
「硫黄島に死す」は全文で50頁にも満たない短編。
太平洋戦争時 激戦の末、守備隊が玉砕した硫黄島にあって 戦車連隊長として赴任し、そこで散った「西竹一」中佐の話である。

ちなみに、以前 公開された映画『硫黄島からの手紙』において


「伊原剛志」が演じた人物である。
何故、この「西竹一」中佐が「バロン西」と呼ばれ語り継がれているかをザックリと説明すると まず、西竹一は外務大臣を務めた事もある西徳二郎男爵の跡取り跡取り息子である事。
陸軍幼年学校に入校し軍人畑を歩みつつ 陸軍での職種が騎兵であった事から1932年のロサンゼルスオリンピックに選手として出場し金メダルをとっている。
この時、欧米の社交界で人気者となり多くの知古を得ると同時に 当時、米国内で排斥されていた日系人 特に、排斥の度合いが最も強かったロサンゼルス市において 名誉市民とされるなど 太平戦争開戦前の世相の中で親米派と呼ばれた陸軍将校の1人だった。
西中佐の硫黄島でのエピソードは数多く伝わっているが、日本兵が玉砕…という事もあって それぞれのエピソードに関して真偽の程は不明と言わざるを得ないが、戦後 今日に至まで とかく良い話の少ない帝国陸軍にあって、西中佐のエピソードが「良い話」として伝わっている事、その事だけでも特異な人物だったと理解して良いはずだ。
で、城山三郎の著述は 史実なのか創作なのかが不明なので 著述内容の全てを事実と受け止めるのは危険だと思う。
でも、28頁にある記述は 少なからず私に衝撃を与えるだけのものがある。
(この文章は 西が硫黄島に彼の部隊と共に赴任する際の 横浜港から出港した直後の輸送船上の風景に続く)
左手には、見覚えのある鋸山。
眼をこらした。
習志野時代、西がよく遊びに行った浮島は、山の緑と重なり合って、判然としない。
騎兵学校の教官をしていたとき、近くの千葉医大の学生たちと親しくなった。
医大の寮は勝山にあり、そこからわずか海ひとつへだてた先に、緑の濃い浮島という小さな無人島があった。
学生達と島まで泳いで渡り、魚を釣り、夜はキャンプ・ファイアを焚いた。
西は島が気に入った。
持ち主である@@という若い網元にことわり、島の洞窟の中に柱を立て畳を持ちこんでねぐらをつくった。
夏が過ぎ、学生たちが去ってからも、西は休みのたびに浮島で暮らした。
もうね、この文を読み進めていくうちに 私は涙をこらえる事が出来なかった。
故・西中佐に対しては ある意味、申し訳ない事とは思うけど…

「浮島」こと「夢島」は 私にとってはそれでなくても「聖地」なのだ。
その上で、「浮島」は「バロン西」の所縁の地…となれば 尚更、「聖地」なのだ。



サクとアキが歩いた洞窟が バロン西が畳を持ち込んだ洞窟なのか?…

先日、目の前に神々しく映った島の輝きには そんな背景もあったのか…
良かった、軽々しく渡らないで。
バロン西の所縁に気づかずに上陸し、札幌に戻ってきていたとするならば 今の様に所縁を知った時 私は、たぶん激しく後悔していたと思う。
それにしても、奇縁とはいえ なんとも申し上げる言葉が見つからない。

