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2007年04月26日

● 八つ墓村(古谷版)


古谷一行が金田一耕助役で1978年に全5話のTVシリーズとして放映されたものと、1991年に2時間スペシャルとして放映された「八つ墓村」について語ろうと思う。




【注意】

「八つ墓村」のストーリーに関しては 今までに このブログ内の他記事において、相当のネタバレを
お許し願っておりますので、当記事も 出きるだけ最低限に留めたつもりではありますが、どうしても
記事中にネタバレが含まれてしまっております。^^;

もし、アナタが原作を まだ読んでおられないのであれば、この記事を読む前に まずは原作本を読
む事を強くお薦め申し上げます。


横溝正史が書き遺した金田一耕助シリーズの作品群の中で 私とは意見が異なるが、この「八つ墓村」がベストだ…と言うファンが 実は少なく無い。


実際、私とは意見が異なる…と言っても 私自身、この「八つ墓村」は傑作だと思っている事も事実であり、それだけ横溝正史の著作には傑作と呼ばれる作品が沢山ある証拠でもあるわけだが…


で、他の横溝作品同様 この「八つ墓村」も今までに何度も映像化されたのだが、他の作品もそうだが、それ以上に この「八つ墓村」ほど 映像化された作品それぞれの描き方が違うモノは無い。^^;


現在、多くの人が見ようと思えば見れる映像に関して限定して言えば…


  1977年 松竹版 渥美清が金田一耕助役(『参考記事』)


  1978年 TV版 古谷一行が金田一耕助役 全5話TVシリーズ


  1991年 TV版 古谷一行が金田一耕助役 2時間ワイド・ドラマ


  1995年 TV版 片岡鶴太郎が金田一耕助役 2時間ワイド・ドラマ(ビデオ化されて無い)


  1996年 東宝版 豊川悦司が金田一耕助役(『参考記事』)


  2004年 TV版 稲垣吾郎が金田一耕助役(『参考記事』)


という風に6本あるわけだが、先に述べたように それぞれ一長一短(中には短ばかりで長の無いモノもある^^;)あり、個人的意見としては 完璧と言えるモノは無いと私は思っている。


考え方によっては 原作に関しては取りあえず棚に挙げ、単なるドラマとして出来を判断すべき…という見方もあり、そういう見方で見れば それなりに成立している作品と呼べるモノはあると私も思うけど、例えば「東野圭吾」とか「松本清張」の原作であれば そういう見方で満足するのはやぶさかでは無いが、こと「横溝正史」先生に関しては そんな真似は私には出来無い。^^


だって、横溝原作は 他の作家には真似の出来無い文章表現があり、それが最大の魅力であって その文章表現だからこそプロットや登場人物が活きているのである。


でもね、そんな横溝文学を完璧に映像化出来るのか?…と、落ち着いて考えると 無理なんだよね。^^;


なので、「映像で成立しているなら良いじゃん」という考えも 否定する事は出来無いのだ。


で、そうなると重要な事って 横溝正史が描いた原作を どれだけ、尊重して映像を制作しているか?って部分だと私は思うに至るわけで、単に原作として利用しました…みたいな作りだと許すわけにはいかない… そう考えるに至った。^^;


で、松竹版と東宝版、それに稲垣版については既に語っているので 今回は 古谷一行が金田一耕助役を演じた78年版と91年版について語っておこうと思う。




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この78年版は 古谷一行がTVシリーズで金田一耕助を演じた第2シリーズの最初の作品である。

  参考記事:『古谷一行の金田一シリーズ 序

この作品が放送されたオンタイム時を知る者として言えば…


この当時、古谷一行の金田一耕助役は なかなか好評で、単純比較として映画(市川版)の「石坂浩二」と TVの古谷一行の どっちが良いか、ファンの間で議論があった事すら懐かしい。^^


