● 「値打ちをつける」という言葉(その3)
さて、そろそろ「値打ちをつける」という言葉の本論に入ろうと思う。
よく「金を払うんだから 客の方が偉い」と ふんぞりかえる人がいる。
また 何かを買ったり、依頼する時に とことんまで値切らないと気が済まない人がいる。
さらに言えば 仕事を依頼する際に
「悪いが今回は(値段的に)泣いてくれ、次の時に埋め合わせを必ずするから…」
と言う発注者が少なく無い。
アナタが どう思うかは知らないが、私は上の様な人が大嫌いである。^^;
商売としては 常に「お客様は神様」ぐらいの意識で 客に対して接しなさい…というのは心得だが、それを逆手にとって 客が「俺は神様だ」と思い上がってはいけない。
場合によっては「売っていただく」という謙虚さが必要じゃないの?と思う。
売り手と買い手が双方共に「買っていただいた」「売っていただいた」と思い合えれば どこにも不満が生じず素敵なのだが、現実的には それが理想論でしか無いから 売り手は ある程度値切られても良い様に最初から利幅を増した価格設定にしておき、たとえば原価が1万円であれば 社内的最低販売価格として1万2千円という金額を設定し、1万5千円という値札をつけ、千円とか2千円を客によって値引きして売っても最低限度以上の粗利を確保している。
ところが、客の方が上手だと
「これ、原価が1万円でしょ? なんで1万5千円って売値なわけ?
アタシも鬼じゃないんだから、1万円で…とは言わないけれど せめて1万1千円で売りなさいよ」
なんてツッコム強者までいたりする。
私に言わせれば この場合、売り手も買い手も どっちもどっちである。
店にとっての原価ってのは あくまでもその商品の材料費や店頭に並ぶまでの輸送費や人件費などであって それが仕入れた商品であれば店が問屋やメーカーから買う値段
それに、その店が店頭に置いて売る その店の経費的部分を上乗せした価格で売らない限り、その店は赤字になる。
そんな当たり前の事を考えれば 商品によって それぞれの値段が決まるはずなんだけど…
買う方の中には
「そんなのは 店側の事情であって 私には関係無いわよ、私は 少しでも安く買いたいんだから」
という主張が いつの間にか「正しい」主張と化している。
昔、どんな街にも 電気屋…と呼ばれる店があり、TVや冷蔵庫を頼めば配達してくれて 壊れた…と言えば 気軽に修理に来てくれた。
そんな電気屋は 今ではその多くが家電量販店に淘汰さえ姿を消してしまったわけだが、その原因のひとつには メーカーの価格設定のいい加減さがあると私は確信している。
だって、街の電気屋では5万円のテレビが 車で30分離れたところにある量販店で4万円で売っていたならば アナタならどっちで買う?
もちろん、なんでそんな価格差が生じたのかは 量販店には「大量一括仕入れ」「商品の輸送コストの削減」等、量販店の言い分がある。
メーカーとしては 数多く散らばった小売店を個別に相手するよりも、「大量一括仕入れ」の量販店相手の方が手軽だし、コストも下がるから楽なわけで、そのぶん値引きしても損はしない つまりは、いろんな意味で良い商売相手なわけで… でも、そこに問題がある。
昭和中期、高度経済成長という時代の中 各電機メーカーが売り上げを伸ばし、今日の様に会社が大きくなってこられたのには 街の電気屋さんのお陰…って部分が少なく無いはずである。
にも関わらず、結果的には そういう恩人を切り捨て、量販店が成長する支援までしてしまったのが各電機メーカーなのだ。
こんな家電品と似たケースは 他の業種や製品などにも沢山ある。
で、そんな世の中になった根本は「安けりゃ良い」という 単純な消費者思想ばかりが優先されたからだ。
家電品に限って言えば 次々と「新製品」が発表され 壊れたモノを直して使う事よりも
「新しいモノを買った方が 手っ取り早いし、修理代を考えたら変わらない」
なんて理屈が正しいとさえ認識されている。
故に 一部では「ソニー・タイマー」等と言われる様に 妙に新製品の発表と使用している製品の故障するタイミングが重なってしまい「買い換え感知装置が内蔵してんのか?」と疑いたくなる様なメーカーまである始末。^^;
ゆえに、
「どうせ壊れたり、数年でもっと良い製品が発売されるんだから 少しでも安く…」
という方向に消費者が誘導・洗脳されちゃったんだろうな…。
かつて、喫茶「職安」の常連達は 私達バイト学生に
「モノを買う時は そのモノにもよるけれど、
それが愛用品とか 仕事や生活上に欠かせないモノであればあるほど
じっくり吟味して良いモノを買え」
と、言い 特に、仕事に使う道具を買う時は ともすれば直しながらでも、一生使えるぐらいのモノを高くても金をケチらずに買って大事に使え…とも言われたものだ。
で、何を言いたいかといえば…
結局、モノの価値と値段が どんどんかけ離れて言ってると まず、思う。
それと同時に モノに対する価値を見抜けない…というか、ちゃんと その価値を計れない人が どんどん増えている様に思えてならない。
例えば、常に同じ店で値切ってばかりいたら その客はどんなに沢山の商品を買っても 利益的には上客では無い。
でも、そういう客に限って「私は沢山買っているだから…」と上客ぶる。
これって 見方を変えると「客としての価値」すら思い違いをしている証とも言えやしないだろうか?
『「値打ちをつける」という言葉』と題して これまで記した(その1)と(その2)
まぁ、前置きとしてはけっして短いモノでは無いが 喫茶「職安」の常連達が私達バイト学生に躾けたかった事のひとつは 常に真の意味での上客であれ…という事。
つまり、売り手と買い手との間に最低限のコミュニケーションを構築する事により 時には売る側の顔を立てる代わりに、時には買い手の無理難題を聞いて貰える関係になれ…という事。
少しぐらい売値が高くても 街の電気屋で買っていれば、壊れた時には親身に対応してくれたのである。
買う時は量販店で、手間暇が掛かる修理だけは街の電気屋…では 人としてスジが通るのか? と。
無理な値切りをせずに それなりの利幅を認める代わりに、万が一の際には 親身に対応…
しかしながら、これは あくまでも今では理想論なんだな
だって、大本であるメーカーに そんな気構えが全く無くなっているのだからね。
でも、人の気持ちって捨てたモンじゃ無い。
ウチのエリアを担当している宅配のドライバーは
「これから荷物を持っていきたいんですけど」
と、ちゃんと前もって電話をくれるし 電気屋はメーカー取り寄せで数週間かかるパーツやオプションだと それが市内の量販店に在庫があれば、設け無しでそれを買って届けてくれたりする。
当然、私は その心意気に缶コーヒーを進呈するし、電気屋には僅かとはいえ「足代」を包んだり 気持ちとして中元や歳暮の余りをお裾分けしたりする。
そんなんでも 互いに笑顔で
「悪かったね」
「いやいや、いつもお世話に…」
と、言い合うだけで 幸せな気持ちになるからだ。
(その4に続く… (予定))
