● 雑感(8月10日)
最近の「朝青龍」問題に 個人的に、思った事を述べてみる。
腰や肘を故障し、休養すると称して母国に戻り、そこで楽しそうにサッカーに興じる姿が報道されたのが この騒動の発端だが…
サッカーをしていた事から「本当に腰を痛めているのか?」等の疑惑を呼ぶのは判らなくも無い。
一般のファンが…というのでは無く、あくまでもマスコミが「朝青龍」に対して どういう感情を抱いているのか? という部分で、新聞やTVにおける論調が大きく変わるのは言うまでも無い事だが、日頃の「朝青龍」の態度や言動が その要因である事も否めない。
例えば、全盛時の若乃花が もし、同じ様な状況を起こしたならば 最初からトゲトゲしく叩かれたのであろうか?
「いや、サッカーもリハビリの一貫で…」
みたいな見解で庇おうとする意見が少なく無いんじゃなかろうか?… なんて私は思うのだ。
昔、ある関取から直に聞いた話だが 相撲の世界では力士は神格化され、その最高峰である横綱は「神」に最も近いとされるのだそうだ。
ゆえに、横綱たるものは神としての「心技体」を兼ね備えた人物であるべきで そうあらねばならない…のだと
だから、人気力士や 番付が上位になればなるほど関取には品行方正が求められたし、求められる以前に厳しく躾されていたも聞く。
で、そんな話を聞いたのは 直前に「双羽黒」事件があった今から20年程前の事。
横綱としての品格が問われ大騒動になったのが「双羽黒」事件である。
その後、千代の富士が「横綱」として孤軍奮闘し、「若貴ブーム」によって隆盛を取り戻した相撲界だったが その盛り上がりに浮かれて、事件の教訓を忘れちゃってしまったんだな^^;
ただ、「双羽黒」事件以降 横綱審議委員会のあり方が大きく変わったのは事実で大関や横綱への昇進が厳しくなり、昔だったらとっくに大関になれたのに…と思える様な裁定で昇進を見送られたり 条件付けをされるケースが増えたものだ。
その為に、負傷を満足に癒す休養期間を与えられず その怪我が悪化、もしくは慢性化した為に出世はおろか力士生命すら失った関取も少なく無い。
たしかに、横綱や大関に神としての「心技体」を兼ね備えを求めるのは判らなくも無い。
が、その「神」という部分には日本固有の神格論みたいなモノがベースにあり、それをいわゆる外国人力士が どれだけ理解出来るのか? その点を指摘する声は昔からあったわけだが それもいつの間にか「外人差別」という別の人権論争の中で置き去りにされてしまった意見である。
で、今回 処分を受けた横綱・朝青龍が「鬱病」だと言われているが…
「心技体」を尊ぶ力士の それも最高峰とされる横綱が「心」の病か… ^^; と。
モンゴルに帰らせるべきか否かで論議がなされているけど、そんな報道を耳目にする時 なんだかなぁ…と、思う話ばかり。
心が病んでしまったのなら、休養なり、療養なりを認めてあげるべきなのは人として当然の事、その為には故郷であるモンゴルで過ごすのが良いとされるならば とっとと帰らせてあげるべき
でも、それは あくまでも「人」としての話の場合。
「心」が満足では無い「朝青龍」は もはや、「横綱」では無い。
故に、私が個人的に思うのは 「人」として とっとと、故郷に帰らせてあげるべく 横綱」という「神」の肩書きは下ろさせてあげなさい…って事。
本人から「引退」を申し出れば良いのだが、そういう判断を求められる状況じゃ無いのであれば、親方や協会が きちんとフォローすべき
「横綱である以上…」
という理由で 無理矢理、日本に留めておいたり、いろんな義務を強いるのは療養にはならないのだから、「横綱」という看板をとっとと下ろさせて いろんな意味で楽にさせてあげるべきだと私は思うわけだが、面子ばかりに拘る相撲協会の体質は 旧態然どころか、年々 悪化の一途を辿っており、ここでまた判断を誤ると 相撲の歴史に幕が下りる危機感を充分に考えるべきだと私は思う。