特に、この「八つ墓村」は 放送される前年、松竹版渥美金田一の「八つ墓村」が公開され 市川版で初めて原作で描かれた ヨレヨレの着物姿にお釜帽という金田一耕助像が描かれ、嬉し泣きした横溝ファンの多くを 麻のジャケットに麦藁帽という洋装の渥美金田一に「なんで?」と、ガッカリしたばかりだっただけに好意的に迎えられた作品となる。


主な配役は


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寺田(田治見)辰弥 「荻島真一」


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森 美也子 「鰐淵晴子」


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春代 「松尾嘉代」


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田治見要蔵(左) 田治見久弥(右) 二役 「中村敦夫」


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原作では「八つ墓村」に登場するのは岡山県警の磯川警部なのだが、このTVシリーズでは


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本庁(警視庁?)の日和(ひより)警部として「長門勇」


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諏訪弁護士「内田朝雄」


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そして、「古谷一行」


ちなみに この作品での


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キレた要蔵は上の画




さて、先に「好意的に迎えられた」と記したが、放送終了後も好意的に好評だったか?と言うと 実は違う。^^;


思うに、古谷版の制作者は 何か自分達なりにストーリーを変えたくなったらしく、原作への不思議な変更点を いくつか施した映像を作った。


大きな変更点


  ・ 典子は登場しない(たいした問題では無いが^^;)

  ・ 諏訪弁護士が犯人の共犯者となる(えぇっ?って感じ?)

  ・ 田治見辰也は 事件が終了した後、八つ墓村に留まるが 天変地異により、
    川が氾濫 洪水により八つ墓村は消滅し、辰也も流れに呑み込まれて死亡する( … )


ま、小言を並べても仕方が無いので ひとつだけ、この作品に言いたい事は 先に羅列した6つの「八つ墓村」映像の中で この作品だけが全5話のTVシリーズ 要するに1時間枠x5回の放送時間 他の5本が2時間から2時間半である事を考えると 倍以上の「尺」を利用できたのである。


にも関わらず、それだけの尺が全く活かし切れて無い。^^;




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さて、次に91年版の 古谷一行のTV版が すっかり2時間ワイド・ドラマ化して以降の作である。

  参考記事:『古谷一行の金田一シリーズ 序


主な配役は…


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寺田(田治見)辰弥 「鶴見辰吾」


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森 美也子 「夏木マリ」


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春代 「浅田美代子」


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田治見要蔵(左) 田治見久弥(右) 二役 「ジョニー大倉」


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「濃い茶の尼」


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「小竹と小梅」


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「里村慎太郎」


さすがに、2時間ワイド化されてからは「日和警部」では無くなったが


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何故か「等々力警部」として「ハナ肇」


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で、古谷一行


このTBS系の「古谷一行」による金田一耕助モノに関して私見を述べれば


  1977年版は「横溝正史シリーズ」

  1978年版は「横溝正史シリーズII」

  1983年以降、2時間ドラマとして制作されたモノは「金田一耕助の傑作推理」


と、サブ・タイトルが付けられ分けられている。


で、1983年以降の「金田一耕助の傑作推理」では 77年版や78年版で制作したタイトルを再び再制作するのは珍しく無いのだが、そのように再制作された版は 不思議な事に 先に制作した版の脚本を そのまま流用したんじゃ無いのか?とか、役柄・設定もなんで?って部分がそのままだったりで…

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例えば、上の画は 91年版におけるキレた田治見要蔵の画なのだが、先に述べた78年版のと非常に共通の格好なのは一目瞭然だと思う。


だが、原作におけるキレた時の要蔵のカッコの描写には 女物の着物を羽織る…という描写は無い。


ゆえに、松竹版や東宝版 それに稲垣版を見ていただければ それらの要蔵は着物を羽織っておらず、この着物という描写は古谷版だけに共通なのだ。


この様に些細な事から もっと、大きな描写にも何故か古谷版だけ共通という描写があり、再制作した意味が判らないモノが多い。^^;


ただ、この91年版「八つ墓村」に限って言えば いろいろと原作とは違う部分が多々あるけれど、原作に対する忠実度という点で言えば「稲垣版」といい勝負であると私は思う。


