● 第4章 ○産の営業のE
○産の営業のE 彼との付き合いは私がサラリーマンを辞めて札幌に戻って間もなくだから20年以上前の事。
車の免許は大学1年の夏休みに 札幌に帰省している間に取得していたが、大学時代を東京で過ごした私には 当時の状況では 東京で自分の車を持つ事は経済的に無理。
しかしながら、当時を知る私と同じ世代の方なら判ってくれると思うけど 車は憧れであり、ステータスだったんだ。
親元から大学に通ったり、会社に通勤していた連中が、親の車を乗り回して
「昨日、~まで、ドライブしてきたんだ」
なんて楽しそうにしてるのを嫉妬したものだ。^^;
大学時代、同じアパートに住んでいた「気の弱い弁護士」は車雑誌を愛読していて
「俺、絶対 BMWに乗るんだ…」
が、口癖だったが いまだに彼がBMWのオーナーになるのを一度も見た事が無い。^^;
今の彼の愛車はベンツだが、いつも、ピカピカに磨き上げてあるのに 必ず、車体のどこかに擦り傷がある。
一度、そんな彼のベンツの擦り傷にサビオ(カットバンとも言う^^;)を貼ってやったら 半泣きで怒ったっけ…^^;
それに対して私はと言うと「いつだって~ どこに~だって」と 今でも耳から離れないCMソングと日本GPにおける伝説とで、「スカイライン」という車に強い憧れを抱いていた。
後に「いつかはクラウン」というキャッチコピーが大ヒットしたけど、その当時の私には
「いつかはスカイライン」
だったのだ。
だから、札幌に戻って まず最初に私がした事は それまでに貯めておいた貯金でスカイラインを買う事。
その頃、妊娠した嫁のお腹が ずいぶんと大きくなっており、病院の送り迎えや買い物などに車が必要だった事も大きな理由である。
他のメーカーや車種は全く眼中に無く、当時は「○産プリンス」と呼ばれていた系統の店に行き「スカイラインが欲しい」と言った相手が 当時、新人営業マンだったEだ。
で、Eの案内で ショールームに展示してあるスカイラインを見て私は愕然とした。

私の憧れであり、夢にまで見たスカイライン「ジャパン(C210)」は 私が残業漬けか出張に明け暮れていたサラリーマン生活を過ごしている間に

当初は「ニューマン」、マイナーチェンジ後「鉄仮面」と呼ばれたタイプに(R30)フルモデルチェンジしていたのだ。
R30は決して悪い車では無い。
でも、ハコスカ以来の象徴ともいえるボディサイドのサーフィンラインが無いのは許せない…
R30を見つめながら 私が そう呟くと
「ブタネコさん あなたは本当にスカイラインが好きな人なんですね」
Eは とても嬉しそうに目をキラキラさせて私に言った。
「僕も スカイラインが大好きで…
”愛のスカイライン”や”ケンメリ”のCMに感動して…
それが忘れられなくて この会社に入ったんです」
Eは熱い男だった。
「俺、ジャパンが欲しかったんだ…」
気落ちする私に
「気持ち… 判ります。」
Eが 熱のこもった瞳で私を見つめ
「モデルチェンジしたとはいえ どこかの販売店で在庫を抱えている可能性があります。
探してみますから 少しだけ時間を 僕に下さい。」
いずれにせよ スカイライン以外を全く考えていなかった私は
「うん、期待しないで待ってるよ」
そう言って 店を後にした。
で、数日後…
不意にEから電話が入り
「ブタネコさん ありましたよ
ブタネコさんの希望していた白で2ドアのハードトップの2000GTターボを
秋田の販売店がもってました!!!」
今の様にネットで検索…なんて時代では無い。
Eは 電話をかけまくって探したのだ。
その熱意が嬉しかった。
即座に「買うから取り寄せて」 私は目頭を熱くしながら電話で叫んだ。
数日後、フェリーで輸送され札幌に着いた憧れのジャパンを目にした時、私は泣いた。
「とうとう、俺もジャパン・オーナーになる日が来た」と。
Eも 私の横で満足そうな表情を浮かべ
「良かったっス… 喜んで頂けて嬉しいっス…」
彼も目を真っ赤にしていたっけ…
愛車ジャパンは5年後に信号無視したシビックに横腹に突っ込まれて 泣く泣く廃車にするまで 文字通り、私の愛車だった。(ToT)
以来、今まで いろんな車に乗ったけど 私の中で最も愛する車はスカイライン・ジャパンなのだ…
レッカー車で運ばれた 無惨に大破したジャパンをEはなんとか修理しようとメカニックに相談してくれたが、腕利きのメカでも無理と判断され その悲しい報せを「二代目開業医」の病院に事故の怪我で入院中の私のところまで報告に来たのも覚えている。
「ブタネコさん フレームが完全に曲がり、車軸も…
手の施しようが無いと メカのチーフも… 本当に、残念です。」
それを一緒に聞いていた主治医の「二代目開業医」が
「まぁ、コイツ(ブタネコ)も フレーム(首と背中)が捻れてるし、サスペンション(鎖骨)も折れてるからね…^^」
そう、その時の私はベッドの上で むち打ちのコルセットをクビに巻かれ、折れた2本の肋骨を固定するために胴にギプス、それに右の鎖骨も折れ… 愛車スカイラインと似たザマだったのだ…(ToT)
「まぁ、オマエは寝てりゃぁ治るって 車は駄目だけど^^」
と、皮肉混じりに言っていた「二代目開業医」
(思い出したら腹が立ってきた。^^;)
Eは そんな私に
「きっと、ジャパンがブタネコさんを守ったから その程度で済んだんです。
オーナーの身代わりになって 彼は… さすが、ジャパン!!!」
と、ワケの判らない理論を展開するぐらい 熱い男だった。^^;
「気の弱い弁護士」が代理人となり、加害者と加害者の保険会社をネジ込んで2ヶ月後、退院した私に届けられたのは

