● 俺は、君のためにこそ死ににいく 再見
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観た。

思いの外、早い時期にDVD化された事は個人的に とても嬉しい。
こういう映画は 映画館の堅苦しい座席より、自宅で誰にも邪魔されずにじっくりと観たいからだ。
かねてより、このブログのいろんな記事で述べた事だけど…
「アクション映画」として制作された「戦争映画」であれば 私は他のジャンルのエンターティメントと同じ感覚で鑑賞し解釈もする。
けれども、シリアス面で制作者が思想感や歴史観を盛り込もうとするならば それに疑問を感じた時点で私はボロクソに貶す事にしており、特に「慰霊」の意がきちんと込められていないモノには容赦する気は全く無い。
それでも近年制作された映画やドラマは ひと頃に比べて随分とマシになってきたとは思うのだが、逆に 本当に「慰霊」の気持ちが欠片でもあるのか?と疑問を強く感じるモノも少なく無い。
この「俺は、君のためにこそ死ににいく」は 右寄り思想が強い…と言われる石原慎太郎が制作指揮である時点で 左巻き系からは「軍国賛美」だと批判されている向きがある。
私も 率直に右寄り思想の持ち主だが、石原慎太郎の言動を手放しに100%支持するつもりは無いけれど 同時に、そんな石原を批判する連中をも100%支持するつもりは無く、激しく嫌悪すら覚える。
それは、左巻き思想の連中には その言動に「慰霊」が込められている事が希であり、それどころか侮蔑すら平気でしている事に気がついていない事が多い。
例えば、



この一連のシーン
私は 何度、このシーンを観ても その度に目頭が熱くなる。
でも、左巻き思想には このシーンは典型的な軍国賛美に映るのだそうだ。
試しに、このシーンの字幕を表示し 台詞を検証してみると…

「まだ おなごも知らん若者じゃっど」

「お国んために」

「二十歳にもならん命を散らしにいきなさる」

「軍神よ」

「生きた神様の若者よ」

「お国のため」、「軍神」、「生きた神様」 これらは左巻き思想には嫌悪の対象となるキーワードである。^^;
ゆえに、これらの単語を並べて「特攻機を見送る」というシーンを重ねれば「軍国賛美」という「決めつけ」でしかモノを考える事が出来なくなってしまうらしい。
よく、冷静に考えてみるといい。
この時代の人たちは どういう思想で、どういう風に物事を考えていたのだろう?…と。
今の時代背景や歴史観や宗教観や思想感で この時代のそれらの良し悪しを決めつけていいのだろうか? というか、良い悪いの判断では無く、当時の時代背景では どうだったのか?を一度は考えてみるべきなんじゃないの?って事を 私は言いたいのだ。
敗戦後、歴史観や宗教観や思想感は大きく変わり 特に戦時中「軍神」と祀った事柄に触れるのは大きなタブーとなり、「お国のため」という考え方は完全否定された感が強く その結果、「愛国心」なんて言葉も忌み嫌われ「国旗」や「国歌」に対する考え方も揺らいだまま現在に至る。
でね、今の時代における感覚で その主義主張を論じるのは結構な事だが、私が常にこのブログで申し上げている事は そんな主義主張の論じ合いの中でおざなりにされてしまっている「慰霊」が まず、第一でしょ?って事なのだ。
「軍神」というモノの否定はどうでもいい。
少なくとも、特攻で散った方々への「慰霊」までも「軍神への賛美」と混同して否定するのはいい加減に止めろ…と、左巻きの連中に言いたいし 論議に興味の無い中間層も せめて「慰霊」に関しては ちゃんとしようよ…と、言いたいのだ。
「特攻隊の映画」というと「特攻の是非」ばかりを論じ合いたがる人が多いけど、特攻で亡くなった方は その死を侮蔑される犯罪者なのか? 違うでしょ? 騙されて(強制されて)亡くなった愚か者なのか? 違うよね?
で、話を戻すと…
「軍国賛美」や「特攻」を否定するのは構わないし、邪魔をするつもりなど私は無い。
しかし、軍国主義の許、特攻で亡くなった方への配慮に欠けた発言や演出は許せない…という事。
でね、そんな特攻隊の方々が最後に世話になり 言い方を変えれば看取った人物… その方も含めて歴史の事実として映画として残し、後世に伝えよう…というのがこの映画の存在意義だと私は感じており そう思えばこそ、この映画は素晴らしいと讃える次第だ。