が、あくまでも それは言葉の上の忠実度という意味であって ストーリーの核や雰囲気には 首を傾げる描写が多いのも事実である。


でもね、他の横溝作品にも言える事だけど 特に「八つ墓村」の場合 原作の素晴らしさを完璧に映像で表す事は ハッキリ言って無理だと私は思っている。


何故ならば、この「八つ墓村」は 金田一耕助シリーズの中で屈指の殺される人数が多い作品であり、それらの殺人には それぞれのエピソードがある。


しかも、他の金田一シリーズの作品と微妙に違うのは 原作の視点は「多治見辰弥」という青年であり、三人称とか、金田一耕助の視点でも無い。


ゆえに、複雑に絡み合ったエピソードを文章で表現仕切った事自体が奇跡に近く、それらを完璧に映像化するなんて事は無理と断言しても良いと思うわけだ。^^;


で、映像化に挑戦した それぞれの制作者達は 原作の中の多くのエピソードを取捨選択し、ストーリーを繋ぎ合わせて「八つ墓村」という作品に仕立て上げたわけだけど 客観的に見て、映像化しやすいエピソードを優先的に取り上げ、しかも 制作者独自のストーリーを盛り込み、言葉を換えれば誤魔化した作りにする事ばかりに熱を注いだと言わざるを得なく、本来 原作の持つ長所を理解していたとは言い難いモノが殆どだから どうしようも無い。^^;


その中で 松竹版は「因習」とか「おどろどろしい」という部分だけを中心に描いたのであろうけど、横溝独特のラブ・ストーリーを無視した点で制作者は大きな勘違い、と言うか、原作をまるで理解していないと言わざるを得ない。


市川版は「愛」という部分に意識をおいて制作したのであろう事は充分に察せられるが、「八つ墓村」のストーリーのベースには ラブ・ストーリーはひとつしか無いわけではなく、いくつもの「愛」や「情」のストーリーが絡み合っている…と言う点に関して描き方が不足という他無い。


で、以前「稲垣版」に関して ラスト近くの描写、犯人の小指に纏わるエピソードと言う部分に 他の作品には無い描写がある事を私は高く評価したいと述べたが、それは 犯人の動機という部分を理解する上で 犯人の顛末も含めて原作で描かれた「愛」や「情」を考えれば欠いてはいけない部分だからである。


ちなみに、78年版と91年版の古谷版双方でも犯人は小指を負傷するのだが、78年版では ただ怪我をしただけに過ぎない描写で終わっている為、論外。^^;


けれども、91年版では 稲垣版ほどでは無いが、犯人が その傷に苦しむ場面があるぶん、マシではある。^^;


が、91年版で残念なのは 犯人の動機が原作とは変えられており、大幅に説得力が無い事だ。


というわけで、しつこいようだけど、元々「八つ墓村」のストーリーを映像化しようと言う事は とても難しい作業なのである。


ゆえに、原作内の数多のエピソードを取捨選択し 尺内に納め、元々の雰囲気を壊さずに描こうするならば、どうしても辻褄合わせのストーリを挿入する必要が生じる。


だから、何もかもをごちゃ混ぜに「原作と違うから駄目だ」と否定する気は私は無い。


あくまでもモチーフを活かすため…であれば仕方がないと理解するのだ。


ところが、もし興味のある方は 上述したそれぞれの映像と原作を見比べてみて頂きたい。


私が 腹立たしいと怒るのは 先述した「仕方がない」と納得出来る変更では無く、全く意味の無い設定やストーリーを新たに放り込むための変更であるとしか思えない部分の方が多いからなのだ。


ただ映像化したいだけなのであれば横溝作品ではなく、「東野圭吾」や「松本清張」 さもなくば、「西村京太郎」や「山村美沙」程度の原作で満足してろ…と、無能な制作者に言いたい。


お駄賃

 気が向いたら…で結構です。^^;