また、知らない間にモデルチェンジしていた当時の新型の(R31)スカイラインGTS-R。
「やっぱ、ブタネコさんにはスカイラインしか無いっス! 男には男の車っス
”ルーム・ミラー”とか いくつか廃車になったジャパンの部品を
形見代わりに組み込んでおきました」
Eの心遣いが嬉しかった。(ToT)
そんなGTS-Rは その後、私の活動拠点が東京になった事もあって、札幌に残った嫁が乗り回していたが…
「なんか 私に合わないから…」
という理由で「欲しい」と言った「某国立大学教授」に売られ、嫁は 自分の好みの車を買っていた。 orz
心臓が壊れはじめ 健康上の理由で札幌に戻った私は 私用の車が必要となり、再びEを呼び出すが…
営業マンとしてベテランの域に達し、それなりの肩書きに出世していたEだったが、○産は会社全体がおかしくなって スカイラインはスカイラインでは無くなっており…
「ブタネコさん もう、スカイラインは本当に伝説になってしまいました。
売る営業が言うのもナンですが、真のスカイライン愛好家に
今のモデルは情けなくて売りたくありません。」
と寂しそうに言った。
確かに シェイプなデザインが丸々になり、丸テールランプまで捨てられては「スカイライン」を名乗る事すらおこがましいクソ車である。
なので、今はシーマなのだ…
スカイラインが凋落してしまって以後、そんないろんな思いが入り混じって Eと会う機会は無くなった。
シーマを納車に来たEが
「ブタネコさんに車を買って貰ったのは嬉しいけど…
ブタネコさんに薦められるスカイラインが無くなったのが本当に寂しいです。
なんか、こうしてブタネコさんと並んで車を眺めていると…
(ジャパン)あの時の 嬉しさが懐かしいなぁ…」
そう述懐する様に呟いたのが 最後に会ったEだった。
実は、私も同じ思いだったのだ。
ジャパン以後、「車を買ったぞ」って喜びが全く湧かないのだ。
で、Eと会って話していると「ジャパン」への思いがぶり返すだろうなぁ…
そう思うからこそ、それが嫌で Eに会おうとしなかった…ってのも ある意味、私の本音でもある。
でも、教授に言われて あらためて感じたのは「熱い車屋E」を無視したままでいいのか? それでは義理を欠くんじゃないのか? そう思った。
だから、私はEに電話した。