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コメント

ブタネコさん。こんばんは。
記事拝読させていただきました。

まず、横溝正史の原作、いいまわしや、文体が古い部分はありますが、その文章表現力はほんと、最近の作家にはないものだと断言出来ると思います。たまに他の作家の作品をよむとその表現の乏しさに頭でその場面がまったくイメージできないのです。まさにおっしゃる通りだと思います。

そして、「八つ墓村」、私も一番すきな作品ではありませんが、大変素晴らしい作品だと思います。私なりの言い方をさせていただきますと自分の記事でもかいたように、本筋そしてそれに絡む重要な側面が多数存在する点、そして辰也の一人称で書かれている点、これも全ておっしゃる通りで

>複雑に絡み合ったエピソードを文章で表現仕切った事自体が奇跡に近く

まさしくその通りで、非常に映像化するにあたって難しい作品だと思います。

その中で、稲垣版は原作にけっこう忠実で、独自の部分も非常に私のツボにはまるものでした。これはブタネコさんの記事をよまなければ私はずっと観なかったかもしれません。感謝いたします。
そして、これからコメントいただいたとおり、製作年順に、松竹版から鑑賞したいと思っています。ただ、記事を拝読して古谷版の78年はちょっと・・・、でも逆に興味がわいてきた部分もあります(笑)。

そして、記事の最後の一文、いいですね!拍手!!

★ イエローストーン さん

コメントの件 御手数をおかけして本当に申し訳ありませんでした。

イエローストーンさんも記事で述べられている通り、稲垣版にも問題はありますよね

でも、トータル的に見れば 他の作品よりマシって程度なのかもしれないけど 私には説得力を感じさせて貰えたぶん良しとしたかったんです。

なので、僭越ながら 再考の余地は如何かなぁ…なんてスケベ心で イエローストーンさんの反応を楽しみに伺っておりました 下世話で本当にすいません。^^;

でも、再考を拝読し ホッとしました。^^

ついつい酔いにまかせて書き込ませていただきます。
横溝先生の作品の中で八つ墓村は傑作だと思っております。
映像化されたものを初めに見たもので、こんなものかと思っておりました。
ですが原作を読んだ時に、ああ横溝正史先生の作品は原作で読むべきものであると痛感致しました。
私がなぜ映像作品が気に入らなかったのか、今その理由がわかりました。
映像作品には典子が出ていないか、たいして重要に描かれいないかのどちらかなのです。
典子がいたからこそ八つ墓村は傑作になったのだと思っております。
横溝先生の作品は男女のロマンチックな部分が不可欠だと思っておりますので、辰弥の相手は美也子や春代ではなく、最初はただの少女なのにだんだんと成長していく典子がふさわしいのではないかとおもいます。
ブタネコさんが「典子は登場しない(たいした問題では無いが^^;)」と書かれておりましたので今回コメントを書かせていただきました。

★ ひらりん さん


「典子」の存在を重要視されるのは理解できますし、正しいと思います。


>ああ横溝正史先生の作品は原作で読むべきものであると痛感致しました。


その点に関しては私も同意見です。


であるがゆえに、ご指摘の


>たいした問題では無いが^^;


と記したのは 典子の存在云々なんかどうでもいいぐらいの「なんだそりゃ?」って変更が各作品に目立ちすぎるからです。

ただね、あまりにも素晴らしすぎる原作と比較して映像を考察する事に 私はあまり意味を感じておりません。

大きな変更を行ったとしても 映像としてちゃんと成立してるなら文句は言わないようにしておこう… この記事を記した頃は特にそう思っていただけであり、成立してないぞと文句を記しているだけです。


全面的に、ぜーーーんぶ、共感一杯! だったので、バナーは全部クリックしました…。

★ おばはん さん

お粗末様でした。

【※注意!!】

この記事は『ブタネコのトラウマ』の倉庫に保管されている記事なのでコメントの投稿は出来ません。 2015年2月10日以降 このクソブログは『ブタネコのトラウマ・リニューアル版』に移転しましたので新規記事更新及び、過去記事へのコメントの受付もそちらで行っておりますので お手数ですが、そちらへの移動をお願い申し上げます。